優勝が決まった直後から、室屋義秀の目は潤みっぱなしだった。

 何かを話そうとすると、胸の内にある感情とともに涙があふれ、もう言葉にならなくなる。それが分かっているから、室屋の言葉は自然と短くなった。

 本心は明かせなかったに違いない。すでに涙腺は決壊寸前。それを口にすれば、もはや取材に応じることも、関係者に感謝の言葉を述べることもできなくなってしまいそうだった。

 その姿からは、つい1時間ほど前まで、自ら「モンスターのようなパイロットばかり」と評するライバルたちを蹴散らしていた力強さは消えてなくなり、流れ落ちそうになる涙との格闘では、かなりの苦戦を強いられていた。

 無理もない。

「操縦技術世界一を目指してやってきて、一番というのは届きそうで届かない、本当に難しい世界だったが、25年かけてやっと取れた」

 これまで室屋は何度も挫折を経験してきた。「もう飛ぶのはやめよう」と思ったことは、一度や二度ではない。それでもあきらめず飛び続けきた先に、目指す頂はあった。世界一になると誓ってから25年。念願かない、室屋はついに表彰台のてっぺんにたどり着いた。

 千葉・幕張海浜公園で開かれた、レッドブルエアレース・ワールドチャンピオンシップの2016年シーズン第3戦。地元開催で大きな期待が高まるなか、室屋は初優勝を果たした。

 日本でレッドブルエアレースが開催されるのは、昨年に続き、これが2回目だ。初開催だった昨年のことを振り返ると、室屋は勝負に挑むパイロットとして、というよりも、長く日本の航空スポーツに携わり、不遇を味わってきた者として、果たすべき役割を務めていたように思う。

 レース前の大事な準備期間にもかかわらず、多くの取材を受け、PRイベントにも出席した。表情を見ていても常ににこやかで、それは勝負師の顔ではなかった。地元開催のレースに合わせて導入した新機体も完全には調整しきれておらず、ほぼぶっつけ本番だったことも含め、室屋は本当の意味でファイティングポーズを取ってはいなかった。

 結果は8位。ラウンド・オブ・14ではコースレコードとなる最速タイムを記録したものの、今にして思えば、それはたまたま打ったホームランのようなもの。勝てるはずはなかった。

 だが、開催2回目となる今年は違った。昨年の経験も踏まえ、殺到する取材希望に対しても制限をかけ、直前の2週間はレースの準備だけに集中した。

 自身のトレーニングはもちろん、タイヤと脚の部分にカバーを装着し、空気抵抗を減らすなど、他機に先んじた機体改良も進んだ。過去2戦で悩まされたオーバーG対策も、トレーニングプログラムを作るなど、二重三重に防御策を講じた。実際にすべての準備過程を直に見たわけではないが、室屋の表情を見れば、それがいかに充実したものであったかはうかがえた。

「今年はいい準備ができているので、"本当のレース"ができるって感じ」

 レース前に聞いた、室屋のそんな言葉からも彼の手応えの大きさが感じられた。

 何よりレース期間中の顔が昨年とは違った。昨年にも増して数多くのメディアが取材に訪れてはいたが、室屋は過剰に明るく振る舞うこともなく、どこかピリピリしたムードを漂わせていた。TVカメラに包囲されてもなお、室屋が臨戦態勢にあることが見てとれた。

 もしかすると多くの取材に辟易(へきえき)し、ただイライラしていただけなのかもしれない。だとしても、それはすなわち、レースに集中したいという気持ちの表れにほかならない。

 もちろん、プレッシャーは大きかったはずだ。多くの注目を集める分、昨年と同じような成績に終われば、「こんなものなのか」と、世間の関心が離れていきかねない。

 しかも、昨年はメディアの側が"勝手に"室屋の優勝を期待していただけだが、今年に関していえば、室屋自身が「年間総合優勝」が目標であることを実際に口にしたこともある(その後、導入が予定されていたウイングレットの使用が認められないアクシデントがあり、「年間総合で表彰台」に目標は下方修正されたのだが)。

「昨年よりも期待されているような気がする。昨年は誰が言い出したのか、周りが勝手に優勝とか言っていたが、今年は僕自身が言っていたので。でも、それだけのポテンシャルは十分あるので、期待してもらっていいじゃないかな」

 室屋はそう語り、メディアやファンの期待を受け止めながらも、決して浮かれることなく、あくまでも勝利に向かって準備することに集中していた。

 同時に、「チームとして100%の力を出せば、結果はついてくる」「そんなに(オーバーGを)心配しなくても、淡々とやっていけば、ファイナル4には残っていける」といった言葉からは、あふれんばかりの自信もうかがえた。

 室屋は今年、"PR部長"も兼任していた昨年から一転、パイロットに専念した。結果が出た今となっては、飛ぶ前から勝つための準備は整っており、勝つべくして勝ったレースだったのだ、と言っていいのかもしれない。

 ただし、室屋がこうした自信のコメントを口にするのは、これが初めてのことではない。言い方は悪いが、これまで何度も自信を持ってレースに臨みながら、(3位も負けとするならば)その都度負けてきた。現段階においては、いつになく周到な準備が室屋を初優勝に導いた、とするのは、結果論であるようにも感じる。

 加えて言えば、室屋は過去、ファイナル4に4度進出しているが、いずれもペナルティを犯したり、前のフライトからタイムを落としたりということが起き、初優勝を逃している。ラウンド・オブ・8まではすばらしいフライトを見せていても、最後のファイナル4で伸び悩み、逆にそこでタイムを縮めてくるポール・ボノム(イギリス/昨季限りで引退)や、マット・ホール(オーストラリア)の後塵を拝してきたのだ。

 今回の千葉のレースでも、最終的に2位に終わったマルティン・ソンカ(チェコ)が、ラウンド・オブ・8からファイナル4にかけてタイムを縮めてきたのに対し、室屋は逆に落としている。初優勝こそ手にしたものの、昨季から続く課題は解消されたわけではないのだ。

 ついに手にした初優勝。だが、涙の快挙も、室屋の目標のなかでは、ひとまず第一関門を突破したに過ぎない。室屋の周辺はただならぬ祝福ムードに包まれているが、今季はまだ5戦のレースを残している。

 この結果に満足することなくコンスタントに成績を残していかなければ、混戦のシーズンで年間総合の表彰台に立つのは難しい。地元のヒーローの勝利に沸く瞬間を目の当たりにさせられたライバルたちは、室屋の連勝を阻むべく、手ぐすね引いて待っているはずだ。

 今季第4戦は、7月16、17日のブダペスト(ハンガリー)。つかの間の歓喜に浸った後は、すぐに次なる戦いが控えている。

浅田真樹●文 text by Asada Masaki