『炎と苗木 田中慎弥の掌劇場』田中 慎弥 毎日新聞出版

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"紀元前・紀元後"のような区切りが芥川賞の歴史においてもある気がする。おそらく年配の読者の方々にとっては"石原慎太郎前・石原慎太郎後"などは大きな転換点だったのではないだろうか。個人的に特に顕著だったと感じるのは2例。ひとつは"綿谷りさ金原ひとみ前・綿谷りさ金原ひとみ後"。芥川賞への注目度が飛躍的にアップするきっかけとなった受賞風景だったと思う。もうひとつの転換点が"田中慎弥前・田中慎弥後"だ。

 それ以前から兆候はあった。モブ・ノリオ氏や西村賢太氏といった強力キャラたちが場をあっためていてくれていたというか。そこへ満を持して(?)の田中氏登場。酔っているようにも見える不機嫌そうな質疑応答と、奇しくも上で述べた通り芥川賞作家の大先輩であり選考委員のひとりでもあった石原慎太郎都知事(当時)への揶揄が印象に残る"キャラの立った"受賞会見は記憶に新しいかと思う。"田中慎弥後"の受賞者たちは(「おもしろいことを言わなければ」とまでは思わないにしても)、自身が会見に臨む際に心のどこかしらでこのときの田中氏の姿を思い浮かべるのではないだろうか。

 本書は「田中慎弥の掌劇場」シリーズの第2弾。約3ページほどの掌編が44編収められている。前作も読んでいるが、政治的なメッセージ性とエロティシズムがより濃厚になったという気がした。特に印象に残ったのは「正常な春」という一編。日本人が悲しみや怒りを覚えなくなってずいぶん時が経った、2月のある日の午前中。その世界では日本が国防軍を保有しており、テレビでは絶えず戦況を生中継で放送している。主人公とその妻は老夫婦であるようだが、戦場の実況中継がもたらす性欲増進効果によって新婚当時と変わらない行為に及ぶ。悲しみと怒りが失われた後に残るのは政治と肉欲、ということなのだろうか。

「掌劇場」の新聞連載はすでに終了しており、このシリーズは2冊で完結ということのようだ。著者ご本人があとがきで「自分には長いものより短いものの方が向いていると思っている」と書かれているように、私も読者としてまったく同じように思っていた。長編が向いていないということではなく、アイディアを出し惜しみせず短編(ショートショート)にぱっぱと使っていかれる潔さのようなものが、田中氏の作風とマッチしているように感じたから(ショートショートといえば思い出されるのはこの分野のパイオニアである星新一氏だが、"長編もショートショートも同じくひとつのネタを使って書くわけだけれど、ショートショートはとにかく数で勝負となるのがたいへんだった"といった趣旨のエッセイを書かれていた記憶がある)。その"自分に向いている"連載を終了させたのは、田中氏が自身で決断されたことのようだ。「作家になって十年が経ち、いままで通りのやり方を続けていては駄目だと感じた。(中略)とにかく、自分に合ったものを自分の手で封じることで、作家として次の段階に行けるのではないかと考えたのだ」と。大きな賞を取ったことでもてはやされても、それによって副収入の道などが開けたとしても、より高みを目指して書き続けられる人こそが真の作家といえるのだとこちらまで身の引き締まる思いがした。田中さんが進まれる道は険しいものかもしれませんが、ぜひ歩き通していただきたいと思います。そして、いつかまた掌編を書いていただけますように。得意なものを磨き上げることも、やはり作家が挑むべきことではないかと思いますので。

(松井ゆかり)