日本を訪れた中国人がまず感動するのは「日本の清潔さ」だと言われるが、中国メディアの寧夏在線は23日付の記事で日本の「清潔さの背後にある力」について論じている。(イメージ写真提供:123RF)

写真拡大

 日本を訪れた中国人がまず感動するのは「日本の清潔さ」だと言われるが、中国メディアの寧夏在線は23日付の記事で日本の「清潔さの背後にある力」について論じている。

 記事は日本の清潔さに対する印象を「全面的」という言葉で表現。中国の都市の場合、清潔なのは中心部など「メンツ」が関係する場所だけだと指摘する一方、日本の清潔さは大通り、小さな脇道、学校内、工場内にまで及んでおり、その規模は「全面的」また「全国的」であると紹介、中国との違いに感嘆を示した。

 続けて、日本には「清潔さの背後にある力」が働いており、その正体は「習慣」と「完璧を求める態度」であると指摘。その事例の1つとして1994年の広島アジア大会の開会式終了後、非常に大勢の日本人が後にした会場には「ゴミ1つ落ちていなかった」と紹介、この出来事について「恐ろしい日本人」と感想を述べた。

 記事はさらに日本と中国の大きな違いは「陽明学の知行合一」によって説明できると論じる。知行合一とは「知識と行動は本来分けることはできない」とする教えであり、記事によれば「知識があっても実践しないなら、それは知らないのと同じ」という考え方だ。

 例えば中国人は孔子の「自分にしてほしくないことは人にもしてはいけない」という教えを知っていても、「ただ空理空論をもてあそぶだけであり実践しようとしない」と記事は指摘。しかし日本人の場合は人に迷惑をかけないという原則が「魂と同化」しており、社会生活の様々な場面においてこの原則を実践していると称賛した。日本が全面的に清潔なのも魂と同化したこの原則が実践されているからだろう。

 もちろん多くの中国人は自宅はとても清潔に保っている。しかし自分の家の外、つまり公共の場所を清潔に保とうする意識は日本に比べて弱いと言える。それには確かに習慣や清潔さにおいて完全な環境を求める態度が関係しているのだろう。

 よく「習慣は第二の天性」と言われるが、中国社会において公共の場所を清潔に保つ取り組みに着手し、粘り強く継続させれば、それは習慣という大きな力になるだろう。そのためには、やはり中国政府が率先して清潔さの価値をよりいっそう認識しつつ、公共の場所を清潔に保つ取り組みを普及させることが必要ではないだろうか。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)