【妄想】彼に「役所って、夜も開いてるのかな」って言われてドキドキした話

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私には、付き合って4年目の彼がいる。やさしくて、いつも笑顔。人が良すぎるのがタマにキズだけど、そこが好きなところの一つでもある。

同棲をして2年目だけど、彼は帰りが2時を過ぎるため、私はだいだい眠っていて、顔を合わせるのは朝くらいしかない。

「おはよう。昨日は?」

「お客さんがなかなか帰らなくてね、朝5時まで」

「いつも大変ね」

彼の仕事は、小さな居酒屋。

1年前、恵比寿に出したお店なのだが、自分と大学生のバイト2人で営業をしているため、ほぼ休みなく働いている。

それでもずっと「店を出すのが夢」と語っていた彼にとって、毎日楽しい日々を送っているように見えた。

「次の休みは何か食べたいモノ、作ってあげるからね」

そう言って、寝起きの顔で私を抱きしめ、玄関で見送る彼。

少ない休みだけれど、二人でいる時間はかけがえのない時間に感じる。

店の経営が安定したら、私との結婚とか考えてくれてるのかな?

まだ、私自身もそこまで現実的に考えていなかったけれど、結婚指輪を輝かせる友人がひとり、またひとりと増えていくたびに、心のどこかで期待と不安が膨らんでいくのを感じていた。

◆PM23:30のオフィス街

Young Businessman Hanging Out with Friends at the Bar

大学を卒業してすぐ、丸の内にオフィスがある、大手商社で働き始めた私。

毎日終電で帰るのは当たり前で、心身ともに疲れ切っていたのを覚えている。

大変なのは仕事に慣れない今だけだ。そう思って毎日必死に仕事をこなした。

就職をして3か月が経ったある日。

会社の接待で飲み会に駆り出された私。先輩の真似をして、取引先のハゲたオジサンに媚びを売り、ちょっとくらいセクハラな発言をされても笑顔でかわした。

飲めないお酒も飲まされて、フラフラになりながら電気の消えた、都会とは思えないほど真っ暗な丸の内のオフィス街を歩く。

「おなかすいたな……」

そういえば、接待に必死でほとんど食事に手をつけていない事に気が付いた。しかし、23時半の丸の内で入れる店などあるわけない。

そう思ってタクシーを拾おうと、表通りをひたすら歩いた。

◆目尻の深いシワ

Young woman walking at city in night

真っ暗闇の丸の内には、なかなかタクシーが通らない。

電車で帰ってもよかったが、帰宅ラッシュの満員電車に乗ったらさらに酔いが回りそうだったので、少し歩いてタクシーを拾うことにした。

私は、大手商社に入って何がしたかったのだろうか。

元々、栄養士か保育士になりたかった。そのための短大の資料も取り寄せていたけれど、両親から4大じゃないと学費を払わない、と言われ仕方なく指定校推薦で有名大に進んだ。

なんとなく受けたこの会社に営業として受かり、働き始めたのだが……

「明日も仕事か……」

生暖かい初夏の夜空に、小さなため息を漏らしていた。

ふと視線を前へやると、大きなオフィスの脇に、明かりが灯っているのが見えた。

こんな時間にやっている店が?興味が沸き、店内を覗いてみる。

小さな木の建物で、おしゃれな感じにツタが生い茂っている。扉も木製で、正方形のガラスから中の様子をうかがう事ができた。

中には2、3人の客が店員さんと仲良く話しをしている。美味しそうなカレーのにおいがして、ぐぅ、とおなかが鳴った。

すると、ガラス越しに店員の男の人と目が合い、こちらに近づいてくる。

扉が開いて、「よろしければ、一杯いかがですか」とその店員さんが声をかけてきた。

白いシャツがよく似合う、笑顔が素敵な人。目尻の深いシワが、人の良さを物語る。

私は誘われるがままに店内へ入っていった。

◆笑顔のキーマカレー

Eating Delicous Homemade Chicken Curry Dish with Rice

こじんまりとした店内。木のカウンターが10席ほどと、テーブルが4つ。どうやら居酒屋のようで、2、3人いた客はどうやら常連客のようだ。

「いらっしゃいませ、何にしますか?」

「あ、どうしよう……お腹がすいてて……」

「仕事の帰り道でした?僕が引き止めちゃったんで、何かおごりますよ」

 そういって、彼はその店のオススメだというキーマカレーを私の目の前に出してくれた。

お母さんのカレーのような、素朴な味のルー。細かく刻まれた野菜やひき肉にも、いいスパイスがきいている。

「おいしい!居酒屋さんでこんなおいしいカレーが食べられるなんて!」

「うちはカレーだけは天下一品なんです。喜んでもらえてうれしいです」

そう笑った店員さんの顔は、何一つウソのない笑顔だった。

私が就職をしてから、すっかり忘れていた、本当の笑顔。

気が付いたら、私も自然と笑顔になっていた。

「あの……また来てもいいですか?」

「ぜひ、いつでもカレーを食べにいらしてください」

私は週に1回ほど、その居酒屋へ通った。彼とはお店以外でも二人で会う仲になり、徐々に距離を近づけていった。

彼と会うと、どんなに仕事で疲れていても、笑顔になれる。

そして自分の夢に向かって真っすぐな、彼にどんどん惹かれていった。

◆金曜日の夜更かし

付き合うようになってからは、休みの日は彼が手料理を振る舞ってくれ、家で過ごすことがほとんどだった。

一緒に住んでいても会える時間は少ないけれど、いつか彼のお店を手伝えたら……密かにそう思って、料理を勉強している最中だ。

「今日は久々に、カレーでもつくろうかな」

明日は土曜日。ちょっとくらい夜更かしをしても大丈夫。カレーを作って、彼の帰りを待つことにした。

彼の得意なキーマカレーの味を思い出しながら、試行錯誤をする。

あの時の味。忘れていた笑顔を思い出させてくれたキーマカレー。

「ただいま……あれ、まだ起きてたんだ」

「うん、明日休みだからね」

「そっか、今日金曜日かー。あ、カレー作ったでしょ?おいしそうな匂い」

そう言って、子供みたいに笑顔を見せる彼が、たまらなく愛おしかった。

◆役所って、まさか

Signing  divorce papers

「あの丸の内で初めて食べた味を思い出しながら作ったんだけど……どうかな?」

「うん、おいしいよ。かなり近い感じ!これならお店に出せるかも」

「本当?うれしいな。いつか私も、お店を手伝えたらって思ってるから……」

そういって、口をつぐむ。彼の負担にはなりたくなかったので、変に結婚を意識させたくはなかったのだ。

彼も、自分のお店を持ったばかり。きっと、結婚のことはまだ先だと思っているに違いない。

彼の食べ終わった食器を洗う。焦らなくても、きっと彼はいつか将来のことを考えてくれるはず。

こんなことばかり考えてしまうなんて、本当は焦っているのだろうか?

彼はソファでビールを飲みながら、撮りためていたバラエティ番組を観ている。

「そういえば、役所って夜中でも開いてるのかな?」

彼がボソッと独り言を漏らした。

「え……?役所?何か手続きでもするの?」

「うん、まあ、ね」

意味ありげに言葉を濁す。

役所って、まさか……婚姻届け……?

そんな一言に、胸が躍ったのがわかった。

「まさかね。私ってば、やっぱり焦ってる」

なんだかおかしくなって、ふっと笑みをこぼす。

「なんかいった??」

「ううん、なんでもない」

いつか、本当に婚姻届けを出す時が来たら

その日はお祝いに、2人でキーマカレーを食べよう。

その時までに、もっとおいしく作れるように、

もっと2人が笑顔になれるように。