「世代の音楽」とは、人生でもっとも感受性が豊かで多感な時期、つまりその世代が「中学生から高校生までの間に触れた音楽」である。

今回は90年代をテーマにし、「東京」が関係する楽曲を紹介していく。年齢で言えば30代〜40代がちょうど「世代の音楽」としてあてはまるだろう。

懐かしのあの曲から、初めて耳にするあの曲まで。あの時代を思い返していきたい。


90年代といえば、Jポップの全盛期!


この年はバブルが弾け、阪神淡路大震災やオウム真理教事件など暗いニュースが多い印象だ。そんな世の中を明るくしたいという気持ちがあってか、90年代は日本を励ますような明るいポップな曲が多い。

この時期ヒットした曲は1990年発売の人気アニメ『ちびまる子ちゃん』の主題歌であるB.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」や、1992年発売の米米CLUBの「君がいるだけで 」。1993年発売CHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」など、トレンディと言われるおしゃれでストーリー性のある曲が多く見られる。

悲しいことを忘れさせてくれて、不安を取り除いてくれる楽曲が受けていたといえる。「小室ファミリー」「つんくファミリー」といった面々がJポップシーンを席巻し始めたのもこの時代。

カラオケボックスも増え始め、気軽に歌を楽しめるように。若者たちが不安と期待を抱きながら歩んだ「東京」をプレイバック!




ラブ・ストーリーは突然に 〜小田和正〜

1991年2月6日発売



「あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら」

人気トレンディドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌。歌詞の中にあるあの場所というのは物語が展開する“東京”を指しており、当時のドラマのキャッチコピーは「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」だった。

原作は柴門ふみによる漫画で、ドラマではカンチを織田裕二、リカを鈴木保奈美が演じた。有名なセリフのひとつ「カンチ、セックスしよ!」は、当時の視聴者に衝撃を与えたことだろう。この頃から女性が男性を誘うという文化も普通となり、“肉食系女子”の走りが伺える。

当時のトレンディドラマは、親元を離れた若者が恋愛を軸に東京で生きていく様と、現実離れしたおしゃれな場所で描かれているものが多い。これは今の東京カレンダーWEBでの連載小説・エッセイにも準ずるものがあり、トレンディという文化がリバイバルされている象徴である。当時、中高生では理解できなかった最終回のリカが残した「バイバイ、カンチ」というメッセージも、大人になった今なら分かるかもしれない。

今年の1月には「週刊ビッグコミックスピリッツ」で、25年後の東京ラブストーリー続編が発表された。50歳となったリカとカンチの再会にドキドキしながら見守った、東カレ読者も少なくはないだろう。


ブラタモリとビートルズから刺激を受けた楽曲



TOKYO 〜井上陽水〜

1990年10月21日発売



「銀座へ はとバスが走る 歌舞伎座をぬけ 並木をすりぬけ」

井上陽水の13枚目のオリジナル・アルバム「ハンサムボーイ」に収録されているこの楽曲。タイトル通り、銀座・新宿・渋谷・青山・赤坂・浅草といった地名が歌詞に盛り込まれており、彼らしい優雅な一曲だ。

1992年には井上陽水が玉置浩二、タモリと出演した番組で、この「TOKYO」を作ったきっかけを話していた。彼が言うにはビートルズの「Till There Was You」に刺激を受けたという。2曲を聞くと異なる雰囲気だが、自ら真似をしたと話す潔さにはあっぱれ。

また、交友関係が深いタモリが出演する「ブラタモリ」を想像させるところもあり、そこからもイマジネーションを受けていたのかもしれない。

当時はこの曲を聞いて、東京に憧れを持った若者も多く、上京した彼らはこの歌詞のように東京散歩を楽しんだことだろう。




東京は夜の七時 〜ピチカート・ファイヴ〜

1993年12月1日発売


「一晩中愛されたい トーキョーは夜の7時」

今もなお、様々なアーティストにカバーされている東京のお洒落さを強調した曲。90年代は「渋谷系」という音楽のムーブメントがあり、ピチカート・ファイヴ、ORIGINAL LOVE、フリッパーズ・ギターらの音楽スタイルを指すと言われている。

