石原慎太郎氏の小説『天才』(幻冬舎、2016年1月刊)

写真拡大

評論家の立花隆氏から「金脈」を追及され、ロッキード事件で逮捕・有罪となって、晩年は「闇将軍」を余儀なくされた田中角栄元首相(1918〜1993)。このところ、汚名返上、名誉回復の機運が高まっている。きっかけは石原慎太郎氏の小説『天才』(幻冬舎、2016年1月刊)だ。

生い立ちの苦労や政治家としての成功と挫折...元首相がモノローグの形で自らの人生を振り返る異色の自伝的小説だ。もちろんロッキード疑惑は全否定。すでに65万部を超えるベストセラーになっている。雑誌などでも元首相を持ち上げる「角栄特集」を見かけることが増えてきた。一方、ネットでは称賛ばかりではなく、『天才』への批判も出ている。

執筆は「政治に関わった者としての責任」

石原氏は、かつては田中元首相の金権政治を鋭く批判する側だった。それが逆に評価する側に回ったところが『天才』のミソだ。小説と銘打っているが、中身は元首相本人が語る「回顧録」のスタイル。石原氏が田中元首相に成り代わって書いた「衝撃の霊言」だという。

「高速道路、新幹線、飛行機のネットワーク...私たちが生きている現代を作ったのは田中角栄だ」。石原氏は朝日新聞のインタビュー(5月4日)でそう力説している。『天才』のあとがきでは、「アメリカという外国の策略で田中角栄という未曽有の天才を否定し葬ること」は絶対に許されないと力を込める。そして「政治に関わった者としての責任でこれを記した」と執筆の理由を説明している。

『天才』がベストセラーになったことで雑誌などでも「田中角栄」がよみがえっている。かつて立花氏による「田中角栄研究―その金脈と人脈」(1974年11月号)などで批判の急先鋒だった月刊誌『文藝春秋』は、2016年5月号で「日本には田中角栄が必要だ」と特集。『週刊現代』の5月23日発売号は「ニッポン経済大復活! 田中角栄なら、こうする」と期待をふくらませる。

単行本では5月6日、朝日文庫で大下英治著『田中角栄 巨魁伝』。このところ元首相礼賛本を出し続けている宝島社は5月26日、新たに『田中角栄 心を打つ話』。側近で金庫番と称された佐藤昭子さんの『私の田中角栄日記』(新潮文庫)も5月30日に復刊した。6月3日にはPHP文庫で早坂茂三氏の『田中角栄 頂点をきわめた男の物語』も。

なぜ今「田中角栄」なのか。元サンデー毎日編集長の牧太郎氏は、毎日新聞サイトの「毎日フォーラム」でこう語る。

「若者は低所得が理由で結婚できない。格差は広がる...今、 なんとも妙ちきりんな『閉塞感』に包まれている。このままでは、日本は? そんないら立ちが『だから、今、田中角栄なのだ』という気分に重なっているのだ。知恵、決断の政治力、それ以上に日本人は『角栄のオーラ』を今、感じてみたいのだ」

アメリカの虎の尾を踏んで怒りを買ったのか

『天才』が怒りを込めているのが「ロッキード事件」だ。石原氏は「米国の策略」説を主張する。元首相が独自の資源外交に乗り出したため、アメリカという支配者の虎の尾を踏んで怒りを買ったというのだ。本当にそうなのか。実際にロッキード事件を取材し、「田中角栄とは何か」という番組も制作した元TBS記者・ディレクターの田中良紹氏の見方は異なる。自身のブログで「石原慎太郎著『天才』に書かれたロッキード事件の大ウソ」と題し、以下のように反論している。

ロッキード事件とは、「アメリカの軍需産業であるロッキード社が世界十数か国に秘密代理人を置き、賄賂を使って航空機の売り込み工作を行っていた事実が暴露された」ものであり、「日本だけがターゲットにされた」わけではない。「欧州、南米、中東、アジアの国々などでも秘密代理人の名前が公表された」。したがって「田中(元首相)を狙ったものではない」。

首相在任時に、ロッキード社の航空機売り込みに関して5億円の賄賂を受け取ったとされるロッキード事件。当時は、首相になって初めての参院選を控えていた。そのためにざっと300億円の選挙費用を調達したという。『天才』の中で「元首相」はこう憤慨する。

「五億などという金は...俺が調達した選挙費用の中でははした金ともいえるものだ。...榎本(秘書)が受け取ったという五億という金の由来は丸紅の献金か、それともロッキード社からのものか、あるいはロッキードから十数億せしめたという児玉からの分け前なのか分かりもせぬまま、せまっている大切な選挙のためのどさくさの中で俺の事務所に入れられ、他の多額な金にまぎれて、(金庫番の)佐藤がてきぱきさばいたことに違いはない」
「要は...およそ三百億という金の中の、ただの五億という金の由来が問われたということなのだ」

立花隆『田中角栄研究』とはズレ

『天才』は当然ながら、立花氏の『田中角栄研究』(講談社、1976年)とも相当のズレがある。立花氏は、元首相がとんとん拍子で飛躍するきっかけになったのは昭和17(1942)年、23歳の時に8歳年上の坂本はなさんと結婚したことだと見る。

はなさんは当時、実家に出戻っており、7歳の連れ子がいた。坂本家は、坂本組という、かなり大きな土建業兼材木屋を営み、たくさんの地所を抱えていた。その資産を受けついだことで、小さな設計事務所が、結婚翌年には社員100人以上の田中土建工業に急拡大したと『研究』は指摘する。

一方、『天才』ではこうだ。事務所として借りた家の家主の娘に好意以上のものを感じるようになり結婚。今までの個人企業を株式会社に変えると、年間の施工実績が全国50社に入るまでに育った。...昭和19年には、理研の工場を朝鮮に移すという当時のお金で2000万円を超える大事業を請け負った。しかし敗戦でご破算。資産のすべてを朝鮮に寄付すると宣言して帰国した。

...日本に戻ると旧知の人物から、進歩党への300万円の資金援助を頼まれ、「即座に快諾」。自分も、「15万円出して黙って神輿に乗っていれば当選する」といわれ、ついその気になって昭和21年4月の衆院選挙に立候補したが、落選。1年後の総選挙でこんどは当選し、政治家としての第一歩を踏み出した・・・。

このあたりの記述は元首相が日本経済新聞の「私の履歴書」(1966年)に書いた内容とほぼ重なるが、立花氏は『研究』で疑問を投げかける。戦後すぐの巨額政治献金、2度の国政選挙などの資金はいったいどこから出ていたのかと。そして当時の関係者をたどり、朝鮮で請け負った工場移転の前払い金をそっくりいただき、その莫大な「アブク銭」を手に政治の世界に入ったとみる。

無価値に等しい土地が生まれ変わった

元首相が退陣に追い込まれたのは、立花氏による「金脈追及」がきっかけだった。ファミリー企業による錬金疑惑が厳しく問われた。立花氏は『研究』でこう書いている。

「いまだに根強く残っている田中伝説の、苦学力行、刻苦勉励による叩き上げの成功者というイメージが田中にふさわしいのは、二十四歳までで、それ以後田中がやってきたことは、正業とはいいがたい」

金脈追及は21世紀になっても続いている。新潟日報は2007年12月13日、「柏崎原発用地の売却益4億円、田中元首相邸へ 本間元秘書証言 総裁選前年 闇献金流用か」という記事を載せた。東京電力が柏崎刈羽原発建設のため用地買収を進めていた1971年ごろの話だ。原発用地の買収で得られた巨額の資金が、政界への闇献金として流れたという「原発利権」の一端をうかがわせている。

『天才』では「金脈」についての言及はほとんどないが、裁判にもなった「信濃川河川敷問題」についてはこう反論する。

「堤防建設を本堤工事に格上げさせ、国道八号線バイパスとして長岡大橋、大手大橋が建設され、土地の価格は高騰し、俺のファミリー企業の室町産業がプロジェクトに沿って安価で購入した土地も高騰はしたが、しかしそれに沿ってあの無価値に等しかった広大な土地は多くの者たちのために幅広く有効性のある土地として生まれ変わったのだ」
「要は誰がいかに発想して土地と水と人間たちを救うかということだ。そうした新しい発想の実現でつくりだした金を、俺は俺自身のために用立てたことなどありはしない」

早野透『田中角栄』の方が高評価

『天才』のネットでの評価は分かれる。5月末までに「アマゾン」では150件あまりにのカスタマーレビューが寄せられているが、5段階評価では3.6にとどまる。「素晴らしい内容」「感動した」という声もある一方で、過去に何冊か「角栄本」を読んだ人が手厳しい。

「この本はかつて読んだ田中角栄本に書いてあった内容の書き写しでしかなくガッカリしました」「パクリ本。その一言に尽きます」「『私の履歴書』における田中角栄や立花隆の田中角栄関連の書籍を読んだことがある人には退屈といわねばならない」

元首相の功罪の「功」の部分しか焦点を当てておらず、「罪」に目を向けないのはいかがなものだろうか、という指摘もあった。

アマゾンレビューでは、早野透・元朝日新聞編集委員による『田中角栄――戦後日本の悲しき自画像』(中公新書、2012年)の方が面白いと推す人も目立った。元「田中番」記者で、ロッキード事件後も政治史の節目には目白の田中邸に通い、「ある程度、機微に触れる話ができるようになった」ジャーナリストによる「評伝」だ。

元首相は早野氏にこう漏らす。「新聞記者はこちらの懐に入ってきても、マムシはマムシだからな。いつ噛むかわからん」。そう言われながらも早野氏は、「田中角栄を至近距離で見てきた同時代の政治記者」として「田中角栄とは何だったのか」と問い続ける。2013年の新書大賞の2位。アマゾンの評価も4.7と高い。

立花氏は『研究』で元首相には4つの側面があると書いた。政治家、実業家、資産家、虚業家だ。この4つは複雑に絡み合うが、『研究』では主に「虚業家」の部分を白日にさらし衝撃を与えた。石原氏は「政治に関わった者としての責任」から「政治家」としての側面を軸に『天才』を書いた。早野氏は「同時代の政治記者」として多数の証言と80冊以上の参考文献をもとに克明な「評伝」を刻んだ。

ほかにも元秘書、親しかった女性、その子供たちも含め多くの人が「私の田中角栄」を書き残している。それだけ「田中角栄」という人物が陰影に富んでいたということだろう。それらを合わせて読めば「人間・田中角栄」、そして昭和という時代と戦後日本が生んだ「今太閤・田中角栄」の実像により近づけるにちがいない。