時速230キロに迫る超高速サーブも、結果的には、錦織圭をさほど苦しめることはなかった。

「リターンはよかったですね」

 ウインブルドン開幕戦後の会見で、開口一番、錦織は言った。「タフなサーバー相手に、あれだけリターンを返したのはよい収穫でした」。

 左脇腹のケガもあり、不安を抱えながら迎えた今年のウインブルドン。その初戦の相手は、最速250キロ超えも記録する「ビッグサーバー」のサム・グロス(オーストラリア)であった。試合前には、「芝ではたぶん一番やりたくない選手ですね」と錦織も警戒したが、終わってみれば6−4、6−3、7−5でストレート勝利。特に第3セットは、ゲームカウント6−5で迎えた第12ゲームで集中力を上げ、ブレークで試合を決する勝負強さを発揮した。

「タイブレークに行ったら五分五分なので、あそこで獲れてよかったです」

 体力の消耗を抑えられたという意味でも、錦織はストレートでの勝利に安堵の表情を見せた。

"良いサーブ"の条件のひとつに、スピードがあるのは間違いないだろう。だが、それが十分条件でないことを、錦織は自らのプレーで証明してみせた。

 この日の試合で錦織は、試合を通して計6回、相手のサービスゲームをブレークしている。レシーブでのポイント獲得率も、43%と高い。それらよい数字の秘訣として、ひとつには、相手のサーブコースを「読めた」ことがあると錦織は言った。

 グロスのサーブは、両サイドには打ち分けてきても、身体の正面に来るボールは少ない。今回の試合での数字でいえば、ワイド(サイドライン際)に打たれた確率は53%、センターライン際が41%。そして、ボディ(身体の正面)はわずかに6%。つまり、サーブがどのコースに来るかは、「ほぼ2択」。読みが当たる確率は、その時点で高くなる。

 そして肝心なのは、錦織はリターン時のポジションをこまめに変えることで、相手が打つコースを巧みに誘導していたという点だ。

「けっこう変えていましたね。相手の得意ではないところに、打たせるように動いていたので」

 錦織は試合後に、そう明かす。相手が速いサーブを打つだろうファーストサーブ時、そしてスピンをかけてくるだろうセカンドサーブ時などの状況に応じ、錦織は前後に、そして左右に頻繁に構える位置を変えていく。そして相手が打つよりも早く、サーブが来るコースへと動いている場面が幾度もあった。

 たとえば、第2セットの第5ゲーム。グロスが高速サーブをセンターに叩き込みたいであろう場面で、錦織はコースを消すようにややセンター側にポジションを取ると、相手が打つよりも一瞬先にワイド側へとステップを踏んだ。果たしてサーブは、錦織のラケットに吸い込まれるようにワイドへと飛んでくる。錦織は迷うことなくバックハンドを一閃し、ストレートへと鮮やかなリターンウイナーを放った。

 さらに同じゲームで、グロスがセカンドサーブを打つ場面でのこと。ここでの錦織は、まずはベースライン近くに構えるが、相手がトスを上げると同時に、一気に後方へとポジションを変えた。グロスが高く弾むスピンサーブを打つだろうことを読み切った錦織は、ベースライン後方へと下がることによって、バウンド後のボールが落ちてきたところを余裕を持って打ち抜き、やはり強烈なリターンウイナーを決めたのである。

 このように錦織は、立つ位置や巧みな動きによって、相手に精神的な圧力もかけていった。

 そして、幾重にも張り巡らせた複線は第3セット、結果的にこの試合最後のゲームとなった第12ゲームで顕在化する。最初のポイント、さらには15−30の局面でも、グロスはダブルフォールトを犯したのだ。相手にしてみれば、必ずサーブを決めなくてはいけないこの局面で、今まで以上にベースラインに近いポジションで待ち構える錦織の姿が、プレッシャーになったのは想像に難くない。

 さらに興味深いのは、このゲームのデュースの場面でグロスは、この日最速の142マイル(約229キロ)のサーブを"ボディ"に打ったことである。おそらく錦織の読みとは、異なったであろうコース。しかし、錦織はこのグロス渾身の一撃を瞬時に腕を畳み込むようにして、バックハンドで綺麗に打ち返したのである。

 試合を通じて100本のサーブを見てきたなかで、スピードにも慣れた錦織の適応力、そして高い技術が、ツアーきっての剛腕サーバーを凌駕した瞬間――。最後も錦織のリターンが相手の足もとに刺さり、まるでガンマンの決闘のような2時間10分の「サーブ対リターン」の戦いに終止符が打たれた。

「第3セットで、タイブレークに行かずに勝てたのが特によかった」

 獲るべき場面でブレークした事実に、錦織は高い自己評価を与えた。

 ただし、不安材料がないわけではない。

 ひとつは、痛めていた脇腹の状態が、まだ万全ではないこと。この日も第3セットに入る前に、メディカルタイムアウトを取った。

 さらには、打ち合いとなる場面が少なかったために、ストロークでリズムを作れずミスが多かったことも反省点。特に錦織が留意したのが、ブレークした直後にブレークされたことだった。

「ストロークのエラーが、出てはいけないところで出た。特に、ブレークした後にブレークバックされたことが2回もあった。それは、芝では絶対に避けなくてはいけないところなので、そこの集中力、そしてストロークの精度を上げていきたい」

 快勝といえる勝利にも気を緩める様子はなく、錦織は次の試合に向けての修正点を列挙した。

 その次の対戦相手は、34歳のベテラン――ジュリアン・ベネトー(フランス)。左右どちらからでも安定感あるショットを放つ、試合巧者でもある。

 試合を重ねるなかで経験値を上げ、ストロークに磨きをかけたい錦織圭にとって、格好の相手が用意された。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki