インタビュー“する側”の経験

漫画家なんで、普段文章は書きません。ですが実は10年以上前、まだ全然連載漫画を始める前に、レビューのお仕事をやらせてもらっていたことがあります。新しくリリースされるDVD作品の紹介です。作品への興味のあるなしに関わらず、割に楽しく、粛々と、文章を書いていたと思います。

レビューのほか、作品の監督や出演者に会いに行ってインタビューをし、それを4コマにするというのもやっていました。今でこそ時折インタビューをしてもらえる機会を持つようになりましたが、インタビューは受ける側よりもする側の方がずっと疲れます。経験上。

聞き上手はモテるってたぶん原始時代から言われてると思いますが、もちろん私もとことん上手に聞かれたいクチです。

そして当たり前ですがインタビュアーは聞き役なわけです。当時まだ若くて人間が練れてない上に生来自己中心的な性格の自分には、この仕事はまさに重荷でした。しかしこれがすごく役に立つ経験になったのです。

漫画のキャラ立ては「説得力」

漫画を描いていて最大の関心事は「どうやって面白い話を作る(思いつく)か?」これだと思います。

連載もらえるようになるまでは(なってもだ)、編集者から嫌っていうほど「漫画内のキャラを際立てろ」ということを言われるんです。もし漫画を描いてる人が読んでたらきっと大いに頷いてもらえるはず。本当にそればっかり、言われるんで。

この二つに対する答えはひとつで、とにかく説得力のある人物を描けば良いのです。

説得力のある人物の描写というのはつまり、いそうな人が言いそうなことを言い、やりそうなことをやる、こういうことですが、物語における人物はこれだけではだめで、それらを踏まえて尚、斜め上な人が、斜め上なことを言い、斜め上なことをやってしまう、という表現が必要です。

そんな事象を自分の頭の中だけで産みだすのは天才以外無理ですから、まずわたしは天才じゃないっていうことでその当時、つまり連載が取れない当時、かなり衝撃を受けていました。
自分には面白いキャラが作れない。自分の中に、取って出せる個性がないということに傷ついていました。若いですね。

聞き役の前に現れるオーロラのような瞬間

さてインタビューですが、下手くそながらも聞き役に徹しているうち、時々不思議な手ごたえを感じるようになりました。

お相手は同じ作品を何度も宣伝しているので、受け答えはとてもスムーズです。だからそれに甘えていれば一応、仕事は成立していました。情けない話ですが。

ただ時々、これは「私」に話しているんだという言葉に辿り着くのです。

名もない、漫画家にもなりきらない「私」に、「芸能人」みたいな人が本当のことを言っている時がありました。

またその後、やっと貰えそうな連載の準備で、色んな方に話をうかがいました。こちらは芸能人じゃなく、一般の、普通の人です。普通だけど例えば何代も同じ古い家に住んでるとか、そういう人にいろいろお話を聞きました。いわば取材なんですが、その中にも、あっという瞬間がありました。

いずれもその時彼らがくれた本当の言葉っていうのは、まったく重大なことではなくて、なんだったら取材の本質には無関係であり、他人にとっては瑣末な、でもどうしようもなく本当のことなんです。

わたしたちは思っている以上に、見せたい自分を補強するような言葉を並べたがるし、相手もそれを前に、こちらが欲している言葉を返しています。そういうのをスムーズな会話って呼んでしまうふしがあります。

それでも興味を持ち続けて、なにかをじっと待つような気持ちで相手に耳を凝らしていくと、その瞬間が訪れることがあります。

そのときに聞いた本当の話っていうのは、そういう予定調和を軽く覆します。いつも、斜め上なんです。

徹子が引き出した、西村京太郎の「うつぶせ寝」

徹子の部屋って皆さん一回は見たことあると思いますが、ある時西村京太郎先生が出演された回をたまたま見ていたんです。西村京太郎先生ってあの、ミステリー作家の大御所の西村京太郎先生ですが、先生はおふとんにうつぶせに寝転んで執筆するそうなんですよ、ミステリー小説を。他のエピソードは全部忘れましたが、これだけは未だ鮮烈に覚えています。

そこに誰かが注目しなければ、時間とともに消えて行くほど自然ではかなく、可愛らしい話です。ものすごく些細であり、ものすごく斜め上であり、そしてどうしようもなく本当の話ではないでしょうか。

物語に必要な説得力は、つまりこういうところにあると、私は発見したのです。

どんな相手であっても、こういうキュンとする話を引き出せるかどうかは自分次第というか、そこはさすがの黒柳徹子、やっぱり聞き役の器にかかっているということで、面白い漫画を作るべく、あの頃から私はいまだ精進している途中です。

(鳥飼茜)