「″障がいを乗り越えてやっている″と思って欲しくない」パラリンピアン・田口亜希さんに聞く 障がい者スポーツのこれから
土屋礼央の「じっくり聞くと」、第4回は女子射撃選手の田口亜希さんにインタビュー。田口さんは豪華客船「飛鳥」で働いていた25歳の時に脊髄の病気を発症し、車いす生活に。その後射撃でアテネ、北京、ロンドンと3大会連続のパラリンピック出場を果たしているパラアスリートです。

田口さんにとって、パラリンピックとはなんなのか、障がい者にとってのスポーツとはどんな存在なのか、今回も土屋礼央が「じっくり」聞いています。
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土屋:「土屋礼央のじっくり聞くと」、第4回の今日は女子射撃選手の田口亜希さんに、パラリンピックについてうかがいます。よろしくお願いします。

田口:よろしくお願いします。

土屋:今年4月から帯でラジオ番組を始めたんですが、その中でもパラリンピックを目指すアスリートを紹介するコーナーをやっているんです。個人的にはオリンピックが大好きでよく見ているんですが、これまでパラリンピックに関してはテレビでそんなにやってなかったですよね。

田口:そうですね、今まではテレビで放送されることも少なかったかもしれません。2020年の東京開催が決まってから、盛り上がってきてはいるんですけれど。

■豪華客船「飛鳥」の乗組員からパラリンピアンに


土屋:田口さんは、どうして射撃を始めたんですか?

田口:私は25歳の時に病気で足が悪くなったんですけど、それまでは客船の初代飛鳥で乗組員をしていました。その船で働くことが決まって東京のホテルオークラで研修している時、お客様から「クレー射撃ができる客船があると聞いたんだけど、君のところではできるの?」と聞かれたのが興味を持ったきっかけです。

病気になってリハビリ専門の病院に入って、「車椅子でもできる競技ってなんだろう」という話をしていた時に「射撃もあるよ」と教えてもらいました。その後、ある人からビームライフル(光線銃)に誘われて、初めて銃を持ったんです。その時はパラリンピック出場とか全然考えていなくて、仕事をやりながら趣味として何かやりたいなと思って始めました。

それで初めてビームライフルの試合に出場したときに、なんとビギナーズラックで優勝したんですよ。それが2回くらい続いて、当時のコーチに「銃刀法の許可を持って、実弾の射撃をやってみないか」と誘われました。

土屋:田口さんがやってらっしゃる射撃って、どんな競技なのですか。

田口:射撃競技には「ライフル」と「ピストル」の2つがありまして、私の場合はこのライフル競技をやっています。種目でいうと「伏射」という、伏せて銃を構える打ち方ですね。健常者の方は床に伏せて撃ったりするんですけど、私の場合は床に伏せて撃つことができないので、テーブルを置いて撃つかたちになります。

土屋:射撃ってテレビで見ると画面が分割されていますが、生で見る時はどうやって楽しめばいいですか。

田口:射撃場って、選手の撃っている上にスクリーンがあるんです。そこに、どこに撃ったかとか、合計点数などが表示されます。ボーリングに似てるかな。でも、射撃場は静かで応援の人は声が出せず、1点落としただけでも結果が左右されるので、見る人はあんまり楽しくないみたいですよ(笑)。家族なんかはドキドキするって。

土屋:集中してるから、声も出しちゃだめですもんね。

田口:私のやっているエアライフルでは60発撃つんですが、60発全部10点圏に当てないとファイナルにも残れないんです。そういう意味では、射撃はすごく精神的な勝負なんですね。

■「障がいを乗り越えてやっている」と思ってほしいわけではない


土屋:田口さんにとって、パラリンピックはどういう存在ですか。

田口:障がい者にも先天性とか後天性などがありますが、私のように途中から障がい者になった者は、それまで自分でできていた事が、いきなり何もできなくなるんです。腹筋がないから、最初はベッドから起き上がることもできない。ごはんを食べていてお箸を落としたらそれも拾えない。

自分がそうなった時「先のことを考えるのをやめよう」と思ったんです。先のことを考えると、私には未来がないと思ったし、自分の1年後を考えるのが怖かった。だから今日何をするか、目の前のことだけを考えようと思っていました。

射撃も最初はただ誘われたからやっていただけなんですが、どんどん試合に出るようになったある時、監督に「このままいったら、2年後のパラリンピックにでられるかもしれないよ」と言われたんです。そこで初めて「2年後か。それなら次のワールドカップでこれをとって、何ヶ月後には…」と目標を立てていて。その時、自分が2年も先のことを考えていることにびっくりしたんです。

スポーツをするとそういう具体的な目標が持てるんです。健常者もそうですが、「次回は1点でも多く点数をあげたい」というような、具体的な目標を持ってすすめていけるのがスポーツの素晴らしさではないかと思います。

土屋:オリンピックと並んで、商業ビジネスベースのプロのパラリンピアンが増えることは?

田口:仕事としてアスリートをやっていくのも、ひとつの方法だと思います。メダルをとりたい、有名になりたい人もいると思うし。でも観ている人の中には“障がいを見世物にして”という人もいるかもしれませんね。

アスリートの立場で言わせてもらうと、別に「この人は障がいを乗り越えてやっている」と思ってほしいわけではなく、ただ単にみんなと同じようにスポーツが好きで、好きなことをやって上を目指しているとわかってもらいたい。

パラリンピックの父と言われている、イギリスのルートヴィヒ・グットマン博士の言葉に「失くしたものを数えるな、残されたものを最大限に活かせ」というものがあります。別にこれをいつも思っているわけじゃないんですが、後ろを振り返るのではなく前を向いていくのは大切だと思うんです。

土屋:なるほど!

田口:たしかに、私たちは生活していて不便なこともあります。車椅子に乗っていて、子供なんかが無邪気に触ろうとするとお母さんは「やめなさい」っていいますが、反対に興味を持ってもらって、みんなで一緒に楽しい世界を作ることを考えてくれたらいいんじゃないかな。