「人は生まれながらに平等じゃない。これは齢4歳にしてみんなが知る社会の現実」

先週放送の『ヒロアカ』第7話「デクVSかっちゃん」は、対人戦闘訓練のクライマックス。主人公の緑谷出久(通称デク)が、麗日お茶子(うららかおちゃこ)と組んで、因縁の爆豪勝己(かっちゃん)、飯田天哉チームと対決する(飯田くんと因縁はない)。


デクとかっちゃんは幼馴染。かっちゃんは何でもやればできるガキ大将の乱暴者。超能力の一種である“個性”も強力でヒーロー向きだ。周囲の賞賛の声はかっちゃんを増長させ、いつしか自尊心の塊になってしまった。

それに対して、デクは超能力を持たない“無個性”。体は小さくて気も弱く、いつもかっちゃんの後をついてまわるだけ。でも、弱いものや困っているものを見ると放っておけず、恐怖に震えながら相手に立ち向かう。

デクにとって、かっちゃんの存在はとても眩しいものだった。オールマイトを超えるヒーローになりたいという高い目標を持ち、それに見合う実力も持っている。「人は生まれながらに平等じゃない」と強く自覚させられたのも、かっちゃんがいたからだ。だから、デクは人一倍努力するようになった。

かっちゃんにとってデクはとるに足らない存在だった。でも、無力なクセに弱い者を助けようとするのが気に食わなかった。幼い頃なら軽く踏み潰していたのに、いつの間にか自分の知らない“個性”を持ち、対等な立場でヒーロー養成校の最難関である雄英高校に入学してきた。なおさら気に食わない。とことん気に食わない。

お前は道端の石っコロのはずなのに、なぜ俺の前にいる? なぜ俺に立ち向かう? ムカつくなああああ!(最後のは前回のセリフ)

『ヒロアカ』で成長するのは出久だけではない


最初は敵対しているライバルで後に仲間になる存在の登場は、少年マンガの王道だ。ライバルは単なる敵ではなく、主人公にとって乗り越えなければいけない最初の壁として設定されていることが多い。

『あしたのジョー』の力石徹は、矢吹丈にとって乗り越えなければいけないライバルだった。力石は死んでしまうため仲間になることはなかったが、丈は誰よりも力石に仲間意識を抱いていた。『ドカベン』の岩鬼は山田太郎を倒そうと付け狙っていたが、いつの間にか周囲から山田を守る仲間になっていた。紳士然とした『キン肉マン』のテリーマンも、最初はイヤミなライバルだった(「ボーイ おとなをからかっちゃいけないよ!」)。

『ドラゴンボール』はこのパターンの宝庫だが、爆豪勝己に一番近い存在はベジータだろう。エリート意識の強い天才戦士で、同じサイヤ人の悟空を「落ちこぼれのクズ野郎」と見下している。見下しているからこそ、自分に歯向かってきたときの憎悪は加速するのだ。

出久にとって、爆豪勝己は最初に乗り越えなければいけない存在として設定されている。無個性で気弱だったデクは「平等じゃない」「社会の現実」を乗り越えるため、感情を剥き出しにしてかっちゃんと戦う。ここで逃げたらいつまでも弱虫のまま。ヒーローになんかなれやしない。それがわかっているから、デクは果敢にかっちゃんに立ち向かう。

「君が……君がすごい人だから勝ちたいんじゃないか!
勝って超えたいんじゃないか! バカ野郎!!」

しかし、爆豪勝己は単なる出久の踏み石ではない。『ヒロアカ』では爆豪勝己の内面もしっかりと描かれている。幼稚で、尊大で、自己中心的。なぜ彼はそのような少年になったのか。出久に対してどのような怒りを燃やしているのか――。

結局、対人戦闘訓練は出久&お茶子組が勝利した(戦闘力のバランスの悪い組み合わせで、弱い方が知恵を使って勝利するのは、プロレスのタッグマッチの醍醐味に通じるものがある)。ボロボロになりながら勝利を得たデク。それを見つめるかっちゃんの目は驚きで見開かれ、自信と憎悪に満ちていた表情がわずかに歪む。

『ヒロアカ』は出久がヒーローへの道を歩む成長物語だ。だが、その裏側には爆豪の成長物語も流れている。出久は勝利によって成長し、爆豪は敗北によって成長する。もともとヒーローとしての素養を持ち、人間的に完成されている出久に比べ、人間としてはるかに未熟な爆豪が成長していくお話は、正しくビルドゥングスロマン(自己形成と内面の成長を描く物語)と言えるだろう。

さて、本日放送の第8話はクラスメイトたちの対人戦闘訓練や、訓練後のデクやかっちゃんの様子を描く「スタートライン、爆豪の。」。あれ? 来週書くことを今週書いちゃったような気がするなぁ……。それではご唱和ください。さらに向こうへ、「Plus Ultra!」。
(大山くまお)