勝つときというのは、こういうものだろう。第8戦・オランダGPのMoto2クラスで優勝した中上貴晶(なかがみ・たかあき/IDEMITSU Honda Team Asia)は、レース序盤から先頭集団につけて、落ち着いた走りで確実に前の選手をオーバーテイクし、トップに立ったあとはファステストラップを連発しながら一気に差を広げた。3秒ほどのギャップを築いたあとは、後ろとの差をコントロールしながら、まったく危なげのない走りで周回し続けた。

「正直な気持ちを言えば、がんばって苦労して勝ったというよりも、『あ、勝っちゃったな』という感じですね」と、中上はこの日のレースを振り返った。

「勝つときはそういうものだよ、とよく言われていたけど、たしかにそうでした」

 2012年にMoto2クラス・フル参戦を開始以来、すでに何度か表彰台を経験しており、前戦のカタルーニャGPでも3位を獲得しているが、優勝したのは今回が初めて。

「勝ったのは2011年の全日本以来だから......5年ぶりですね。それを考えると、長かったと思います。優勝までは手が届きそうでなかなか届かなかったし、いい時期もあれば悪い時期もあったなかで、苦しみながら少しずつ這い上がり、ここ数戦で少しずつ結果につなげてきました」

 少しずつ這い上がってきた――と話すのは、2011年に走った全日本選手権は、MotoGPの世界でシートを喪失した、いわば出戻りのような状態だったからだ。

 1992年生まれの中上は、2006年に全日本選手権125ccクラスで6戦6勝を挙げてチャンピオンを獲得。同時に、ダニ・ペドロサやケーシー・ストーナーを育てたアルベルト・プーチが主催する「MotoGPアカデミー」にも参加して、スペイン選手権を戦っていた。2008年からはMotoGP125ccクラスに参戦したが、翌年いっぱいでシートを喪失し、2010年から全日本に戦いの場を移した。そして、2012年にふたたびチャンスを掴み、Italtrans Racing TeamからMoto2クラスに参戦。2014年に現チームへ移籍した。

 前述したとおり、その間には何度かの表彰台を獲得しており、トップグループで先頭に立って走行をしたこともある。だが、過去のいくつかの場合と比べても、今回の中上は危うい様子がまったくといっていいほど感じられなかった。

 土曜の予選を終えた段階では、フロントローから0.661秒差の2列目6番グリッド。オランダ独特の「ダッチウェザー」に翻弄されたセッションで、十分なタイムアタックをできなかったが、「明日がドライコンディションなら、この週末のセッションで積み上げてきたことを出し切れば、結果は必ず出ると思う」と話していたとおり、決勝日午前の20分間のウォームアップ走行ではトップタイムを記録した。

 そして、12時20分に始まったレースでは、10周目にトップに立つと、あっという間に後続を引き離してレースをコントロールする状況に持ち込んだ。やがて雨が降り始め、ラスト2周で中上の後ろを走る昨年チャンピオン、ヨハン・ザルコとの差が1.555秒となっていたときに、赤旗が提示されて中断。全24周のうち、21周終了段階での順位でレースが成立した。

 このとき、2番手を走行していたザルコは、「自分の前の選手たちをオーバーテイクして2番手になったときに、タカが大きくリードしているのが見えた。捕まえられるかなとも思ったけれど、リスクを冒したくなかったし、追い上げるには時期が遅すぎた。今日のレースでは、チャンスを最大限に活かしたのがタカだったのだと思う。ファンタスティックなペースで走っていたし、本当に強かった。祝福したい」と、ライバルの勝利に潔くエールを贈った。

 中上自身も、レースを掌中に収めてコントロールできていた、と振り返る。

「今回のレースウィークではアベレージタイムがよかったので、フリープラクティスのときと同じように走れば絶対に勝てるという自信がありました。ザルコとのギャップもどんどん差が開いていったので、これはもらったな、という手応えでしたね。

 唯一の心残りは、(赤旗中断になったために)チェッカーフラッグを見られなかったことだけど、(残り1周半が継続していたとしても)優勝は間違いなかったと思います」

 レース進行の関係で今回は逃してしまったチェッカーフラッグを受けるためにも、中上にはできるかぎりすみやかに次の優勝を獲得してほしいものである。

西村章●取材・文 text by Nishimura Akira