20年前――。雨による順延の影響で、異例の月曜日に行なわれた1996年ウインブルドン女子ダブルスの決勝戦は、ひとつの金字塔が打ち立てられた日でもあった。

 31歳のベテラン選手ヘレナ・スコバ(チェコ)と組み、英国が誇る伝統のセンターコートに立ったスイス人の少女は、柔らかい栗毛を揺らしながら軽やかに芝の上を駆け、相手の意表を突くボレーやロブなど多彩なショットを操りながら、試合を勝利へと導いた。当時15歳(正確には15歳と282日)の少女はこの瞬間、1887年にシャーロット・ドッド(イギリス)が樹立した記録を3日間短縮し、グランドスラム史上最年少の優勝者となる。

「この記録は、とても欲しいもののひとつだった。だって私がまだ手にしていない、数少ない"最年少記録"のひとつだもの」。

「天才少女」の名を欲しいままにしたマルチナ・ヒンギスが、その証(あかし)を鮮やかに歴史に刻んだ瞬間――。チェコスロバキアに生まれ、移住地のスイスで母親の英才教育を受けて育った15歳は、天真爛漫な笑顔を振りまいた。

 そのウインブルドンから時は流れ、世紀が変わり、「ひと昔」と呼ばれる年月を2つ重ねた今日もまだ、ヒンギスが打ち立てた記録は破られていない。そして35歳になった今、マルチナ・ヒンギスはふたたび女子ダブルス界を無邪気に支配する女王となっている。

「元祖・天才少女」がこの20年間に辿った足跡を掛け足で振り返ると、以下のようになるだろうか。

 1997年1月に16歳3ヶ月で全豪オープンを制し、テニスのプロオープン化(1968年)以降はもちろん、「20世紀最年少のグランドスラム・シングルス優勝者」となる。またその2ヶ月後の1997年3月には、史上最年少の世界ランキング1位に座した。

 22歳のとき、突如引退。度重なる左右の足首のケガが理由とされたが、実際にはバーンアウト(燃え尽き症候群)や、ウィリアムズ姉妹に代表されるパワーテニスに押され始めたがゆえの、モチベーションの低下も大きいと見られていた。

 2年後の2005年、現役復帰を宣言。2006年には全豪オープン・ベスト8、東京開催の東レPPO(パン・パシフィック・オープン)で準優勝するなどの結果を残し、トップ10にも返り咲く。

 2007年、ウインブルドンでのドーピングテストで、コカインへの陽性反応が出る。本人は使用を否定したが、2年間の出場停止処分が下されると同時に、2度目の現役引退へ。

 2009年、出場停止処分解除。コーチ業やエキシビションなどで、ふたたび公の場に姿を現す。

 2013年7月、"ダブルス限定"で現役復帰。複数のパートナーと組んだ後、2015年3月からはダブルスのトッププレーヤーとして活躍していたサニア・ミルザ(インド)とペアを結成する。

 いきなり3大会連続優勝の好スタートを切ると、その後もウインブルドン、全米オープン、さらに今年1月の全豪オープンを制してグランドスラム3大会連続優勝。その間に「41試合連続勝利」という、とてつもない快進撃も見せつけた。ミルザとのペアは現在、チームとしてのダブルス・ランキング1位。個人でも、ヒンギスはミルザと並んでダブルス・ランキング1位タイである。

 なお、この激動の20年の間にヒンギスが演じた役目として、日本のテニスファンにとって忘れがたいのは、1996年のWTAツアー最終戦の2回戦で、「伊達公子の引退試合の相手」を務めたことだろう。当時16歳になったばかりのヒンギスは、すでに貫録すら漂わせる世界の2位。6−1、6−2のスコアで伊達のキャリアに終止符を打った天才少女は、試合後の握手の際、「第2のキャリアにグッドラック」と伊達に声をかけたのだという。

 このときヒンギスが言った「第2のキャリア」とは、ふたたびコートに戻る日を指したわけではないだろう。それでも伊達は、突然の引退から12年後の2008年3月に現役復帰を宣言し、周囲を驚かせた。そしてヒンギスもまた、2度の引退を挟んでコートに戻ってきたのは、前述の通りである。

 2013年夏、2度目の復帰を果たしたヒンギスの試合のコートサイドに、クルム伊達の姿があった。

「ヒンギスを見てみたい」......純粋にそれが、クルム伊達の観戦理由。実際に見たその印象は、「上手すぎてビックリ。さすがは元天才少女ですね」というものだった。"うまさ"にかけては多くの選手が舌を巻くクルム伊達が、驚きを隠せぬほどに、ヒンギスの"巧みさ"は頭抜けていた。

 柔らかなリストワークで、相手が予測不能なコースにあらゆる球種を打ち分けるテクニック。あるいは"読み"のよさで、常に相手の打つコースへと最短距離で走り込む戦術眼......。それら、ヒンギスを天才と言わしめる要素は観戦者の目にも明らかだが、同じコートに立つ競技者は、より脅威として肌身で感じるようである。

 たとえば今年4月、日本トップのダブルスペアである穂積絵莉と加藤未唯は、ヒンギス/ミルザ組と対戦し、1−6、1−6の完敗を喫した。

「今まで通用してきた自分たちの持ち味が、何も通用しなくて......」

 そう愕然とする穂積は、ヒンギスの"すごさ"について、次のように説明した。

「特に大きく動くわけではないけれども、ポジショニングがすごくいいので、いつの間にかこっちの打つコースがどんどん狭まっていく。読みもいいので、ボールを打つところ、打つところにいる感じで......。それに、同じボールを続けて打つことがないので、同じリズムでやらせてくれない」

 また、今年5月の全仏オープンで、その穂積と組んでヒンギス/ミルザ組と対戦した日比野菜緒も、こう証言する。

「常に、何かしら意味のあるボールを打っているように感じた。試合の流れもよくわかっているので、こちらの心のなかを読まれているような気がして......」

 16歳で世界の頂点に立った天賦の才に、経験を重ね磨きをかけたからだろうか。ヒンギスの「試合を支配する能力」は今や、ネットを越えて相手コートや心の内にまで及んでいるようである。

 先の全仏オープンで、ヒンギスと組んで男女混合ダブルスを制したダブルスの名手、リーンダー・パエス(インド)は言った。

「彼女のテクニックは素晴らしい。だが、彼女を真の勝者と言わしめるのは、ふたつのこめかみの間にあるもの(頭脳)だ。だからこの"ヤング・レディー"は、これほどのチャンピオンなんだ」

 この賛辞をとなりで聞いていたヒンギスは、素早くジョークで応じる。

「そうね。わたし、17歳になったばかりだもの」

 昨年のウインブルドンで女子ダブルスを制したとき、ヒンギスは、「新しい人生が始まったみたい」と笑った。

 少女のようなモチベーションを胸に抱きながら、その頭脳には、豊富な経験に依拠する膨大なデータを蓄積する35歳――。"第2の人生"を謳歌中の元祖・天才少女は、20年前と変わらぬ天真爛漫な笑顔を振りまきながら、ウインブルドンへと帰還する。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki