2014年に出版された著書、『「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?』(光文社)は、多くのワーキングマザーの共感を呼んだ。現在、組織を離れて新たな働き方を模索しながら、発信を続ける中野円佳(なかの・まどか)さんが今、抱える“ジレンマ”の正体とは――。

妊娠中の不本意な異動でモチベーションがガタ落ち

――昨年まで新聞記者としてキャリアを積んでこられました。どんな働き方だったのですか?

中野円佳さん(以下、中野):入社後、5年くらいはニュース部門で経済記者をしていました。いわゆる“夜討ち朝駆け”の世界ですから、早朝から取材先に行き、昼間に社内のソファーで仮眠をして、また深夜まで働くということも多かったです。

――その間に、第1子を出産し、復帰されています。

中野:当時、女性が子育てしながら記者を続ける場合、日常的なニュース対応が必要ではない部署に異動してから子どもをつくるケースがほとんどでした。でも私は、当時の上司に理解があったこと、取材先とも携帯電話で話ができるような信頼関係を築いていたことなどから、産後も経済部でそのまま働いて前例をつくりたいと思っていたんです。それで、ニュース部門にいるときに妊娠しました。

ところが、そんな矢先に不本意な形で異動を告げられてしまった。ちょうど組織改編の時期で、妊娠が理由ではないと言われましたが、悔しかったし、産休までの4ヵ月ほどの期間で移動先の新しい人間関係に入らなくてはいけなくなり、モチベーションはガタ落ちでした。

産後2ヵ月で京都の大学に通い始める

――異動が「不本意」だった?

中野:異動そのものより、周囲の反応に違和感を覚えました。異動先は、デイリーでニュースを追うような部署ではなく、1週間先に出る記事を書いたりしているので、働き方としては柔軟に決めやすい。そのせいか、「ラクな部署に行けてよかったね」「希望したんでしょ?」と言われてしまう。気持ちがわかってもらえず、もどかしかった。

しばらくは、担当していた分野の記事を見るのもつらく、「誰が書いても同じだったんだ」と自分に言い聞かせて、ニュース部門へのこだわりを捨てようとしていました。でも、結果的にそれが次のキャリアを考えるきっかけとなり、育休中に大学院に通うという決断につながったんです。

――産後2ヵ月目には、京都にあるキャンパスまで新幹線で通っていたとか。

中野:当初は月1回のペースで通学していました。子どもも一緒に京都に連れていき、一時保育に預けて授業に出ていました。出られない回の授業は録音データを送ってもらい、子どもが寝ている間に勉強したり、スカイプでつないでもらったり。周囲の助けもあったものの、今思えば、“よくできたな”というくらい、何かにとりつかれたように論文に向かっていました。

“ムカつくからなんとかしたい”がエネルギー源

――乳児を伴って大学院に通い、育児もしつつ、修士論文を書き上げ、『「育休世代」のジレンマ』としてまとめ上げた――何が中野さんを突き動かすエネルギーとなっていたのでしょうか?

中野:そもそも私は“これがムカつくからなんとかしたい”といったネガティブなものに対するエネルギーが強いんですね。“今、世の中に解決すべきこういう課題がある”と問題提起をし、それを言語化することが私の役割だと思っています。

――ベースにあるのは、「怒り」や「憤り」?

中野:完全に“怒り”でしたね。特にこの本を書いていた時は、もう一度同じことをやれと言われてもできないくらい異常なほどのエネルギーがありました。「産後ハイ」もあったのかもしれません。

新聞社を辞めたのは「もっと発信したかったから」

――新聞社を辞めて、新しい道に進もうと思われたのはなぜですか?

中野:日経を辞めたのは、“もっと発信したい”という気持ちが高まったからです。本が反響を呼び、講演や取材依頼が来たものの、組織に属する立場では、断らざるを得ませんでした。

もともと新聞記者になったのは、「発信することで世の中をよくしたい」という思いから。世間が女性活躍に目を向け始めたタイミングで声をあげることで、物事が動くかもしれない。それならもっと積極的に、自由に発信したいと考え、退職しました。

今の会社に入ったのは、「問題提起」から「問題解決」まで携わりたいと思ったから。企業の経営変革プロジェクトやリーダー育成などを行うこの会社で、専門性を生かしてダイバーシティを推進したり、働き方を変えたりしていけたらと考えています。

「母親をやめたい」と思うことも

――昨年秋には、2人目を出産されていますね。

中野:4月に復帰しました。昨年は会社員として働きながら、合間にジャーナリストとして発信を続け、育児もしつつ、新たに東大の大学院に入り……と、またも詰め込みすぎて忙殺されました。転職したばかりだったので、会社との関係性も試行錯誤の連続でしたが、今後はうまく時間を使いたいですね。

――子どもが生まれるとアクセルの踏み方をゆるめる人が大半ですが、中野さんは、むしろ加速している感すらあります。疲れきってすべて放り出したくなる時はないですか?

中野:ありますよ。特に体が弱っている時は、全部投げ出して一人になりたい、仕事を辞めてしまおうかと後ろ向きになることも。妊娠中、上の子が3歳4ヵ月まで夜泣きをしてどうにもならないときがあって、その時は深夜にまだ帰宅していない夫に「母親やめたい」とLINEを送ったこともありました。

「育児に関われない夫」も社会の問題

――そんな時は、どうやって気持ちを切り替えるのですか?

中野:まずは、体調を治します(笑)。体の調子がよくないと、どうしても思考がネガティブに傾くので大事な決断は絶対しないほうがいいですよね。

でも、仕事と育児を両立していることでメリットも。子どもを保育園に預けている間は母親をやめて仕事に打ち込めるし、子育ての時間は仕事のことを忘れて子どもに癒される。オンオフの切り替えが自然とできている気がします。

――家庭内での夫婦のバランスはどうでしょうか? 家事の分担などは、どんなふうに?

中野:2人目が生まれたことで、夫の家庭への貢献度は少し増え、“当事者意識”が改善したように思います。理想は五分五分だけど、夫を変えるには、働き方の構造改革が必要。女性活躍を推し進めるには、長時間労働をはじめとする働き方に問題があるということは、世の中の共通認識になりつつあるのではないでしょうか。

今は“両立のハードル”が高すぎる

中野:正社員男性の働き方を前提に、女性が両立するのは無理だと思っています。特に今は、両立のハードルがすごく上がっている。仕事のやりがいもほしい。会社は管理職にもなれという。育児も自分の手でやらなければロールモデルとはみなされない。“そりゃ無理だよね”と。

――ご自身の今の働き方について、満足度はどうですか?

中野:ワークライフバランスという点では、転職後悪化しています(笑)。持ち帰って仕事をする量は、新聞記者時代より増えました。でも、せっかく今、女性活用がこうして議論されるようになり、追い風が吹いている状態ですから、この問題をしっかり発信していきたいし、そうしないとダメだと思っています。新聞記者時代にはできなかったことができているという意味では、転身してよかったなと感じますね。

――今は、無理をしてでも乗り越えたい「踏ん張り時」ですね。

中野:“今、やらなきゃ感”は、すごくあります。たまたま育児の真っ最中に仕事の踏ん張り時が重なったので大変だけど、だからといって困難を避ける必要はないと思っています。自分が“モヤモヤ”を抱えた当時者でいることで、いろんな気づきがあるし、それを解決しようというエネルギーもわいてくる。だから、困難にはあえて突っ込んでいき、そこから抜け出せばいい。そう思っているんです。

中野さんの1日
7時起床。家族で朝食を済ませ、9時ごろ2人の子どもを夫婦で別々の保育園に送り届けた後、仕事開始。出社するのは週に1回程度だが、打ち合わせや取材などで外出が多いため、PCは常に持参。18時前後に、2ヵ所の保育園のお迎えに行き、夕食と入浴。20時から22時くらいまで子どもの寝かしつけに奮闘。早く寝てくれたら原稿の執筆などをして、24〜25時ごろに就寝。

(西尾英子)