『「正義の国」の日本人〜なぜアメリカの日系人は日本が“嫌い”なのか?』 (安井健一著、アスキー新書)

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◆『「正義の国」の日本人〜なぜアメリカの日系人は日本が"嫌い"なのか?』 (安井健一著、アスキー新書)

2007年7月30日、米国の下院本会議は、戦時中の日本のいわゆる「従軍慰安婦」問題について、日本政府に公式な謝罪を求める決議案を採択した。この決議案の提出者は日系三世のマイケル・マコト・ホンダ議員である。本書は、なぜ日系人が「祖国」を非難する動きを主導するのか? という疑問に答えるべく、過酷な歴史を乗り越え、新たなアイデンティティを獲得しつつある米国の日系人たちの姿を紹介している。

国際空港名になった「対日強硬派」議員

本書は著者のマイケル・マコト・ホンダ議員に対するインタビューから始まるが、その中で、ホンダ議員が「私は、他のアメリカ人から、『英語がずいぶんとお上手ですね、いつからアメリカに住んでいるのですか』と聞かれることがあります。何世代も経ても、この顔で外国人と思われてしまうのです」と答える場面が紹介されている。私は米国の留学経験があり、今でも英会話はこなせる。実際、海外旅行や国際会議で「英語が上手ですね」と言われることもあるが、私の場合、その気になって留学時代の話をしたりしてしまう(そこからさらに話が弾むこともある)。本書によれば、この「英語が上手ですね」と言われるのは「アジア系アメリカ人に一般的に見られる」現象であり、「一般のアメリカ白人には、まだまだ、『アメリカは白人と黒人の国』という潜在意識があるように思える」とする本書に私も経験的に同感するところである。

本書は、続いて二人の日系二世の歩みを紹介する。一人目はサダオ・S・ムネモリ。ムネモリ氏はロサンゼルス郊外出身で、第二次大戦中、アメリカ軍兵士としてヨーロッパ戦線で戦死した。アメリカの日系人のヨーロッパ戦線での奮闘ぶりは知られるところである。ムネモリ氏の最期は壮絶であるが(戦友を救うために手榴弾の上に自らの身を覆い被せて爆発を阻止しようとしたとのこと)、アメリカ軍はその自己犠牲の精神を称え、最高位の「名誉勲章」が授与している。彼の名は、地元が生んだ英雄としてロサンゼルス国際空港の近くにある「サダオ・S・ムネモリ・インターチェンジ」にも残されている。二人目はノーマン・ヨシオ・ミネタ。ミネタ氏はサンノゼ出身で、アジア系初の閣僚としてクリントン民主党政権の商務長官、後継のブッシュ共和党政権で運輸長官を務めた人物である。彼は地元のサンノゼ空港の拡充にも長年にわたり尽力した。サンノゼ市は、ミネタ氏の業績を称え、2002年にサンノゼ国際空港の名称を「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と変更している。もちろん、アメリカの空港に日系人の名前がつくのは初めてのことである。他方、私も本書を読んで知ったことだが、ミネタ氏は実は相当な「対日強硬派」である。同氏は1974年に連邦下院議員に当選するが、通商問題では反ダンピング強化法案を議会に提出しているし、商務長官在任時は「調査捕鯨」の問題をめぐって日本に経済制裁を発動するよう大統領に勧告している。日本に厳しいという意味では冒頭のホンダ議員に通じるところがある。

「日本人ではなく、アメリカ人なのだ」

本書の著者は、現在NHKの管理部門に勤務されているとのことであるが、以前は政治部の記者を務め、また、2000年〜2004 年の間はNHKのロサンゼルスの特派員を務めている。本書では、ムネモリ氏、ミネタ氏に限らず、第二次大戦中の日系人の強制収容をはじめ、日系人が随所で受けてきた屈辱的な体験が紹介されている(いずれも衝撃的なものばかりであり、詳細は本書に譲る。)。どれも緻密な取材に基づくものであり、この点は著者に敬意を表する一方、日系人がこうした仕打ちに対してどうやって心理的な決着を付けてきたのか。自ずと「自分は日本人ではなく、アメリカ人なのだ」という姿勢を強調して生きていかざるを得なくなるのだろう。これが「日本人」と「日系人」の決定的な違いであり、また、日系人の苦悩の本質なのではないかと思う。

私は2001 年〜2003 年の間ロサンゼルスに留学していた。著者のロサンゼルス赴任の期間と重なっていたこともあり、本書は当時の記憶を思い出させる箇所が随所にあった。ロサンゼルスの中心部には「リトル・トーキョー」という日系人のコミュニティがあるが、韓国系のコミュニティや中国系のコミュニティと比べれば規模は小さく、どこか寂れた印象を受けた。かつては「アジア系初」を独占し、アジア系移民のいわばフロントランナーであった日系人であるが、現在は中国系や韓国系に押されている。リトル・トーキョーは日本以上に高齢化が進行していて、日系人向けのスーパーマーケットが韓国系資本に代わる等、アジア系のコミュニティとの融和が進んでいるとのことである。本書ではその例がいくつも紹介されているが、これらは、かつて経済大国としてアジアのフロントランナーであった日本の今後のアジアの向き合い方としても参考になるものかもしれない。

銀ベイビー 経済官庁 擬