「すべての事象は、理由があって起きるのだと思う」と、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)は言った。

 だからこそ、昨年の全仏オープン決勝戦でスタン・ワウリンカ(スイス)にフルセットの激闘の末に敗れ、「生涯グランドスラム」を逃したことにも、意味があると彼は信じる。

 たしかに今になって振り返れば、この1年前の敗戦こそが、今の栄冠に連なる12ヶ月の旅の始まりであった。

 全仏での傷心から、5週間後――。ウインブルドンでロジャー・フェデラー(スイス)を破って優勝したとき、彼は、「とてもポジティブな精神状態になり、だからこそ、残りのシーズンは素晴らしい結果になった」のだと断言した。「ポジティブな精神状態」のまま走り続けた彼は、続く全米オープン、そして今年1月の全豪オープンをも制する。つまりは今年の全仏オープンは、ジョコビッチにとって4度目となる「生涯グランドスラムへの挑戦」であると同時に、「グランドスラム4大会の連続優勝」という歴史的偉業までもかけた大会となった。

 長いテニス史上で過去にわずか7名しかいない「男子生涯グランドスラマー」、あるいは1969年にロッド・レーバー(オーストラリア)が成して以来の「グランドスラム4大会連続優勝」――。あらゆる記録と誇りをかけて戦う決勝戦の相手も、「理由があって」その場に導かれた選手だったかもしれない。

 アンディ・マリー(イギリス)――。

 誕生日が1週間しか違(たが)わぬ世界2位のスコットランド人とジョコビッチは、ふたりが11歳だった18年前に初めて対戦した。その後、戦いの場を世界最高峰の舞台に移した後も、両者は33度の対戦を重ねている。

「11歳のときに出会った僕らが、その後もずっと、こうして競い合っている。もしあの少年時代に、『将来ふたりで、テニス界でもっとも価値あるタイトルをかけて戦う』ことを約束する契約書があったとしたら、僕らは迷わずサインしたはずだ」

 決勝戦を控えた会見で、ジョコビッチは長年のライバルとの34度目の対戦に向け、感慨深げにそう語った。

「ノバクにとっては、生涯グランドスラムをかけた大会。僕も、全仏初優勝がかかっている。こんな機会が、果たしてあと何度訪れるのかわからない。だから......、お互いに素晴らしいプレーができることを願っているよ」

 試合前に口にしたこの言葉を、マリーは決勝戦の始まりと同時に実現する。ジョコビッチに向けられた大声援に、反骨精神を刺激されただろうか? 普段はやや守備的なマリーが、このときは攻めた。深く打ち込む強打で相手を押し込み、ネットに出てボレーも決める。時速200kmを軽く超える高速サーブも、効果的にコートに刺さった。第1セットは、6−3でマリー。

 またしても、ジョコビッチはプレッシャーに飲まれるのか......。王者の悲願達成を願うスタジアムに、切ない予感が漂い始めていた。

 しかし、「今年はパリに到着したその日から、ファンや大会との間に深い絆を感じていた」というジョコビッチは、第2セットに入ると同時に、「気持ちを切り替え、やるべきことを整理できた」。第2セットの第1ゲームでブレークポイントに面するも、「焦りはなかった」と彼は言う。

 第1セットに目立った攻め急ぎのミスを減らし、まずは足を動かした。マリーがネット際に沈めたドロップショットをも、驚異的な身のこなしですくい上げ、自らのポイントへと変えていく。徐々に攻め手を失ったマリーは、やがて自ら崩れ始めた。対するジョコビッチは、スタジアムを震わす「ノーレ(ジョコビッチの愛称)」コールを背に受け、軽やかにコートを駆ける。

 第2セットは、6−1。第3セットも、6−2。瞬く間に2セットを奪い返したジョコビッチは、第4セットもゲームカウント5−2とリードを広げ、栄光の瞬間まで、あと1ゲームへと迫った。

 このとき彼は、「込み上げてくる笑いを、抑えることができなかった」という。プレッシャーはなかった。だが、フッと差し込む心の隙に、「レッツ・ゴー!」と声を上げ自らを鼓舞するマリーの執念が押し寄せる。11歳から知る好敵手に、土壇場で2つのゲームを奪い取られた。

 そうして、ふたたび迎えた優勝へのサービスゲームで、ジョコビッチはファンの歓声をあおりながら、闘志を掻き立てた。歴史的な瞬間を築く最後のポイントは、長く、激しい攻防となる――。攻守を入れ替え、両者コートを縦横に走りながら交わされる20本のラリー。ふたりのライバル関係を象徴するような打ち合いは、マリーのバックハンドがネットにかかり、ついに終止符が打たれる。

 それは、3時間4分の決勝戦の終わりであり、4年越しの生涯グランドスラムの悲願成就のときであり、そして1969年のロッド・レーバー以来となるグランドスラム4大会連続優勝が達成された瞬間でもあった。放心したようにコートに大の字に倒れたジョコビッチは、自分を拒み続けた赤土の感触を背中で噛みしめ、大声援を浴びながら、乳白色の曇り空を見つめていた。

 試合後、コート上に素早く組まれた表彰台に上がったマリーは、マイクを手にすると、まずはフランス語ができないことをファンに詫びる。そして、チームスタッフや大会関係者たちに謝意を述べると、「ハロー」とマイクの音声が入っていることを確認してから、ジョコビッチに向き合い言った。

「ノバク、今日は君のための日だ。12ヶ月の間に4つすべてのグランドスラムを制するなんて、本当に素晴らしい偉業だ。次にいつ起きるかはわからない、貴重な出来事だよ。だから、それを目撃できたファンは本当に幸運だと思う。

 僕はと言えば、負けた気分は最悪だよ。でも、今日の歴史の一部でいられることを、誇りに思っているんだ。だから......おめでとう、ノバク」

 すべての事象は、理由があって起きるのだと、ジョコビッチは言った。ならば、過去3度まで全仏決勝で敗れたのも、この栄光の瞬間を、生涯のライバルと迎えるためだったのかもしれない。

 表彰台の一番高いところに立ち、ジョコビッチが銀のカップを掲げる。朝から空を覆い続けてきた雲はいつの間にか晴れ、明るい日差しが、史上8人目のキャリア・グランドスラマーを照らしていた。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki