ダニエル太郎、23歳――。職業、テニスプレーヤー、あるいは"tenista(テニスタ)"。

 アメリカ人の父親と、日本人の母親を持ち、生まれた街はニューヨーク。生後ほどなくして日本に移住し、その後は大阪、埼玉、名古屋を転々としたのち、13歳のときにスペインのバレンシアに移り住んだ。それ以降から今日までの10年間、パエリアで有名なイベリア半島の温暖な街こそが、彼の居住地であり、テニスに打ち込む拠点であり、国際色豊かなひとりの青年を育んできた土壌である。

 昨年末にトップ100入りも果たした、日本テニス界が期待を寄せる「大型選手」。それは、豊かな陽光を浴びてすくすくと伸びた191cmの長身のみならず、日本人が苦手としがちなクレーコートでも欧米勢と渡り合えるスケール感にも由来するものだ。

 そのダニエルは、昨年に続き、今年も全仏オープン本選に出場。初戦では2セットダウンからの大逆転劇で、グランドスラム初勝利を手に掴んだ。コート上では情熱的で粘り強く、オフコートでは穏やかでカラフルな感性を備えた、青年の素顔に迫る――。

―― 日本やスペインに住んだのは、お父さんの仕事(ファイナンシャル・アドバイザー)の関係なんですよね?

ダニエル太郎(以下、ダニエル):基本的にお父さんは住みたい街に、住みたいときに行くので。アメリカにいたときは日本に憧れていて、日本に住んだらヨーロッパに住みたくなった......って、お母さんが言うには、ですが(笑)。

――お父さんはなぜ日本に憧れていたのですか?

ダニエル:直接聞いたことはないですが、お父さんのお母さんが日系アメリカ人なんです。たぶんそれもあって、日本に行きたかったのかな?

―― そして日本に10年住んだ後、お父さんはスペインに行きたくなった。

ダニエル:そうみたいです。スペインの雰囲気や、スペインのテニスも好きだったみたいで。

―― スペイン語はすぐに話せるように?

ダニエル:それは大丈夫でした。スペインに行く前から日本で、テニスの練習に行くときの車のなかでテープを聞いて勉強していたし。スペインに行ってからも毎週、先生と勉強して3ヶ月半くらいで普通にしゃべれるようになりました。

―― バレンシアは、行ってすぐ好きになりました?

ダニエル:いや、最初のころは全然好きじゃなくて。(所属した)アカデミーは大きすぎず、ちゃんとコーチに見てもらえるのでよかったけれど、僕が行ったころは若い子がいなかったので、あんまり友だちもできなかったし。ずっとテニスして、勉強して......という感じでした。

―― 日本が恋しくなったりしませんでしたか?

ダニエル:ホームシックというのはないですが......日本で一番、恋しくなったのは食べ物かな(笑)。もちろん、友だちも恋しかったけれど。

―― ちなみに好きな日本食は?

ダニエル:うどんです。

 13歳で渡欧してから、日本に来ることはそれほど多くなかったダニエル。だが、2年前にデビスカップ(デ杯)の日本代表に緊急招集されて以降、母親の祖国を訪れる機会が増え、日本のファンとの親睦も深めてきた。日本テニス界や文化は、彼の目にどのような景色として映っているのだろう?

―― 昨年は10月の楽天オープンに出る機会もありましたが、欠場してヨーロッパの大会に出ましたよね。なぜその選択を?

ダニエル:あのときはデ杯の直後だったし、ランキングもトップ100に近いときだったから、ポイントを確実に稼ぎたかったんです。翌年1月のオーストラリア・オープン出場を確実にしたいな、と思っていたので。

 それで、ヨーロッパのチャレンジャー(ATPツアーの下部レベル大会)に行ったんだけど、全然ダメで......(笑)。楽天に行けばよかったな、と後悔しました。毎回、そういうふうにポイント獲りにいくと、絶対にいい結果じゃないんです。だから、守りに入っちゃダメだなと思いました。

―― その後、11月に日本のチャレンジャー2大会に出て、兵庫で準優勝、横浜では優勝。日本のファンの前で結果を出した気分は?

ダニエル:緊張は意外としなかったけど、観客の多さにすごくビックリしました。でも、やっぱり嬉しいですね。人が観に来てくれたほうが、自分のやっていることに価値があるんだな、と思えるので。

 いつもアテンション(注目)されるのはよくないと思うんですが、ずっとスペインにいるので、普段はチヤホヤされないから。たまに日本に行って、ああいうふうなことがあると、「僕も本当にプロで、人気のあるところもあるんだな〜」って(笑)。実感できたのが嬉しかったです。

―― スペインでは、そういうことはないのですか?

ダニエル:全然ないです。スペイン人って全然、ミーハーじゃないので。練習を観に来てサインを頼むなんて、(ダビド・)フェレール(同じアカデミーに所属する現在世界ランキング11位)にもしないので。

―― ファンのこと以外にも、日本人が他の国の人と違うなと思うところはありますか?

ダニエル:ありますね。日本人は時間に遅れないし、街とかも清潔だし。何かをやるときにしっかり準備をしているというのも、すごくよいところだなって感じます。ただ、日本人はあんまり英語とかを話さないので、海外の人から「シャイで話さない」と見られていて。だから外国人とも、もっとコネクションできていけばいいと思うんですけど......。

 どの国にも良いところと悪いところがあるけれど、最近は特にインターネットとかがあるから、国自体のキャラクターは失われてきていると思います。たとえば、センシティブ(繊細)な人はそういう人なわけで、国は関係ないだろうし。グローバルな感じになってきていると思います。「この国の人だからこう」というわけではないと思います。

―― さすが、グローバルなダニエル選手ならではの言葉ですね(笑)。では試合のときは、何語のどんな言葉で応援してほしいですか?

ダニエル:英語が一番、嬉しいですね。普段、英語で応援されることがあまりないから。コーチはスペイン語だし、日本人の観客からは「がんばって」と言ってもらえるんですが......「がんばって」って、あんまりパンチがないなって思うんです(笑)。もっと強い言葉がないかなって。英語で、「カモン」とかがいいですね。

 日本との"コネクション"を強めるに従って、彼は日本人選手たちとの交流も深めてきた。それは必然的に、世界のトッププレーヤーである錦織圭も身近な存在と感じ、新たなモチベーションを得ることにもつながっている。わけても、今年2月末のデビスカップ対イギリス戦で日本代表に選ばれ、「アンディ・マリー対錦織圭」の死闘を間近で見た経験は、ほかでは得がたい刺激となったようだ。

―― 錦織選手対マリーの試合を見た感想は?

ダニエル:あのときは、なんていうのかな......試合のレベルに本当に驚きました。もちろん、デ杯チームの責任として日本の応援をしなくてはいけないけれど、2セット目が終わったころには、もうそんなことが頭に入ってこなくて......。ボールの打ち方とか、とにかく「すごい!」と思いながら見ちゃってました。こういう試合がある場所に僕も辿り着いてきたのかな、とも思ったりして。本当に感動でした。

―― 何が一番、すごいと感じました?

ダニエル:いやもう、5セットずっと同じ高いレベルでやっていて、ふたりとも疲れているとは見えましたが、疲れながらもずっとレベルを保っていた。圭くんのボールのスピードやコントロール、捕らえ方もすごいし、マリーもよく走るなって。いろんなことがすごかったです。

―― その、ものすごい試合をする錦織選手と、練習したり、ご飯を食べに行くことは有意義?

ダニエル:そうですね。特に練習をしてくれることや、身近で練習を見られる環境にいられるのは、最高だと思います。でも、ご飯に行くときは、普通の若者って感じで(笑)。「圭くんが特別」っていう雰囲気はなくて、それはそれですごくいいと思います。トップ選手が相手だと意識しちゃうこともありますが、圭くんにはそんなふうに感じないし(笑)。

―― では、ダニエル選手自身の、今のテニスの目標は?

ダニエル:サーブの前に、ペースを早くしてモーションに入るのを目標にしています。緊張すると、ボールを多く弾ませたり、トスの前に動きが止まる時間が長くなるので。もっとスムーズにいくのを一番の課題にしています。

 あとは、フィジカルを強化し、体重を増やすこと。27歳はいろんな面で、一番いい年齢になると思うんです(現在23歳)。東京オリンピックのときかな? そのときには85kgになっていたい。今は79kgくらいなので、1年に1.5kgずつ増やしていきたいです。

 ダニエル太郎が一番嫌う日本語は、おそらく"焦る"である。「絶対に焦りたくはない」。先々の目標や夢を問われるたび、彼はそう答えている。焦らず、一歩ずつ、着実に――。その歩みがどこに到るのか、見守りたいと思わせてくれる庭球選手である。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki