6月12日の陸上日本選手権混成競技会2日目。10種競技8種目の棒高跳びで、4m90を一発で跳んだ中村明彦(スズキ浜松AC)は思い切り右手を突き上げた。その高さは自己タイ記録だが、残りのやり投げと1500mを残した時点で自己最高点を94点も上回っていた。アクシデントが起きる可能性が最も高い棒高跳びを乗り越えたことで、リオデジャネイロ五輪参加標準記録の8100点超えへと大きく前進した瞬間だった。

 2日間で100m、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400m、110mハードル、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500mの10種目を行ない、種目ごとに設定された得点の合計で順位を争う10種競技。どの種目も満遍なく結果を残さなければ勝者にはなれない。特にヨーロッパでは盛んで、その勝者は"キング・オブ・アスリート"と讃えられる。通常はほかの種目と同じ大会で行なわれるが、日本選手権が3日間開催になった2010年からは女子7種競技とともに、混成は単独で日本選手権が開催されている。

 今大会は4月の日本選抜和歌山大会で、自己セカンドベストの8160点を出してすでにリオ五輪参加標準を突破していた右代啓祐(うしろけいすけ・スズキ浜松AC)が最初の100m出場後に棄権。1週間前の棒高跳びの練習でポールが折れて、左手親指骨折と左膝裂傷のケガをした影響からだった。その結果、大会の注目は中村の標準記録突破に集まった。

 そんな状況のなか、中村は最初の100mを10秒69で走り、次の走り幅跳びは7m65と、得意な2種目で自己ベストに迫る記録で滑り出すと、苦手な砲丸投げでは3cmだけ自己記録を更新。初日最後の400mは、風雨が強い中のレースになったが、自己記録に迫る47秒82で走り、この時点で日本最高得点の4278点で前半を終えた。

「競技直前までは正直不安の方が先走っていたけれど、それを乗り越えて結果を出せたのはよかったです。昨年の日本選手権はひとりで記録を出そうと思って空回りでしたが、今年は自分のペースを守りながらも、他の選手たちみんなで盛り上がりながらできました」

 こう話す好例が、4種目の走り高跳びだった。高校時代まで専門種目にしていて2m10を跳んだこともあるが、今年に入ってからは感覚が崩れて1m90台に記録がとどまっていた。だがこの日は中村を含む4名が2m02に挑戦する中で、3回目にそれをクリアしたのだ。

 2日目も最初の110mハードルを、追い風2.1mながら14秒12の好記録でスタート。(混成では1種目の風速が2mを超えても、風速が公認条件になる100m、400mと合わせて風力の平均値が2mを下回れば公認記録となる)

 9種目のやり投げでも苦手種目克服への取り組みの成果を出して自己記録の54m18を投げ、その時点での得点を自己ベストの得点経過の+148点にした。

 最後の1500mは4分28秒で走れば、目標の8100点を突破できる状況だ。トラック種目を得意にする中村が4分10秒台でコンスタントに走っていることを考えれば、標準突破は確実になった。

 それでも中村は「4分28秒で8100点突破と考えて守りに入ってはいけないとコーチとも話した。うまく4分13秒までいけば8200点になると思い、その記録を狙って走った」という。結果は4分16秒30、合計は日本歴代2位の8180点にして優勝。参加標準突破で日本選手権優勝という条件をクリアして、陸上トラック&フィールド種目での初の五輪内定を決めた。

「10種目を通して悪いところもなく、自己ベストに近いところでコツコツ得点を積み重ねられたのが自分のスタイルだし、それをこの舞台でできたのが少し成長したところかもしれない。右代さんがいてもいなくても自分の戦いをして8100点を突破しなければダメだと思っていました。誰がいても自分のペースでできて、右代さんが流れを作ったらそれに乗れるようにしなければいけないと思う」

 こう話す中村は4年前のロンドン五輪には400mハードルの選手として初出場を果たしている。だがそのときは「400mハードルより、10種で出たかった」とこぼしていた。その念願の本職での五輪出場を、初めて手にしたのだ。

 彼のコーチでもある、日本陸連の本田陽混成部長は「昨年初出場した世界選手権では得点を稼ぐべき100mや400mで、(記録のいい)10秒1〜2台や45秒台の選手と一緒になってしまい自分の走りができなかったから、まずはそういう選手と走っても10秒4台や46秒台で走れるようにする必要はある。単種目の自己ベストを合計すれば8400点以上になる。10種の得点はそこから100〜200点は低くなるものだが、ポテンシャルを考えれば右代の8500点台には及ばなくとも、8300点を出す力は持っている」と話す。

 中村も「去年の世界選手権は最後の1500mでは見せ場を作れたが、リオではもう1種目何かで見せ場を作りたい。国際舞台での8000点台をひとつの目標にしているので、リオではそれを実現したい」と意気込む。

 一方、今回は100mだけで棄権した右代だが、国内選考基準のひとつとなっている日本選手権出場をクリアしたうえ、選考競技会のひとつである選抜和歌山大会で優勝しているため、代表に選ばれる可能性は高い。左親指の骨折はボルト3本とプレートで固定している状態だが、ドクターには「1カ月で思い切り力を入れても痛みは出なくなる」と言われているという。その右代も中村と共に代表になれば、五輪の10種競技2名出場は、実に1928年アムステルダム大会以来86年ぶりの快挙となる。

「100mを例えにとれば、ウォーミングアップをして競技場に入り、10秒走ったらそれで『お疲れさま』となるが、10種は2日間全選手が同じ場所でアップをして同じピットで試合をするから、最初のうちはぎこちなくても、徐々にみんなで手拍子をして応援し合うようになる。そういう流れで他の選手に影響されていいパフォーマンスもでき、最後の1500mを走り終えたときには、みんなでやり切ったという連帯感も生まれるのが魅力。中・高時代は混成競技をやっていて単種目になって活躍する選手も多くいるので、そういう楽しさや魅力、可能性を子供たちに伝えられたらとも思う」

 こう話す中村の夢が実現する第一歩が、代表2名で戦うリオ五輪になるはずだ。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi