陸上の日本選手権最終日、福島千里(北海道ハイテクAC)が日本新記録を更新する中、男子200mでも飯塚翔太(ミズノ)が好調な姿を見せた。

 今大会は、昨年大ブレークしたサニブラウン・ハキーム(城西大城西高)が大会直前のケガで欠場となり、見どころは昨年、日本陸連の派遣設定を突破する記録を出した藤光謙司(ゼンリン)と高瀬慧(富士急)、そして飯塚の3人による優勝争いと見られていた。さらに、14年の日本選手権で優勝をさらった原翔太(スズキ浜松AC)が大会2日目の予選で飯塚に0秒04差の2位と迫り、波瀾の展開に。

 梅雨どきながらも晴れて、追い風の好条件になった26日の決勝。その中で結果を出したのは、やはり飯塚だった。

「ポイントにしていたのは前半から80m地点の直線に入る抜けのところでした。予選ではそれがうまくいってもうひとつギアを残す感じで走れたから、決勝ではもう一段ギアを上げて、直線を駆け抜けようと思っていました」

 こう話す飯塚は、追い風1.8mという絶好の条件に恵まれた決勝で、外側の高瀬の速い入りにも惑わされずにスムーズに加速すると、直線に出た地点でトップに立つ。そしてそのまま乱れることなく走りきり、日本歴代2位の20秒11でゴール。派遣設定記録を突破しての優勝で、五輪代表を一発で決める復活の走りを見せた。

 飯塚は、2010年世界ジュニアの200mで日本人初の優勝を果たした、身長187cm大型選手。後半の強さが持ち味で、次の時代の日本短距離を担う逸材と期待された。その期待通りに12年にはロンドン五輪に出場し、13年世界選手権では準決勝へ進出と順調な歩みをみせていた。

 だが、その中で詰めの甘さが見えることもあった。世界選手権の予選では100分の数秒差で順位を落として、準決勝では不利な1レーンになった。同年10月の東アジア大会では優勝候補筆頭として臨みながらも、ケンブリッジ飛鳥(ドーム)に競り負けて2位に終わった。

 その甘さが足踏みにつながった。14年の日本選手権は3位、アジア大会には出場したがメダルを逃す4位に。その後は走りが狂い、15年3月には太股を痛めた。6月の日本選手権では予選で何とか世界選手権の参加標準記録を突破したが、決勝では右ハムストリングを痛めて歩いてゴールする結果となった。当時高校2年生のサニブラウンが世界選手権でも準決勝に進出、新たなスター候補として脚光を浴びる。飯塚は記録も大学3年時の13年に出した20秒21をなかなか更新できず、悶々とした時期を過ごしてきた。

 しかし、今季は食事を見直すなど肉体改造で体脂肪率を下げ、練習方法も工夫した。さらに昨年の春から取り組んできたコンパクトで力を使わない前半の走りにも推進力が出てきて、理想とする形に近づいてきた。これが春先からの好調につながり、5月3日の静岡国際と8日のゴールデングランプリでは、条件が悪い中で20秒38と20秒40と、まずまずのタイムを記録。「感覚としてはいつでも派遣設定の20秒28は出る感じです」と明るい表情で語ることができる状態だった。

 結局、事前に派遣設定記録を突破できずに日本選手権に臨む形にはなったが、春先から積み上げてきた自信が、決勝で自分の走りに徹することができた要因になった。

「独特な緊張感がある日本選手権の決勝で、久しぶりに自己ベストを出せたのがすごくうれしいですね。本当に自信がありました。それが去年との違いで、やたら集中していたし。それもやっぱりライバルがいるおかげですね。去年は世界選手権をテレビで見て主役になれなかったのが悔しかったし、先輩たちが準決勝へ進んで厳しい戦いをしたのも見ていたから。次はあれ以上の結果を出せるようになろうと思って練習に取り組んできました」

 こう話す飯塚は、ようやくエースとして世界と戦う舞台に立つことをしっかり自覚できるまでになった。

 一方、ケガの影響もあり今季は出遅れていた高瀬も、恐る恐る走った感じの予選では1組3位ながら20秒49を出して決勝へのメドをつけていた。

「東日本は20秒6〜7で走れる状態だと思って臨んだけれど20秒9もかかってしまったので......。今回もある程度のタイムは出して戦える状態ではきていましたが、果たしてその感覚が本当に合っているのかというのが予選ではすごく不安で、硬くなってしまいました。でも決勝ではそういう心の不安感や怖さもなく、すごく落ち着いていけました」

 こう話す高瀬はスタートから飛ばす自分のレースをし、最後は原に競り勝って20秒31で2位となり五輪代表を決めた。

「ケガはほぼ完治していて、あとは気持ちの問題で、決勝ではちょっと吹っ切れたのがよかったと思います。やっと自分の中でタイムと感覚が合ってきたし、心と体が合ってき始めたので、これからもっともっとかみ合っていけば自然に記録と結果はついてくると思います」(高瀬)

 藤光は、準決勝では2組で余裕を持って1位になっていたものの、決勝は直線に出たところで膝の裏側を痛め、6位でゴールという結果になってしまった。その状態を五輪までに戻せるかどうか課題になる。

 自己ベストの20秒33で3位になった原は、「本当は20秒28を出したかったが、今は満足です。また次から頑張ります」と、さっぱりとした表情で五輪落選を受け入れていた。男子200mも、100mと同じように勝ち上がるべき選手が勝ち上がって五輪代表を勝ち取る結果になったといえる。

 飯塚は「五輪で決勝へ進出するためには今日くらいの記録か、20秒0台は必要だと思う。これからもう一段練習のレベルを上げて、そこまで行けるようにしたい」と語る。激戦の日本選手権を経て、彼らの次なる戦いは、リオデジャネイロ五輪での決勝進出という目標に絞られた。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi