今井美樹さんの「PIECE OF MY WISH」、坂本真綾さんの「プラチナ」、近年ではももいろクローバーZの「サラバ、愛しき悲しみたちよ」。これらの曲を、同じ作詞家の女性が手がけていることをご存知ですか? 女性アーティストを中心に数多くの作品を手がける岩里祐穂(いわさと・ゆうほ)さん。23歳でデビューした岩里さんは、今年作詞家生活35周年を迎えます。時代によって移り変わる女性像を、彼女はどのように言葉で捉えてきたのでしょうか?

歌手デビューと同時に「燃え尽きた」

――作詞家になった最初のきっかけを教えてください。

岩里祐穂さん(以下、岩里):ずっと「音楽の世界に入りたい」と思っていて、大学時代にオーディションを受け、卒業と同時にシンガーソングライターとしてデビューしたのがスタートです。ただ、デビューしたとたんに燃え尽きてしまったというか、シンガーソングライターには向いていないと感じてしまいました。デビューすることが最大の目標になってしまっていたのでしょうね。よく考えたら人前に立つこともあまり好きではないし(笑)。ただ、歌詞を書くことは好きでした。

シンガーソングライターとして活動していたときに、私の曲をいいなと思ってくれた方が堀ちえみさんのプロダクションにいたんです。「曲を書いて持っておいでよ」と言っていただけて、それが作詞家としての始まりでした。そのときに完成した「さよならの物語」がいきなりヒットしたので、かなりラッキーでしたね。

妊娠8ヶ月のときに書いた「PIECE OF MY WISH」

――当時はどんなことを意識して歌詞を書いていたのでしょうか?

岩里:80年代当時は、とにかくキャッチーなフレーズがはやっていました。今でも耳に残るCMのキャッチコピーがいくつかあると思います。私も新人だったので時代が求めるインパクトのある奇抜なフレーズを意識して書いてはいましたが、「さよならの物語」以降はなかなかヒットが出ない時期があって。

そうしたら、あるディレクターさんから「もっと正直に自分の気持ちを書いた方がいいものができるんじゃないか」と言われたんです。そのアドバイスがグサっと胸に刺さって、そんなときに出会ったのが今井美樹さんなんです。

今井さんの曲は、キャッチーな言葉なんていっさい要りませんでした。自分の内面を掘り下げるようにして書いた歌詞を見て、「こういうものを待ち望んでいたの」と言ってくれて。そして1991年に代表曲ともいえる「PIECE OF MY WISH」が生まれたんです。「友達を励ます歌」というオーダーだったのですが、ちょうど私が妊娠8ヶ月のときに、この曲を書いていたこともあって、そのときの心情も自然と曲に出ている気がします。

今井さんに出会って私の詞も変わっていきましたね。強さも弱さも持ち合わせた等身大の女性像や、そのリアルな気持ちの葛藤を描いていけるようになった気がします。それまでは恋愛モチーフがマストな時代でしたし、世の中が求めるものを模索していましたが、このころから、自分の中にあるものを見つめ、女性それぞれの生きざまを書いていけるようになったと思います。

好きなように生きたいから、自分で決める

――岩里さんの人柄は、歌詞のどんなところに表れているのでしょうか?

岩里:私自身迷ってばかりですが、やっぱり強いですよね(笑)。「PIECE OF MY WISH」で描いているような、「いつも迷っていて不安でしょうがないんだけど、でも自分の人生は自分で選ぶんだ」という気合いだけは持っているというか。

自分の好きなように生きたいというのは、小さいころから思っていました。生きたいように生きたいから、自分で決めるのが当たり前という気持ちがありますね。私は音楽が好きだから音楽を仕事にして生きていこうと。ただ、自分の人生を考えたときに、仕事がすべてで結婚という選択肢がないかといったらそうじゃなくて。したいことは全部したい。ちょっと欲張りですが、仕事も結婚もして子供も欲しいという漠然としたイメージが昔からありました。

キーパーソンが誰か、出会ったときはわからない

――仕事も家庭とのバランスが難しいこともあったと思いますが、35年間作詞生活を続けてこられた秘訣は何でしょうか?

岩里:不器用で時間がかかることもあったけど、一つひとつの曲をしっかり書いてきた。ただ、それだけなんですよね。長年仕事をしていく中で子育ての時期もあったし、大変なこともありましたが、不器用だからこそ頑張りすぎないで、まわりにSOSを出すようにしていました。困っているとき周囲に手伝ってもらえたからこそ、仕事にも集中することができた気がします。

すべては人との出会いによって生まれるものだと思います。私も今井美樹さんや坂本真綾さんに出会ったことで、いろいろな仕事での出会いにつながった。人生にはときどきキーパーソンが現れるけれど、最初に出会ったときはその人が自分にとってキーパーソンかどうかなんてわからない。

若いときに1度だけ仕事をしたディレクターから、10年後に大きな仕事を頼まれたこともありましたし、どんな仕事も、20年後にどう影響するかなんてわかりません。だから一つひとつ、どの仕事も大切にやっていくしかない。そして時代の中で、常に新しい自分であること、自分を更新していこうという気持ちを持ち続けることが、長く続けていく秘訣かもしれません。

「根拠のある歌詞をつづっていければ」

――これから先、岩里さんが音楽を通じて伝えたい一番のメッセージは?

岩里:どんな曲を書いても、最後には人生を肯定したいと思っています。人生とは素晴らしいものだと。友情や恋や自分探しや、いろいろな曲のテーマがあるけれど、最終的には肯定を伝えられたらと思います。自分自身がネガティブで、迷わないと次にいけないからこそ、歌詞の中でも簡単には「大丈夫」「頑張れ」なんて言いたくない。

泣き笑いがあって、モヤモヤした日常があって、苦しいこともあって、だけどみんな大丈夫なんだよ、というのを伝えたいです。それでも大丈夫なんだということを、“根拠”のある歌詞を、これからもつづっていければいいなと思いますね。

(成瀬瑛理子/プレスラボ)