しかし渋谷系というのは定義が曖昧で、アーティストがそう名乗っていたわけではない。当時の渋谷で流行していたような、音楽スタイルやCDジャケットやファッションを漠然と指す言葉として浸透しているのだ。

何度も繰り返される「トーキョーは夜の7時」のフレーズ。ネオンで輝いている東京に対し、この歌詞は“あなた”に逢えてないので、寂しいという気持ちがそこから読み取れる。

「待ち合わせの レストランは もうつぶれてなかった」「交差点で信号待ち あなたはいつも優しい 今日も 少し 遅刻してる」というように、彼女はいつまでたってもあなたに会えていない。歌詞を見ると、結局は最後まで会えておらず、そういった東京での高揚感の中にある“孤独”がそこにある。

楽曲はおしゃれなサウンドだが、寂しいという本質が見えることで、味わい深い曲へと変わっているのだ。


最後は90年代後半「東京生まれヒップホップ育ち」の名曲



丸の内サディスティック 〜椎名林檎〜

1999年2月24日発売



「報酬は入社後平行線で 東京は愛せど何も無い」

ファーストアルバム「無罪モラトリアム」に収録されており、イギリスに留学していた際に作られた楽曲。最初、歌詞は全て英語だったが、発表するにあたり語感のいい日本語に変えられている。

歌詞の中に出てくる“ベンジー”はミュージシャン浅井健一のことを指しており、彼が愛用しているギターの“グレッジ”や、アンプの“マーシャル”も登場している。「そしたらベンジー あたしをグレッジで殴って」という歌詞もそのくらいの愛を歌った、ラブレターではないかと言われている。

また歌詞のところどころからは当時の上京したOLを物語っているようにも聞こえる。「報酬は入社後平行線で 東京は愛せど何も無い 19万も持って居ない 御茶ノ水」は状況してきた女性が給与は上がらない(手取り19万円以下?)、東京にいて何もない日々を送っているのかと考察できるのだ。

椎名林檎はこういったその時代の“今”を歌っている楽曲が多い。また東京に関連する曲だと「歌舞伎町の女王」「やっつけ仕事」「東京の女」などがある。自分なりに解釈をしてみるのもいいかもしれない。




Grateful Days 〜Dragon Ash〜

1999年5月1日発売



「俺は東京生まれ HIP-HOP育ち」

ゲストボーカルのZeebraが歌ったこのパート。彼は六本木生まれで、幼稚舎上がりで慶応義塾高校に通っていた。「カバンなら置きっぱなしてきた高校に」というのも当時のヤンチャな自身のことを物語っている。

90年代は後にヒット曲を作り上げる、多くのヒップホップアーティストがデビューを果たした。スチャダラパー、RHYMESTER、You The Rock、Zeebra、Dragon Ashなど。94年に発売された「今夜はブギーバック」はミリオンセラーをヒットし、多くの若者に影響を与えたことだろう。

当時の中高生といえばヒール15センチから20センチの“厚底靴”がトレンド。高ければ高いだけいい、という流行があった。また、犬型ロボットアイボ、ファビーが人気で売れ切れ店が続出。「カリスマ」「ヤマンバ」などが流行語として選ばれ、ギャルブームが大いに盛り上がっていた時代だ。


あなたの東京ソングはどれ?


以上5曲を紹介したが、この中に思い出深い曲はあっただろうか。

1999年といえば、他にもノストラダムスの大予言が世間を賑わしていた。今となっては「あんなこともあったね」と話せるが、当時は本当に世界が終わってしまうのかと、恥ずかしながらに布団の中で泣いていたのを覚えている。そんな激動の90年代を終え、次回は2000年代の曲に振り返りたい。

懐かしい思いで見た人も、「なんだこれ?」な人も、貴方だけの想い出の東京ソングが、きっとあるはずだ。