『クリーピー 偽りの隣人』 (C)2016「クリーピー」製作委員会 

写真拡大

『クリーピー 偽りの隣人』

隣りに住むのは何者なのか? 今、都市に暮らす人間はそんなことを大して気にしていない。顔すら知らないことだってある。そんな現代の東京が舞台の黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』は、郊外の住宅街に引っ越してきた夫婦が得体の知れない隣人との関わりから迷い込んだ悪夢の物語だ。

大学で犯罪心理学を教える元刑事の高倉は、6年前に起きた未解決の一家行方不明事件に興味を持ち、元同僚からの依頼もあって調査に乗り出す。私生活では妻と愛犬と新居に引っ越したばかりで、近所に挨拶回りをするが、どの家もよそよそしい反応。中でも隣りの西野家は、応対した主人は不躾で会話も噛み合わない。物語は、西島秀俊と竹内結子が演じる高倉夫妻と香川照之演じる西野と娘の澪(藤野涼子)の交流と、高倉が元同僚・野上(東出昌大)と調査する「日野市一家行方不明事件」の謎を並行して描くうちに両者が交錯し、澪が西野の目を盗んで、高倉に「あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です」と訴えた時から、思いがけない方向へと転がり出す。

前川裕の同名原作小説の映画化だが、黒沢監督と共同脚本の池田千尋は大胆に脚色し、黒沢映画の世界に引き寄せた。フランス映画のクレジットでよく見かける「librement adapté(自由に脚色)」という表記を思い出す。冒頭に登場する、人を殺して自身もあっけなく死ぬサイコパス、風になびく木々やビニールカーテン、空を飛んでいるかのような車の走行など、トレードマークの映像をちりばめ、共にこれが4度目の黒沢作品出演となる西島と香川が水を得た魚のような好演だ。監督は西島に対して「これまで役所広司さんにお願いしていたような役が、西島さんにお願いできる歳になった」と伝えたそうだが、確かに西島は危機に翻弄されても芯は揺るがない、黒沢作品らしい主人公を演じている。

高倉と康子の夫婦は、黒沢監督が1997年に撮った『CURE』で役所と中川安奈が演じた高部夫妻を想起させる。きれいに整理整頓された家で家事をしながら仕事に出かけた夫の帰りを1人で待つ妻がいて、夫の関わる事件が夫婦の関係に影を落とし悲劇を招く。ただ、寂しさを抱えるという共通点はあっても、康子は高部の妻・文江のように明らかに精神を病んではおらず、善意の塊のような心優しい女性だ。高倉も、高部よりもずっと親身に妻と寄り添っている。それでいて、何でも話せるわけでもなく互いに遠慮がある。その隙をついてくるのが西野だ。

ちょっと気味悪いかと思うと意外といい人だったりして、そうすると何故か必要以上に安心して、余計に親しみを感じてしまったりする。康子に対する西野の距離の詰め方はまさにマインド・コントロールのお手本だ。クリーピー=身の毛もよだつ気味悪さを体現する香川の不気味さは近年でも出色の名演。歌舞伎の舞台に立つようになったからだろうか? 常軌を逸した悪をこれだけ迷いなく大きく演じられる俳優はめずらしい。表情や仕草はむしろ普段より大仰ではないのに、だからこそ不穏。ヤバい空気をまとい、そのヤバそうな気配を相手に気取らせながら、それでも狙った獲物は絶対に逃がさない。だが、そんな西野の狙いは何なのか。病弱で姿を見せない彼の妻、人前では仲良し父娘を演じる澪、そして日野市の事件で1人残され、両親と兄の行方を探し続ける早紀(川口春奈)の存在も絡み合う物語は、この数年来に日本で起きたいくつかの事件にも似て、絵空事に思えない身近な恐ろしさがある。超常現象などではなく、人の頭の中で起きていることが一番怖い。1つ1つ手順を踏んで、思い通りに物事を進めていく精密機械のような人の心が怖いのだ。