「トットてれび」(NHK 総合 土よる8時15分〜 2016年4月18日〜6月18日)
脚本:中園ミホ 演出:井上剛、川上剛、津田温子


最終回。深い深い満足とともに、疑問が浮かんだ。いったいなぜこんなドラマを。
生前葬というのがあるが、「トットてれび」はあたかも黒柳徹子の生前追悼番組のようだったから。

「8時15分です」と黒柳徹子(本人)の合図ではじまる「トットてれび」が、6月18日(土)に「8時44分です」という合図で幕を閉じた。
前半の4回は、玉ねぎ頭がトレードマークのトットちゃんこと黒柳徹子の若き日の姿をテレビ(ジョン)の黎明期と並べて描く「青春編」、後半の3回は、向田邦子(ミムラ)、渥美清(中村獅童)、森繁久彌(吉田鋼太郎)との友情と別れを1話ずつ丹念に描いた「友情編」。
前編の、まるで夜放送している朝ドラのようなまばゆさや瑞々しさとうって変わって、後編は、情緒的で思索的な、「青春の終わり」編というタイトルでもいいくらいであった。
なにせ、トットちゃんのまわりから、ひとりまたひとりと仲間が去っていくのだから悲し過ぎる。
昭和51年、トットちゃんはトーク番組「徹子の部屋」を開始、司会者という新たな路線を拓いていく。
5話でメインを張る作家・向田邦子も、トットちゃんと並んで頭角をめきめき表し、ラジオドラマ、テレビドラマの脚本でヒット作を書きまくり、さらに小説で直木賞まで獲得。作家として油が乗った時に、飛行機事故に巻き込まれて世を去った。
「止まり木」だったとトットちゃんが言う向田さんの住んでいたマンション(引っ越し前)の中で、黙々と机に向かっている向田さんと、ソファに寝転がってリラックスするトットちゃん。黙って同じ部屋のなかで過ごすこともあれば、たわいない話にいつまでも興じることもあり、饒舌と沈黙のどちらも共有できる関係性は本当に理想的だ。
ただ、こんなにも一緒にいた向田さんの秘密の恋のことを、トットちゃんは何も知らない。

6話は「男はつらいよ」の渥美清。トットちゃんとは、男女の関係を噂され週刊誌に記事を書かれたこともあるほどの仲の良さ。「お兄ちゃん」「お嬢さん」と呼び合って、お正月には渥美清の主演映画「男はつらいよ」を一緒に見に行くのが恒例。でも、渥美清は結婚して子供もできて、その家庭をトットちゃんに決して見せることはなかった。それをトットちゃんは「秘密主義者」とからかった。
渥美清が病気になって仕事を休んでいても、トットちゃんはなぜか気づかず、温泉に女と行っていたに違いないと言いはり、渥美清を大笑いさせる。この時の渥美を演じる中村獅童が思いきり泣き顔にしていて渥美清の切なさが強烈に伝わってきた。中村獅童は泣き顔がいい。
面白いのが、渥美清を失った後、彼のことを思いながらスタジオを歩くトットちゃんは白いベールに白いワンピースで、ちょっとお嫁さんのようにも見えること。
トットちゃんが渥美清に昔あげた本「星の王子さま」を最初に渥美清が読んだ箇所は、
「そりゃもうあたくし あなたがすきなんです あなたがそれをちっともしらなかったのは あたくしがわるかったんです(略)あなたもやっぱりおばかさんだったの」。
世に流布している黒柳の回想では、渥美清が黒柳のことを好きだったのではないかという見方だが、「トットてれび」では、トットちゃんが渥美清を好きだったのではないかというようにも見える。渥美清の行いに「あなた一生結婚できない」「あなたについていく女はなし!」と ぷんすか怒るトットちゃんは乙女そのもの。
たまねぎをむくトットちゃんと「かんじんなことは目に見えないんだよ」という「星の王子さま」有名なフレーズ。「男はつらいよね 女もつらいよ 女だって つらいよ 女だってつらいよでございます」とつぶやくトットちゃん。すべてが、トットちゃん片思いフラグに見えてくる。
もしかしたら、前述の「星の王子さま」を読んで渥美清が勘違いしちゃったっていうことなのかもしれないが。
「トットてれび」後半は、それぞれの人生に深くフォーカスしていくものの、肝心なところは明示しない。
だから恋なのかそうじゃないのかは勝手に楽しむとして、トットちゃんに向かって彼がめいっぱい笑っていたのは、トットちゃんは笑わせてくれたのもあるけれど、「星の王子さま」にある「笑い上戸の星を見るわけさ」を覚えていた渥美清が、トットちゃんにはめいっぱい笑顔を見せたのではないかと考えてみる。
こうして笑顔の記憶を残して消えていった渥美清は、留守電に最後のメッセージを吹き込んだ。先に世を去った向田邦子も、旅行前に留守電に吹き込んであった挨拶が最後の言葉として残る。
トットちゃんが何度も何度も聞き返す留守電のメッセージが胸を打つ。

7話は森繁久弥。トットちゃんとは20歳年齢が上で、俳優として大先輩。「一回どう」と会うたびにトットちゃんを誘い続けるというユーモアをもった名優の、老いてなお圧倒的なエンターテナーぶりが描かれた。それは、予定調和を許さない常に斬新なパフォーマンスを追求する姿勢だ。
昔から台詞覚えが悪くて、カンペをあちこちに用意していた森繁。カンペを読んでいるにもかかわらず、視聴者は彼の台詞に感動する。森繁は最後の最後までそういうやり方を貫いた。88歳の森繁が「徹子の部屋」に出た時のこと、老いた森繁は徹子のフリに全く応えない。これが老いなのかと落胆しつつ、それでも希望を捨てない黒柳徹子。森繁の俳優としての魅力を視聴者に伝えたいのだと叱咤激励する。すると森繁は、第1回にゲストで出たときに歌った「知床旅情」を歌い出す。
そこへ、視聴者として、老人ホームのテレビで見ていた王さん(松重豊)が出て来る。トットちゃんたちの行きつけの店だった新橋の中華料理店の店長・王さんもすっかり老いて施設暮らし。だが、歌を聴くと、覚醒したかのようにしゃきっとなって、老人たちと大声で歌い出す。
テレビに「面白さ」を求め続けた森繁は、予定調和のトークショーをひっくり返して、弛緩した老人たちの心をも揺り動かしたのだ。台詞を覚えなかったのは、覚えた台詞はアクチュアルじゃない、覚えてない緊張感で吐く台詞のほうが心を奮わせると思っていたのではないかという演技論にもなっている。
老いて何もできないんじゃないかと不安にさせる状態の森繁を、そのままにしなかった黒柳徹子もさすがだ。
向田邦子との友情、渥美清とのほのかな恋を経て、最終回では、森繁久弥との芸の道を極めようとする者同士の妥協を許さない関係が描かれた。
・・・と思いきや、向田にも渥美にもそれぞれの矜持が描かれている。
向田は、自分の書いた台本にアドリブを足さないようにと、大先輩である恩義のある森繁に毅然と言う。
渥美清は、自分の映画を映画館に観に行って、観客の反応を膚で感じる。
ああ、かつて、こんなにも自由で、映画やドラマに懸命で、ユーモアのセンスがある人たちがいたのだ。
2016年の今、残っているのは黒柳徹子だけ。
先人の偉業がすごければすごいほど、その喪失は大きい。
デビュー作からの思い出の品々が並んだ、真っ暗なスタジオを歩く黒柳徹子。空間に一面に思い出の映像が映写される。
まるで、マクベスが栄光と人生の終わりに来て、「明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、(中略)人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、(後略)」(小田島雄志訳)と語る名場面のよう。
「トットてれび」では名場面をこんなナレーションで彩る。
「でも トットちゃんは 逆に 死ぬのは 怖くないとも感じている。
あんなに すごい人たち みんなが 体験した事なのだから」(パンダ・小泉今日子)
そして黒柳徹子は台詞を語る代わりに、踊るのだ。さすが舞台俳優でもある。
あたかも黒柳徹子の生前追悼番組のような「トットてれび」は、「テレビは面白い」ものであれという矜持のひとつのようでもある。
100歳で時報やろうとしていたらプロデューサーが亡くなっちゃって なんていうブラック過ぎる話も笑った。
最後は「徹子の部屋」と並ぶ黒柳徹子の名司会作「ザ・ベストテン」の体で、これまでの出演者が大集合。
第1話で出てきたトットちゃんの映えある初主演作の歌「出発の歌」でお別れ。
「お別れは悲しいけれど 出発は嬉しいな」という歌詞は、向田邦子と徹子の出会いのきっかけとなった「禍福はあざなえる縄のごとし」と同じく、お別れと出発と悲しさと嬉しさが混ぜ混ぜになった世界を表している。

NHKやテレビの歴史を振り返るような形ではじまったドラマが、人生の輝きを経て、どう幕を引くかにまで真摯に迫った。
死は悲しいけれど、満島ひかりが、時々、ふっと黒柳徹子が憑依したかのような表情や姿勢になる時があって、全身全霊、黒柳徹子役に打ち込んでいるその姿は、亡くなっていった先人たちの思いを継いでいるかのように見えた。それが希望だ。
(木俣冬)