春風亭昇太は100年にひとりの「笑点」司会者になるか

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「笑点」の公開収録はかつて一回だけ、後楽園ホールへ観に行ったことがある。2000年だから、先代の三遊亭圓楽が司会だったころだ。大喜利のコーナーにもまだ林家こん平が元気に出演し、林家木久扇も木久蔵を名乗っていた。その後大喜利のレギュラーとなる春風亭昇太はたしかこのとき、若手大喜利のコーナーに出ていたのではなかったか(林家木久扇の息子で、いまは木久蔵を襲名している林家きくおが出ていたことは間違いない)。ついでにいえば、観覧したのは6月17日である。日記もつけていないのになぜ断定できるかというと、香淳皇后の亡くなった翌日だったからだ。このとき演芸コーナーに出演していた大木こだま・ひびきの持ちギャグ「往生しまっせ〜」は時節柄大丈夫だったのかと、一緒に行った落語好きの友人(そもそも観覧に応募したのは彼)と与太話をしたのを覚えている。

まあ、16年前に公録を観覧したときは、まさか昇太がこの番組の司会になるとは夢にも思わなかったわけですが。あらためて調べたら、どうやら昇太は若手大喜利に出ていたどころか、司会を務めていたという。まったくもって自分の記憶力のなさにあきれてしまう。


昇太に願うは、師匠・春風亭柳昇の境地


というわけで、すでに周知のとおり、きのう5月22日放送の「笑点」にて司会の桂歌丸が自分の後任に春風亭昇太を指名した。私としてはその決定にちょっと意外と驚きながら、それでいてすぐストンと腑に落ちた。いや、きのうあれだけサプライズを期待する記事を書いたから負け惜しみを言っているのではない。これが巷間での噂どおり圓楽を指名ということになっていたら、ある種の「政治」というか、出来レースっぽい印象を受けたような気もする。

きのうの記事では、最後に「新司会者の人選を見ることで、制作側がこの番組の将来をどう考えているかがあきらかになることは間違いない」と書いた。放送後の会見ではまるでこれに答えるかのように、番組プロデューサーが「フラットに番組を100年続けていくためには、大喜利はチームワークなので、外部の方に来ていただくことは早い段階でやめた」と明言し、「回答者の中から、ひとりずつシミュレーションしていき、2月頃に昇太師匠に決めた」ことを打ち明けたという(「ORICON STYLE」2016年5月22日付)。「100年続けていく」心意気とは、昨今どこを見ても縮小気味のテレビ界にあってじつに頼もしい。

昇太起用にあたっては、番組の正規レギュラーになる以前に若手大喜利の司会を務めてきた経験も買われたはずだ。その若手大喜利では、こんなエピソードもあったと、当時の回答者のひとりであった林家たい平が昨日付の「アサ芸プラス」の記事で明かしていた。

それは、本家・大喜利の回答者だった林家こん平が2004年に病気で番組を離脱したときのこと。急遽、若手大喜利の優勝から代役を出すことになった。これに弟子のたい平は「師匠の座布団は弟子の自分が死守する」と奮起するも、出す答えがことごとくすべってしまう。司会の昇太もできることなら師匠の代役を弟子が務めるのが自然だと考えていたが、これでは座布団をやれない。そこで昇太は、ほかのメンバーから座布団を取り上げて、たい平を優勝させることにしたという。これにより無事にたい平は代役に選ばれ、2年後には昇太とともに正式メンバーとなった。今回、昇太が司会に選ばれたのには、上記のような若手大喜利で見せた機転もポイントとなったのではないか。

ちなみに昇太は、若くは見えるが、1959年12月生まれなので現在56歳。今週来日するアメリカのオバマ大統領より2つ年上だ。学校の教師なら校長になっていてもおかしくない年齢だし、現在のプロ野球12球団の監督のうち彼より年上はもはや楽天の梨田昌孝(62歳)しかいない。

もっとも、歌丸と同じ年齢まで司会を務めるとすれば、あと20年以上は大丈夫ということになる。「落語は老人芸」ともいわれる。「笑点」司会を続けながら昇太がいかに円熟味を醸し出しいくか、これから楽しみだ。いまは亡き師匠・春風亭柳昇のあのすっとぼけた感じが出てきたら、しめたものではないか。

その師匠・柳昇には「春風亭柳昇といえば我が国では……私ひとりでございます」という高座でのお約束の文句があった。これにならうなら、弟子の昇太にもぜひ「笑点の司会者といえば我が国では……私ひとりでございます」というフレーズが照れもてらいも嫌味も感じさせず口にできる、そんな司会者になっていただきたい。そもそも番組の100年継続を託されて選ばれたのだから、もう「100年にひとりの司会者」になるしかないだろう。

「歌丸は終わらない」、その答えは同日のNHKスペシャルに


きのうの「笑点」特番は、生放送と録画を取り混ぜての1時間半の放送となった。後半の生大喜利のためレギュラー全員がそろわなくてはいけないにもかかわらず、三遊亭圓楽・三遊亭好楽・林家たい平が地方営業のため会場入りが遅れ、この番組には珍しくちょっと緊張感が漂う。その後遅れて登場したたい平は、会場へ向かう新幹線の車内で、ほかの乗客から「え、大丈夫!?」という表情をされたという話で笑わせ、最後にやって来た好楽はカメラを向けられた時点でまだ着替えの途中で、それがまたおかしかった。

番組は、先週からの番組開始50周年を祝うムードを残しつつ、50年の「笑点」事件簿のコーナーで「歌丸、死亡事件」とか「歌丸が救った好楽引退事件」といったエピソードをとりあげるなど、全編にわたって歌丸にスポットが当てられた。それでも、当人は自分から前に出ていくというよりは、あくまで番組の引き立て役に徹していたように思う。

新司会者の発表もしごくあっさりしていた。最近のテレビでありがちなCMをまたぐなどしてズルズルと引っ張ることはなく、歌丸の口から「昇太さんにお願いしたいと思います」ときっぱり伝えられた。そのあとも花束贈呈といったセレモニー的なものはなし。湿っぽさを一切感じさせないまま、まさに五月晴れの空のようにさっぱりと番組は終わり、粋ですらあった。

むしろこの日、歌丸にディープに迫ったのは、「笑点」よりも21時からのNHKスペシャルだった。「人生の終(しま)い方」と題する特集で歌丸は案内役を務めるだけでなく、自らも取材対象として登場。そこでは、彼が高座を降りると用意された車椅子に乗って移動する様子、着替えるときに見せた痩せ細った体など、結構ショッキングな映像も少なくなかった。

それでも、高座に上がり続ける気迫は十分すぎるほど伝わってきた。「笑点」生放送終わりの提供クレジットの画面には、「歌丸は終わらない」のフレーズが掲げられていたが、そうか、あれはNHKスペシャルの前フリだったのか! そう思わせるほど、この日の日テレとNHKの連携は見事であった。
(近藤正高)