30代女性の“モヤモヤ”に寄り添うメディアである「ウートピ」では、これまでキャリアの変化や出産で揺さぶられる女の友情を取り上げてきました。

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親友が「母」になってしまう寂しさ

未婚の30代は、友達が母になってしまうことに寂しさや違和感を覚え、その友だちと距離を置くことも少なくありません。対して、“産んだ側”はその時、何を感じているのでしょうか? 今回は3歳の女の子を育てるライターの真貝友香(しんがい・ゆか)さんに胸のうちのモヤモヤを打ち明けていただきました。

寂しいと思ってもらえる幸せ

親友が「母」になってしまう寂しさを読んだ。

出産から3年以上経った今も、まだ自分が母親であるということにうまく馴染めず、自らの立ち位置を図りかねている私。胸にこみあげてきたのは、「母」になってしまった側からの反発でも衝撃でもなく、「寂しいって思ってくれる人もいるんだな」という意外性をつかれたような、そしてちょっと甘酸っぱいような、言葉にはしがたい感情だった。

私は“母”になって変わったか?

人並み以上の自己顕示欲を抱えて生きてきた私は、母になっても私は私、そんなに変わりはしないだろうと踏んでいた。でも、出産・子育ては想像のはるか斜め上を超えてくる出来事だった。

まず生活がガラリと変わってしまった。不規則だった生活は一変、毎日18時に夕飯を食べるし、土日だって朝7時には起きる。

妊娠や分娩、そして授乳や抱っこのしすぎで体型だって産前とは違うし、慢性的に寝不足だから顔色も悪い。ファッション命だった数年前に比べると着るものもずいぶん適当になった。

とはいえ、子育ては面白いし、この生活はこの生活でなかなか充実しているので
産前に戻りたいとは思わない。

充実はあっても、「平気」ではない

ただ、夜ふらっと飲みに行ったり、気軽に友達と遊んだりできなくても平気、と言えるほど全能感があるわけではないのが正直なところだ。

「どんなにクタクタでも子どもの寝顔を見ると疲れが吹っ飛ぶ」みたいな言葉は決して嘘ではないのだけど、本当は好きなものを食べたり飲んだりしながら友達と喋って発散したいな、なんて考えている。

だけど、「今度飲みに行こうよ」と口約束しても、お互いなかなか都合がつかなくて延び延びになってしまう、そんな葛藤が歯がゆい。

「子どもが小さいうちは仕方ないよね」「こんなふうに子育てできるのも今のうちだから」と割り切ったり、ママ友や地域の人々と、産前とは異なる新たな人間関係を構築し、そこで完結するのも前向きな手段だ。ママ向けのサービスや、子連れで楽しめる施設もたくさんあるし、子どもの成長を祝うイベントを催したり、何かを手作りしたり、「ママ」としての楽しみ方は無限にある。

「ママであること」で寂しさは解消されない

だけど、「ママであること」を謳歌すれば寂しさが解消されるかというと違うのだ。

母親になること、その変化をどう捉えるかはさまざまで「私」から「母」に自然にメタモルフォーゼ(変身)できる人もいるだろうし、「私」と「母」を状況に応じてスイッチしている人もいるだろう。

私は自分に「母」というレイヤーが一つ増えた、というのが一番近い。表面上は母としての層に覆われているけど、自分自身がなくなったわけじゃない。

でもナイフを入れなければ、断面図に気づかれることなく、あの人は完全に「母」になってしまったと思われることも多々あるのだろう。

私だってあなたたちに会えなくて寂しい

生活がまるっきり変わってしまったことに後ろ髪を引かれているのは母親になってしまった側も変わらない。生活は子ども中心に回ってしまうし、自分のことはいつだって二の次になってしまう。

だからと言って、四六時中離乳食やおむつ替えや寝かしつけのことを考え、ずっとその話をしたいわけじゃない。

だから「友達が母になって変わってしまった、寂しい」と思っているなら私だって「あなたたちになかなか会えなくて寂しいんだよ」と叫びたい。

良好な関係を維持していくために、頑張って会おうとしなくてもいい、またタイミングが合う時を見計らってでもいいのかもしれない。大人の付き合いは白でも黒でもない曖昧なものなのかもしれない。何もかも、同時に手にすることはできないかもしれない。

だけど、お互い「寂しい」と口に出するくらいはいいんじゃないだろうか。そうやって歩み寄るのも一つの手なんじゃないかって考えている。

(真貝友香)