過去の対戦こそ3回――。しかも1回は錦織が第1セット途中で棄権しているため、実質的に戦ったのは2試合でしかない。それにもかかわらずフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)は、錦織圭の記憶に"爪跡"を残したテニスプレーヤーであるようだ。

 初対戦は、2011年の全豪オープン。この年の錦織はチームスタッフを一新し、守備と安定感を重視した新スタイルを携え、3回戦まで危なげなく勝ち上がっていた。しかし3回戦では、当時9位のベルダスコに2-6、4-6、3-6で敗退。左腕から繰り出される強打に圧倒され、試合後には、「完敗。何もできずに終わった感がある」と失意を隠せなかった。

 初勝利は、昨年3月のインディアンウェルズ・マスターズで訪れる。世界の5位まで成長し、4年前とは立場を大きく変えていた錦織だが、それでもフルセットの辛勝を手にしたときには、「今日の結果は素直に嬉しい」と声を弾ませた。

「ベルダスコは、何年か前に対戦したとき、ちょっとまだまだ勝てない選手だなと感じたので。その相手に自分が成長して勝っていくというのは、すごく楽しいチャレンジです」

 ベルダスコもまた、錦織に己の成長の喜びを感じさせてくれる、貴重な先達のひとりであった。

 それから、1年――。32歳を迎えた現在52位のベテランは、またしても錦織に厳しい"チャレンジ"を強いる。

 第1セットは、「なかなか調子が上がらなかった」というベルダスコのセカンドサーブを叩いた錦織が、序盤のブレーク合戦を抜け出し奪取。第2セットは、第5ゲームから第8ゲームにかけ両者ともにサービスがキープできないなか、相手の強打に食らいつく執念を見せた錦織が終盤にゲームキープし、このセットも掴み取った。

 しかし第2セットの中盤から、フォアの強打のインパクト音だけで観客の興奮を誘うベルダスコが、判官贔屓(ほうがんびいき)を好むパリの観客を味方につける。また、強打自慢の男が「試しに使ってみたらすごく感触がよかった。2度目もきれいに決まったので、どんどん使っていこうと思った」というドロップショットを多用し始める。気温32度に達する暑さのなか、疲れの色を見せぬ32歳は、逆襲への闘志をぎらつかせながら第3セットへと入っていった。

「まずは目の前のポイントのことだけを考えた。サーブの調子も、ようやく上がってきた」

 後がなくなったことで開き直った感もあるベルダスコの集中力とともに、パリの気温も上昇する。乾いた土のコートは、ただでさえ弾むベルダスコのトップスピンを、より宙高く跳ね上げた。そのスピンでバックサイドを狙われた錦織は、打ち合いで守勢に回る局面が多くなる。力が入らず浅くなる錦織のバックを、ベルダスコはフォアで叩く。あるいは機を見て、錦織すら「うまかったとしか言いようがない」とお手上げのドロップショットを、ネット際に沈めてくる。第3セットと第4セットでベルダスコがフォアで奪ったウイナーは、いずれも8本。

 フォアの強打を生命線に、"フェルナンド・コール"を背に受けたスペインの熱い男が、第3、第4セットを連取。試合開始から2時間30分を超えた時点で、勝敗の行方はファイナルセットに委ねられた。

 ファイナルセットと錦織......と言えば、すでに彼の代名詞になりつつある、「ファイナルセットの勝率・歴代1位」の肩書きがある。勝率77.8%のデータが心強く光るが、数字は魔法の力ではなく、あくまで実績と根拠を反映しているに過ぎない。

「ファイナルセットに入って、展開を変えなくてはと思っていた。バックの高いところを狙われていたので、それをさせないよう前に入って、ライジングで打つようにした」

 この判断力と適応力、そして戦術変更を実践できる高い技術こそが、勝率77.8%の正体。第5セットのゲームカウント2-2で迎えたベルダスコのサービスゲームで、錦織はコート内に踏み込み、跳ね際を捕らえることで、高く弾むスピンショットの効果を殺す。30オールの緊張の場面から、バックのストレートのウイナーを決め、続くポイントもバックのクロスでブレークに成功。続くゲームでは、この日幾度も悔しい思いをさせられたドロップショットを返して、ついに自らのポイントにしてみせる。徐々に攻め手を失ったベルダスコから主導権を奪い返した錦織は、最後は胸のすくフォアのウイナーで、熱闘を締めくった。

 かつて錦織に、「まだまだ勝てない選手」との失意を植えつけた元世界7位は試合後、失意と同時に、「世界6位であり、今大会の優勝候補のひとり」とまで認める錦織と善戦したことに、ある種の満足感も示した。

「スタッツを見たが、総ポイント数では僕のほうが勝っていた(154対151)。もし、これがバスケットボールの試合だったら、僕が勝ったわけだからね」

 もちろんベルダスコも、これがバスケットボールの試合ではないことは、重々承知した上での発言。ファイナルセットで勝敗を分けた要因のひとつを、錦織はこう語った。

「トップ選手は、ファイナルに入ったときに落ち着きがあるだろうし、少なからず余力も残している。経験値が上がっている部分もある」

 上がった「経験値」。酷暑のなか、かつては体力ではるかに後れを取ったベルダスコ相手に、終盤でギアチェンジが可能になった心身の「スタミナ」。そして、たとえ総ポイントで負けていても、あるいは勢いで押されていようとも、真に勝敗を分ける数ポイントを確実に取りきる「底力」――。

 相手より少なかった3ポイント......それは逆説的に、錦織圭の成長と、"テニスプレーヤー"としての真価を示す数字である。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki