“理想”はあっても、やりたいことが見つからずに転職を繰り返し、もがいていた20代。30代半ばで無職になり“どん底”を経験したのち、ようやく40代で満足できる働き方を見つけた須永珠代(すなが・たまよ)さん。「ふるさと納税ブーム」の立役者として知られる彼女が歩いてきた道のりとは――。

“理想の仕事”を手に入れるために転職し続けた20代

――20代の頃は、やりたいことが見つからず、転職を繰り返していたそうですね。

須永珠代さん(以下、須永):新卒で入った会社を1年で辞め、その後は、塾講師に始まり、アパレル店員、営業、コールセンター、結婚相談所のアドバイザーなど、10以上の派遣やアルバイトを経験しました。昔から働くことに人一倍興味があったんですね。

限られた人生なのだから、心から楽しいと思える仕事で、納得感が得られる働き方をしたい。縛られずに自由でいたいし、人の役にも立ちたい。そんな理想を追い求め、転職を繰り返したけれど、探しているものには出会えなかった。20代はずっと“もがいて”いました。結局、思うような働き方をするには起業しかないと考え、「30代のうちに起業しよう」と決意。手に職をつけようと、WEBデザインの専門学校に通い、ITスキルを身に着けました。

――起業に向け、本格的な「スイッチ」が入ったのは、いつ頃でしょうか?

須永:30代前半に働いたベンチャー企業の社長との出会いが、私の価値観を変えました。「いずれは起業したいんです」と社長に告げたら、「それならオレの思考を学べ」と言われ、すべてのミーティングに同席することに。さらにその様子をビデオ撮影し、社長の一挙一動から、「なぜこの提案にNGを出したか」「この発言の意図は何か」を観察しました。

そこで学んだのは、「考え抜くこと」の大切さです。当たり前のようだけれど、実はできている人はすごく少ない。情報収集したことで“考えた気”になっていたり、思いつきをそのまま提案していたり。要は、「掘り下げる」作業をしていないんですね。実際、私もその一人でした。考え抜かれた提案やアイデアは、他人を説得できるだけの言葉とパワーがある。“考え抜くクセ”が物事を突破するカギになると思い、その習慣を取り入れるようになりました。

無職になり「ひき肉チャーハン」で食いつないだ日々

――どんなふうに「考え抜く」習慣を身に着けたのですか?

須永:自宅にホワイトボードを設置し、発想をどんどん書き出す「マインドマップ」で練習しました。よく「脳みそに汗をかく」というけれど、まさしくその通り。「もう出尽くした」というところから、もう一歩、二歩考えないと本当にいいものは生まれない。今でも物事を考える時には、頭の中だけで思い描かずに必ず書き出します。そうして発想をどんどん広げたり、俯瞰で見返してコンセプトからずれていないかを確認しながら、しっかりと煮詰めていく。毎日、少しの時間でもいいので「突き詰めて考える」時間を持つことが大事だと思いますね。

――30代半ばには、リーマンショックの影響で、1年間の無職生活を経験されていますね。

須永:ベンチャー企業を辞め、起業準備に入ろうと思っていた矢先でした。10社以上の派遣に登録してもまったく職を得られず、貧乏生活に突入です。お金がないから、主食はひき肉とごはんを炒めただけの「ひき肉チャーハン」。FXのデイトレードでなんとか日銭を稼ぎ、資格の勉強をして過ごしました。

将来への不安と、誰にも必要とされていないという疎外感から、気持ちがどんどんネガティブに。胸を張れるキャリアもお金もない自分をみじめに感じ、何も手につかない日もありました。知人に声をかけられ、次の会社に就職するまで、1年かかりました。

月420時間働いて気づいたこと

――それでも、起業への思いをあきらめなかった。何が須永さんを支えていたのですか?

須永:いえ、当時は心が折れまくり、何度もあきらめかけています。ただ、少しだけ、「理想の自分」をイメージしていました。人に喜ばれる仕事をして世の中に貢献している自分。どうせなら社会を変えるようなインパクトのあることがしたい。そのためには、自分が成長し続けないといけないし、自由な発想と行動力がないと、みんなを巻き込めない。「こんな人になりたい」という自分像を描き、「今は“なりたい私”になる途中なんだ」と考えるようにしていましたね。

――その後、38歳で起業した時には、「何をやるか」が決まっていなかったとか。

須永:その通りです。起業前に働いていたITベンチャーが激務で、月420時間労働が続き、疲れきっていました。なぜそこまでして働くのかと自問自答したら、「生活のため」。でもそんな人生ってむなしいなと思ったんです。お金だけじゃない価値に身を置いて生きてみたいと思い、とにかく起業しようと踏み出しました。

チャンスを生んだ父のひと言

――「ふるさと納税」で事業をおこそうと思ったきっかけは、何だったのでしょうか?

須永:どんな事業をおこそうかと悩んでいた時、父の「ひと言」がヒントになりました。帰省時に家電の買い物を頼まれ、近所の電気店に行ったものの、検索したらネットショップの方が安かった。そのまま帰宅した私に、「それじゃ地元にお金が落ちないじゃないか」と父。

それまでモノを買う時に、「安い」とか「便利」という価値観しかなかったけれど、地域にお金を使うことで街が元気になる。それって素敵だなと思ったんです。ICTスキルを使い、「地域とシニアを元気にする」というコンセプトを掲げて模索するなか、ふるさと納税の制度を知り、「これだ」と思いました。

――しかし当時は、「ふるさと納税」は全然盛り上がっていませんでした。どうやってみんなを巻き込んでいったのですか?

須永:認知度が低く、役所の担当者も、「ふるさと納税なんて広まらない」と言っていたけれど、地方を活性化させる起爆剤だと感じていました。そこで自治体のお礼の品と使い方を掲載した「ふるさとチョイス」のサイトを立ち上げ、さらに、自治体の職員さんには、ふるさと納税が持つ可能性を懸命に伝えて回りました。やる気のある職員さんがいる自治体には自腹で出向き、地域の魅力が伝わるようなお礼の品を一緒に考えることで、次第に市場が盛り上がっていったんです。

今は不思議なくらい心が疲れない

――「ふるさと納税」ブームの立役者として、日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2016」では大賞を受賞。ですが、当初は受賞を断ったそうですね。

須永:市場を盛り上げられたのは、自治体の職員さんと地方の事業者さんたちの努力があったから。私はそのきっかけを作っただけ。なのに、自分が主役のように扱われることに違和感があったんです。でも、「そういう人たちに光を当てる意味でも、須永さんが賞をもらうことに意味がある」と、ある人に言われ、お受けしました。

――理想の働き方に到達するまで15年余り。ようやく得た今の働き方はいかがですか?

須永:この仕事をしてから、ほとんどストレスを感じなくなりましたね。年の3分の1は全国を飛び回っているけれど、身体の疲れはあっても心の疲れはゼロです。自分でも不思議なくらい(笑)。喜んでもらえていると日々実感できるから、こんな楽しいことはありません。

――年齢重ねると、「なんとなくサビてしまう人」と「より面白そうに生きる人」に分かれるような気がします。須永さんは、今の自分をどう見ますか?

須永:「今の自分が一番面白い」という感覚は、すごくあります。やりたかったことが実現できているし、まわりにそうさせてもらっている。私自身が何かを成しとげてきたというより、思いのある人たちが私を突き動かしているという気がしています。

〈1日の過ごし方〉
6時前に起床。朝食後、愛犬の散歩へ。朝は、ゆっくりと物事を考える時間に。8時に出社し、仕事の準備。日中は、会議や打ち合わせ、取材など。18時に退社し、カイロプラティックに行ったり、軽い運動をしたりして19時に夕食。1時間かけてゆっくり入浴し、23時には就寝。

(西尾英子/写真=洞澤佐智子)