連載・佐藤信夫コーチの「教え、教えられ」(1)

 日本フィギュアスケート界の重鎮であり、選手時代から指導者になった今でも、フィギュアスケートの発展に尽力している佐藤信夫氏。74歳になった現在も、毎日リンクに立ち、浅田真央らトップ選手から幅広い年齢の愛好者まで、フィギュアスケートを教え続けている。

 国際スケート連盟の殿堂入りも果たしている佐藤コーチに、フィギュアスケートを教えるということへの「思い」や「本質」、「哲学」を語ってもらった。

 私が「コーチ」という名前をきちんと使ったのは1968年5月からですが、66年に選手を辞めて、それからまもなく指導の道に入ったから、今年でちょうど50年になります。50年にわたる指導の中で、今、一番思っているのは、50年経っても技術の進歩は尽きないということです。今後、フィギュアスケートの技術がどのような進歩をとげるのか、正直言って私にもよくわかりません。

 フィギュアスケート・コーチの役目は、スケートの技術を教えることです。しかし、それだけではありあせん。本番で実力を発揮するには、自分をどうコントロールすべきかを研究する心理学の要素が必要になります。バランスを失わないようにするにはどうすべきか、あるいは速い回転力を得るにはどうすべきかを研究するバイオメカニクス(生体力学)の要素も必要になります。どのスポーツでも言われる、いわゆる「心・技・体」をバランスよく鍛えることです。

 スポーツというのは自分で楽しんでいくものだと思います。だけど、競技生活は一人の人間の力だけでは成り立たない。大勢の人の力を借りて成り立つものです。われわれの時代はマンツーマンという言葉でひとくくりにしていましたけれど、今はもうマンツーマンではなく、一つのチームとして動かざるを得ません。

 そうやって時代が変わってきた中で、選手たちはどうしていくべきなのか。こういう言葉を使うのも、決めつけるのも好きじゃないですけれども、やはりいろいろなことに「感謝」することを忘れちゃならないでしょうね。フィギュアスケートのコーチはスケート技術を教えるだけではなく、「感謝」ができる人間を育てることも大きな仕事。そう思っているので、指導する上での苦労は言い始めたらきりがありません。

 それでもやはり、教える側にも夢があるということが原動力になるんじゃないかと思います。教えていて喜びを一番感じるのは、教え子が「こんなこと、できるわけがないじゃないか」と思っていたことが、気がついたらふっと簡単にやれるようになっていたときです。

 同じことをいくら繰り返しやっても変化しなかったのに、ある域が過ぎたら、いとも簡単にできていたということがある。年に1回か2回、そういうことを感じる瞬間があります。それは本当に不思議な体験ですし、理屈では解明できない出来事です。若い頃からずっと技術を積み上げてきた人が、その道を究めることができるのと同じことかもしれません。なかなかできなかったことでも、努力を積み重ねれば、ある日突然、スーッとこなせるようになるのです。

 どの選手に対しても、初めは無から接することを心がけています。だんだんやっていくうちに「この人はこういう方向に進むのがいいかな」「どういう方向に進みたいと思っているのかな」「でも、もうちょっとこっちのほうがいいんじゃないのか」と、いろいろな可能性を見出していく。

 フィギュアスケートを教えるにあたり、具体的な最初の一歩は、道具について考えることです。そう、スケート靴です。靴が合っているか、ブレードがゆがんでないか。もしゆがんでいれば素直なスケートを覚えられませんから、きちんとバランスが取れるものをあてがうことが必要です。

 その上で一番重要なのは、「氷って何だ」ということです。「氷って、こんなに滑っちゃうものなんだ」ということを体に覚えさせることは、ものすごく大切だと思っています。

 氷の上を滑るというのは、日常生活の中にはないものです。陸上を走る経験は誰にでもあります。水泳もないといえばないかもしれませんが、水に浸かるということはあるじゃないですか。だけど、氷の上に立つということは生活の中にはほとんどない。だからまず、氷ってどんなものなのかということを体感させ、次に、どうやったら素直に立てるのかを感じてもらう。

 立てるようになったら、体重移動をすると進むんだ、ということを教えていきます。しっかりと段階を踏んで素直に学ぶことができれば、後々、とても楽ですよね。自分の力で移動するのではない。自分の体重移動によって勝手に動いていっちゃうんだよ、ということを教えることが大切になります。そこで、「あっ、こんな感じで氷の上を移動していくんだ」ということを知った子どもたちは幸せです。

 これが「スケーティング」というものです。
(つづく)

【プロフィール】
1942年1月3日生まれ。現役時代は全日本選手権10連覇、60年スコーバレー五輪、64年インスブルック五輪に出場。その後コーチとなり、荒川静香、安藤美姫、村主枝章、小塚崇彦らを指導。現在、浅田真央のコーチを務める

辛仁夏●構成 text by Synn Yinha