『ファミリー・レス』奥田 亜希子 KADOKAWA/角川書店

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「シュガーレス」とは糖類を含まないこと。「ホームレス」とは住む家がない人。「セックスレス」とはカップルの間で性交渉のない状態。では、「ファミリー・レス」とは何なのか?

 本書は連作短編集。6編すべて家族にまつわる物語だ。どの家族もいわゆるワケありの状態。親やきょうだいの間に大きなわだかまりがあったり、突然介護問題が降ってわいたり、血がつながっていない者同士いっしょに暮らしていたり。例えば「プレパラートの瞬き」という短編。主人公の希恵は広告代理店に勤め始めた新入社員。入社して間もなくシェアハウスで暮らし始めた。実家では、両親と友だち同士のように仲のよい姉・光美との四人暮らしだった。最近光美に娘が生まれ、母はひんぱんに孫の写真をメールで送りつけてくる。それらを見たシェアハウスのルームメイトの葉月さんは、「孫の誕生で頭のネジが飛んじゃった」「祖母馬鹿」と容赦ない発言を口にする。朗らかで前向きな母に育てられ正方向の言葉しか語れない希恵と、貧しい家庭に育ち物事を明るい面からはとらえられない葉月さん。前向きでいつも笑顔でいるのが美徳とされる傾向は確かにある。だが、希恵が心に秘めた思いを打ち明けられたのは、万事に否定的な葉月さんに対してだけだった...。

 家族だからこそ言えること、家族にだから言えないこと。それが鮮やかに描き出されたのが「アオシは世界を選べない」だ。本書の最後に置かれたこの短編の語り手は、犬のアオシ。美大予備校講師だった飼い主・片江は最近亡くなり、来週が四十九日。そんなとき、予備校の教え子だったと名乗る仲原という男が訪れる。出迎えたのは、結婚式直前に破談となり実家に戻ってきた長女の亜砂。昼間から酒をあおるようになった亜砂は焼香をすませた仲原を引き留め、彼の前では父親がどんな人間だったのかを尋ねる。亜砂は、自分勝手で女癖の悪かった父親に対して否定的だった。お互いが片江について語り合ううち、とある事実が判明し...。

 冒頭に掲げた疑問点について改めて考えてみた。「〜レス」とは、「〜がない」という意味で使われる言葉であることがわかる。しかし本書において、家族がいないという登場人物の話は出てこない。彼らはそれぞれがやっかいな家族とともに生きている。であれば、「ない」のは理想の家族なのではないだろうか。さて、さらなる疑問が生まれてしまった。理想の家族とは何なのか? ステレオタイプとしては、"優しくてよく遊んでくれるおとうさんときれいで料理上手なおかあさんがいて、かわいい子どもたちがふたり(できれば男の子と女の子がひとりずつ)"みたいなことだろう。でも、条件がクリアされていても内情は荒んでいる場合だってある。本書にも上記と同じ家族構成がいくつか出てくるが、何かしら問題を抱えているし。でも結局のところ、問題のない家庭なんてないのだ。絶対に許せないと思うこともあれば、一緒に暮らせない場合もある、それでも家族であることからは逃れられない。どんな状況にせよお互いが家族であることを受け入れて暮らしていくことができれば、たとえ理想形からは遠くてもそこに幸せを見出すことは可能だろう。私たちはみんなファミリー・レス、それでいいと思う。

 著者の奥田亜希子氏は、2013年に『左目に映る星』(「アナザープラネット」を改題)で第37回すばる文学賞を受賞。本書が私にとっての初奥田本だったのだが、なぜもっと早く読んでおかなかったのかと過去の自分を叱り飛ばしたい。読みながら「この気持ち共感できる〜!」と感じることがしばしばで、こんなうまい(「巧い」という漢字で書き表すべきタイプ)作家だとは思いもよらなかった。今なら著作は全3冊、遡って読まれてみてはいかがでしょう(私も読みます)。

(松井ゆかり)