『魔法の夜』スティーヴン・ミルハウザー 白水社

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 ありふれた夜、しかし特別の夜。

 南コネチカットの暑い夏の夜、月光に照らされた町で起きるさまざまなできごと。本書は短い章をいくつも連ねる構成で、それぞれのエピソードは独立しているがときおり交叉する。月の引力にとらえられさまざまな軌道で周回する粒子どうしがたまたま接近し、つかのま相互作用を及ぼしまた離れていくように。

 月の光が差しこむ屋根裏部屋で、人形たちが目覚める。古い捨てられた人形、もはや誰にもその生命を信じられていない人形、ふだんは床板に転がっている彼らが動きだす。布貼り人形は身を起こしてエプロンの皺を伸ばす。片目のモコモコ熊があたりを見回す。黒い帽子に赤い上着の兵士は、睫毛をはためかせるコロンビーナと躍る。ふたりのかたわらでピエロが渇望のまなざしを向ける。

 メインストリートにある百貨店のウィンドウのマネキンは、サングラスの奥の瞼がゆっくり閉じて開く。不動の姿勢が解け、指にかすかな震えが生じる。そのマネキンに恋していた二十八歳のクープは、彼女が動く瞬間をまのあたりにしてたじろぐ。いったんはその場を立ちさるが、やはり彼女のことが忘れられない。

 虫たちがおかしな歌を合唱する。〔いつかは(バイ・アンド・バイ) チュカ=チュク ムムム オー いつかはチュカ=チュク ムムム〕といった調子。

 町の北側の森から聞こえてくる、甘美な笛の音色。あるいはただの鳥の声かもしれない。その音色に誘われ、子どもたちが部屋を抜けでてくる。夢のように落ち着かない、眠りより快い、終わることない音楽につられて。

 月の光はひとびとの気持ちを掻きたてる。二十歳のジャネットは秘密めいたときめきを覚え、裸足で芝生を走りブランコを大きくこぐ。ローラは遠い空から小さな町を見下ろしたいという欲求に駆られ、月を目ざして歩きつづける。ひとりで暮らす女は裏庭へ出てヒャクニチソウの香りを深く吸いこむ。そこへやってきたのが、女子高生ばかりからなる神出鬼没の盗賊団だ。彼女たちはつねに歯ブラシや冷蔵庫マグネットといった些細なものばかりを盗って「私たちはあなた方の娘です」と書いた紙だけを残し、だれにも姿を見せないよう注意を払っている。しかし今晩は、ひとり暮らしの女に誘われるまま、みんなでお茶を飲むはめになる。

 ミルハウザーは、日常的なものごとのなかに潜む秘密、静謐で強い衝動、甘やかなる狂気をさりげなく描きだす。彼の作品を読むたび、ひとの心にまだ名前のついていない感情があることを知らされる。

 ところがこの物語のなか、ただひとり、明るく白い光を浴びても素直になれない人物がいる。小説家を志して執筆をつづけている三十九歳のハヴァストローだ。彼は週に二度、旧友の母親ミセス・カスコ(彼女は読書家だ)を訪ねて話をしている。今夜はちょうどその日だ。将来が見えぬ閉塞感のせいか、ハヴァストローは「何もかもが嘘だ」といいだす。「記憶! そもそもどういうことですか、記憶って? (略)一週間したら木のことは覚えていてもあの烈しい精緻さは失われていて、そして一年経ったら? 十年経ったら? これってすべての記憶に当てはまる話ですよ。だから記憶なんていったって要するに忘却の、削除の営みであるわけです。だからつまりあるのは喪失だけ、減少、消失、忘却だけです。嘘、すべては嘘なんです」

 それに対しミセス・カスコはこう応じる。「でもそれじゃ、妙に鋭いささやかな記憶、ああいうのはどうなのかしら、誰だってそういう経験はあるわよね。ひと夏丸ごと忘れてしまっても、一個のティーカップは覚えている----把手のそばの欠け、縁に付いた茶渋。だから厳密には正しくないのよ、あなたの言ってること」

 ハヴァストローは、情けないショボくさいティーカップなど無に等しいという。しかし、ミセス・カスコはひとが中身を埋めていくという。

 この記憶をめぐる議論にはミルハウザーの小説観が反映されている。実際、昨年翻訳された第二長篇『ある夢想家の肖像』は、「妙に鋭いささやかな記憶」を克明に綴った作品だった。本書では、月の光に触発されていくつもの記憶が甦る。ひとつひとつは小さな断片だが、それらが響きあって魔法の夜の情景をより印象づける。

 たとえば、ジャネットは窓辺から外を眺めながら、かつて見た一枚の絵画のことを考える。雪の冷たさを偲ばせる月光の下に白いコスチュームを着た道化師がいる絵だ。彼女はまた、ブランコを漕ぎながら、小さいころの秘密の隠れ場所があったことを思いだす。

 ローラは紺色の夜空の下で安らぎを感じながら、古い映画のカウボーイたちに思いをはせる。鞍袋、鼻を鳴らす馬、夜空の下の毛布。そして彼らのセリフ。

 クープの脳裏に浮かぶのは、焼けてしまう前の古いジェットコースターの印象だ。夜には浜辺から見えたし、水の向こうから悲鳴が聞こえてきたものだ。コースターに乗ってキャアキャア喜ぶ、女の子たち。その追憶は、恋人とすごした昔の気持ちへとつながっていく。玄関ポーチに座った夏の夜、籐椅子の軋み、彼女の肌の清潔な匂い。

 ひとり暮らしの女は、小さいころよく夏の月の下で人形たちとお茶会を開いたものだと述懐する。ただし、そう思ったあとで突然、自信が持てなくなる。私は本当にそんなことやらせてもらえたのだろうか? もちろん、実際の過去かどうかは問題ではない。ここで語られているのは、線的な因果の時間ではなくつねに生きつづける時間なのだ。

 そして、ひとりシニカルな気分に浸っていたハヴァストローも月の光のなか、不思議な巡りあわせによって生きる実感を取り戻す。ミセス・カスコに暇(いとま)を告げて遠回りして帰宅する途中、ひとりの少女と遭遇したおかげだ。その少女とは別なエピソードに出てきたローラだ。月に魅了されるあまり無防備になっていた彼女をハヴァストローは助けるが、それはいっしゅんのタイミングで、けっきょくふたりはお互いの名前も知らぬままになる。ただ、ハヴァストローの元に「妙に鋭いささやかな記憶」が残る。それは日常にありふれているモノに託されており、そのモノ自体はたんにローラが忘れていったのか、それとも咄嗟の感謝の気持ちだったかはわからない。

 やがて夜が明けていく。屋根裏の人形たちは眠りにつき、マネキンはもとのウィンドウへ戻る。虫の歌もやみ、笛吹きについていった子どもたちも家へ帰る。ひとびとはみな昼の生活へ戻っていく。

 ひと夜かぎりの奇跡。しかし永遠の奇跡。

(牧眞司)