栄光の瞬間の到来に気づくには、数秒の時間を要した――。マッチポイントで、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ/第1シード)の強打を打ち返した、柔らかいロブ。その行方は、ボールを追うセリーナの背に隠れ、ガルビネ・ムグルサ(スペイン/第4シード)から見ることはできなかった。自分の頭上を緩やかに越えていくボールが、ラインのわずか内側に落ちたことを......つまりは試合が終わったことを悟ると、セリーナは静かに拍手を送った。

 しばし間を置き、ようやくコート・フィリップ・シャトリエに響く、主審の「ゲームセット」の声。その瞬間、客席から一斉に上り立つ大歓声を耳にしたことで、彼女はようやく、自分が成し遂げたことの大きさを悟ったのだろう。ムグルサは驚きに目を見開くと、クルリと身をひるがえしてファミリーボックスを向き、そのまま、ゆっくりと背中からコートに倒れ込んだ。

 3歳からテニスを始め、17歳でプロに転向したムグルサのキャリアは、"選択"の連続であった。

 スペイン人の父とベネズエラ人の母を持つ彼女は、ベネズエラで生を受ける。10歳年の離れたふたりの兄もテニスに打ち込んでいたため、彼女がテニスに興味を持つのは自然の流れだった。

 ただ問題は、スペインとベネズエラのどちらを拠点とするかである。子どもたちがテニスに打ち込める環境としては、スペインのほうが望ましい。だが、ベネズエラで会社を経営する父は、母国に帰るわけにもいかなかった。それでも両親は最終的に、子どものよりよい未来を選ぶ。母親とともにムグルサがスペインに渡ったのは、6歳のとき。以降、彼女はテニスプレーヤーとして実力をつけるに伴い、「どちらの国籍を選ぶのだ?」と問われ続けることになる。

 スペインでは、元全仏王者のセルジ・ブルゲラが運営するアカデミーを拠点とした。だが、彼女のプレースタイルは、トップスピンを軸に長い打ち合いを好む、いわゆるスペインの伝統的なテニスとは異なる。長身を生かし、ネットギリギリを超える直線的な高速ボールで打ち合いを支配するのが、ムグルサのテニスである。

 そんな彼女も実は、幼少期はスペイン的なプレーを目指していたという。ただ、今でこそ182cm・73kgの恵まれた体格を持つムグルサだが、子どものころは手足が細長く、スタミナもなかったという。

「スピンをかけるパワーがなかったし、走り回るのも得意じゃなかった」。そこでコーチとも相談したうえ、ベースライン上からカウンター主体で低い球を打つプレーを選び取った。

 長年、彼女を悩ませた国籍問題にケリをつけたのは、2014年末のこと。熟考の末に選んだのは、テニス大国・スペイン。以降はフェドカップ(女子国別対抗戦)でもエースとして、"母国"のために尽力する。スペインのフェドカップ監督は、全仏準優勝やウインブルドン優勝の実績も持つコンチタ・マルティネス。人望厚いスペインの先達は、自らの経験に根ざしたさまざまなアドバイスや英知を、若いムグルサに授けてくれた。

 拠点、プレースタイル、そして国籍......。それら選び取ってきた数々の選択が相乗効果を生み、ひとつの結実を見たのが、昨年のウインブルドンである。「芝には苦手意識がある」と言いながらも、アンジェリック・ケルバー(ドイツ)やキャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)ら強豪を破り決勝へ。頂上決戦ではセリーナ・ウィリアムズに敗れたが、女王と真っ向勝負の激しい打ち合いを披露し、"次代の女王候補"と目されるまでになった。

 しかし、ウインブルドン準優勝後は、一気に高まる期待を重荷に感じたか、苦しい時期も経験する。注目を集めた全米オープンでも、2回戦での早期敗退。そこで昨年9月に、ビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)を全豪オープンの頂点に2度導いた、サム・シュミックをコーチに雇った。

「彼はコーチとして、いろんな状況を経験している。それが私に必要なものだった」

 グランドスラムの長丁場をいかに過ごすべきか? どのように集中し、あるいはリラックスするのか? それらコーチからの教えと、自らがウインブルドンで経験して学んだことを織り交ぜながら、彼女は今回、悪天候のため集中の難しい全仏オープンの2週間を過ごしてきた。

「今大会の私は、とても落ち着いている。家族やスタッフたちと時間を過ごし、他のことには煩(わずら)わされず、テニスに集中もできている」

 勝利のために必要なものを丹念に選び取り、雑念を排除しながら、彼女は目指す高みへと進んでいった。

 明るく愛らしい笑顔が印象的なムグルサだが、胸に抱く野心を隠すことはない。今大会で決勝に勝ち上がったときも、対戦相手が女王セリーナであることを、彼女はむしろ歓迎した。

「決勝戦は、その大会でもっとも優れたふたりの選手が戦うべき場所。セリーナはベストの選手。その選手と戦えるのはよいこと」

 グランドスラムの頂点をかけた戦いに向け、ムグルサは、「対戦相手を尊敬はしている。でも、恐れてはいない」と、笑顔の下に闘志をたぎらせていた。

 その野心的な挑戦者は、決勝戦で自分のプレーを貫いた。とはいえ、単なる強打ではセリーナを破ることはできない。ムグルサが勇敢だったのは、クロスの打ち合いからストレートへ展開し、ストレートが警戒されれば、今度はより鋭角のクロスへと、常にリスクを恐れず先に仕掛けて攻めたことだ。準決勝では、フィニッシュラインが近づくにつれて「勝利を意識した」と言ったが、決勝戦でのムグルサは、目の前の1ポイントしか見えていないようだった。第2セットの第9ゲームで4本のマッチポイントを逃しても、彼女に落胆の色はない。

 続く自分のサービスゲームで、すぐさま掴んだ5本目のマッチポイント――。強打を打ち込むと同時にセリーナが前へと出てきたとき、彼女が選択したのは、この試合初めてウィナーで決めた、"ロブ"であった。

 栄冠を手にした瞬間、身をひるがえし視線を送った先には、家族、コーチのシュミックやマルティネス......彼女を支える人々の歓喜に沸く姿がある。22歳のグランドスラム優勝は、2012年に全豪を制したアザレンカ以来の若さ。女子テニスが待ちに待った、「新時代の女王誕生」であった。

「優勝カップを持った感想は?」

 優勝者会見で問われたとき、ムグルサは「重たいわ。でも、これは持って帰れないのよね。もらえるのは小さなレプリカだから」と残念そうに笑う。そこに、選択の余地はない。だからこそ彼女は、別の手法で、渇望を満たす方法を選んだようだ。

「今は嬉しいけれど、もっと多くのタイトルが欲しいわ。これと同じ価値のトロフィーがね」

 すべてのグランドスラムを制し、テニス界に君臨すること――。それが、ガルビネ・ムグルサが"選択"した夢である。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki