「イイクニつくろう」の語呂で覚えていた鎌倉幕府の成立年は「1185年だった」という説が加わるなど、歴史教科書の中身は時代とともに変化している。かつて教えられた知識がいまでは覆されているのを知って驚くのは、昭和生まれの世代だ。

平成世代の使用する現在の教科書には「士農工商」が載っていないと聞き筆者もビックリした。一体どういうことなのか。中学校で実際に利用されている社会科の教科書(歴史的分野)を買って読んでみた。

「士農工商」が使われなくなった理由



教育関係の仕事に務めていたり学校に通う年頃の子どもがいたりしなければ、学校教科書に触れる機会は通常ほとんどない。今回、一般客向けにも売っている都内の教科書販売店を訪れ、卒業してから十数年ぶりに教科書を手にした。サイズが全体的に大きくなっている気がする。中のページも写真やイラストが豊富で、昔より親しみやすいデザインだ。

東京書籍の教科書で「士農工商」のページがあるか探してみる。巻末の索引ページにはない。パラパラとめくると「身分制度の廃止」という項目があった。
「新政府は天皇の下に国民を一つにまとめようと、皇族以外は全て平等であるとし、また移転や職業選択、商業の自由を認めました」という記述の脚注で各身分が説明されていた。しかし「士農工商」という言葉ではなく、武士(士)、百姓(農)、町人(工商)と別々に表記してある。
「武士(士)、百姓(農)、町人(工商)の身分を一つにすることから、こうした身分制度の廃止は『四民平等』といわれました」

語呂が良く歴史の単語の中では比較的覚えやすかった記憶がある「士農工商」。なぜ教科書で使われなくなったのか。これには用法の誤りを指摘されたことが背景にあるようだ。従来は「士農工商」は上下関係を表すものとして使われていたが、近世史研究の発展によって実態とは異なっていたことが明らかになったという。東京書籍の教科書に関するQ&Aページには、教科書から「士農工商」の記述がなくなった経緯が詳細に解説されている。

「武士は支配層として上位になりますが、他の身分については、上下、支配・被支配の関係はないと指摘されています。特に、『農』が国の本であるとして、『工商』より上位にあったと説明されたこともあったようですが、身分上はそのような関係はなく,対等であったということです。また,近世被差別部落やそこに暮らす人々は『武士-百姓・町人等』の社会から排除された『外』の民とされた人として存在させられ、先述した身分の下位・被支配の関係にあったわけではなく武士の支配下にあったということです」

他の出版社から出ている教科書を調べても、「士農工商」という表現は同様に見つからなかった。

変わる人名表記



いまの歴史教科書を読んで驚くのは、それだけではない。人名の表記方法も変わっている。ゲティスバーグでの有名な演説「人民の、人民による、人民のための政治」で知られるエイブラハム・リンカーンは、最近は「リンカン」と表記されるらしい。帝国書院の教科書ではこんな調子だ。
「1861年に内戦(南北戦争)が始まりましたが、合衆国の統一と奴隷の解放をめざしたリンカン大統領の指導の下で、北部が戦争に勝利しました」

どうもしっくりこない感じがする。
帝国書院のサイトにある説明によると、「国際化が急速に進展している現状を踏まえ、できる限り現地の読み方に近い表現で外来語を書き表しています」という。高校の世界史の教科書では、他社のものを含め、ほぼ「リンカン」で統一されているというから驚きである。

さらに同社の教科書ではルーズベルト大統領は「ローズベルト大統領」の表記だ。近年の世界史の研究所や辞典類が「ローズヴェルト」となっていることから、この表記が今後主流になるものと判断したそうだ(義務教育では「ヴ」を基本的に使わないため「ベ」を使用)。最新の教科書には昭和世代が知らないことがまだまだ詰まっているかもしれない。