中国メディア・視界網は25日に掲載した記事の中で、日本人のモラルの高さは「世間」という厳しい監視の目があるからこそであると論じた。中国人には、日本の「世間」は一体どのように映るのだろうか。(イメージ写真提供:123RF)

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 中国メディア・視界網は25日に掲載した記事の中で、日本人のモラルの高さは「世間」という厳しい監視の目があるからこそであると論じた。中国人には、日本の「世間」は一体どのように映るのだろうか。

 記事は、日本語と中国語では「世間」の意味が大きく異なるとし、中国の「世間」は「社会」を表す比較的抽象的な用い方をされるのに対して、日本語はより具体的に「自らが所属する社会の群れ」を示し、そこには職場や近所、同級生、さらには上司と部下、先輩と後輩などといた構造が存在すると説明した。

 そして、このような大小さまざまな「世間」の枠のなかで、日本人は自然に「他人の顔色を窺い、謙遜で礼儀正しい」性質を身に着けるゆえ、「空気が読めない人」にはならないとした。また、日常生活において「世間」からはじき出されることを恐れていると論じた。

 記事はまた、日本における「失礼」の概念についても言及。公共の場所で騒ぐこと、ケンカをすること、他人を不快にさせることが「失礼」にあたり、極端な場合には「女性が誰かに突然抱き付かれても、街頭で大声を出すのは失礼になるため、叫んだりしない」という考え方にもなると解説。さらに、不祥事を起こした企業の謝罪シーンでは、まず社会に対して頭を下げ、その次に被害を受けた人に謝ると説明。そこには「『世間』に余計な心配や不安をさせたことが最大の『失礼』である」との認識があるのだとした。

 「世間」という言葉とペアでよく用いられるのが、「しがらみ」という言葉。何かをしようとしても、さまざまな「世間のしがらみ」によって実現できない、あるいは困難が伴うということは日常的に発生する。そこを強行突破すれば、最悪の場合「世間」からはじき出されてしまうのだ。中国にも人間関係によるいざこざはあるかもしれないが、それにしても日本の「世間の目」の厳しさには、戸惑いを覚えることだろう。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)