●日本映画界きってのヒットメーカー・橋本忍。

 橋本忍と言えば、日本映画好きで知らない人はいないだろう。
 かの伊丹万作の唯一の脚本の弟子であり、『羅生門』以来黒澤明監督作品に参加し、『七人の侍』『生きる』など多くの名作の創作に関与し、自作のドラマ『私は貝になりたい』の映画化に当たって監督デビュー。さらに1973年には橋本プロダクションを組織し、脚本家・プロデューサーの立場で『砂の器』『八甲田山』といったヒット作を世に放つ。日本映画の歴史の中で、単なる脚本家としてではなく、監督として、またプロデューサーとしても大きな実績を上げた人物であり、彼が関わった作品は名作話題作、ヒット作のオンパレード。まさしくある時代の日本映画にとって「橋本忍」とはヒット・ブランドであったのだ。

 その橋本忍が自らの仕事ぶりを、特にサブタイトルにある「私と黒澤明」を中心に邂逅した『複眼の映像』は、2006年6月に刊行された名著だ。今回この本を改めて読んだのは、黒澤監督との共同作業の様子を知りたかったのではなく、燦然たるフィルモグラフィを持つこの映画人が、晩年になってなぜ『幻の湖』のような珍品としか呼べないものを自ら監督したり、『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』など、脚本家としても奇妙な作品を乱発したのか?との疑問が湧いたからだ。


●東宝創立50周年記念作品「幻の湖」は、
              わずか18日間で上映が中止された。

 その橋本忍原作・脚本・監督作品『幻の湖』は、東宝創立50周年記念作品との冠付きで、1982年9月11日から全国東宝系で公開される。ところがヒットメーカー・橋本渾身の監督作品との期待とは裏腹に、興行的にはまったくの不入り。上映打ち切りとの噂を耳にした筆者は当時、メイン館である千代田劇場に電話して「『幻の湖』、いつまでやっていますか?」と聞いた覚えがある。すると電話に出た女性は「今月の29日までです」と。「30日からは何を上映するんですか?」「『ハイティーン・ブギ』と『ブルージーンズ・メモリー』のリピートです」。つまり東宝創立50周年記念作品は公開後わずか18日間で上映を打ち切り。それに代わって好調だった、たのきんトリオ(当時)のアイドル映画を、再度上映するという。とんだ創立50周年だ。

 以来『幻の湖』は現在でも希有な珍品として語り継がれているが、今回『複眼の映像』を読むに当たって、DVDで『幻の湖』を鑑賞した。そして世間の評価に間違いはないことを確信した。これはもう、珍品であり怪作である。当時の東宝首脳陣が、50周年を記念したこの映画を初めて見た時、どのようなリアクションをとったのか考えると、わくわくする(悪趣味だなあ、我ながら)。

 『幻の湖』という映画は、雄琴に務めるソープ嬢が犬と一緒にマラソンに励むものの、その犬が殺されてしまう。ところがここで物語が反転。なぜか戦国時代にタイムワープ。雄琴のソープとはまったく関係ない話がダラダラと続き、最終的にソープ嬢は愛犬の敵をとる。その後スペーシャトルが宇宙に出たところで映画は終わる。


●『複眼の映像』の不足が『幻の湖』を珍品にした?

 『複眼の映像』で橋本忍が、『七人の侍』『生きる』における黒澤明とふたりの脚本家の共同作業を、詳細に描写している。ストーリーを書くのは黒澤と橋本で、もうひとりの脚本家・小國英雄は執筆に加わらず、ふたりが書き上げたシーンに対して、意見を述べたり指摘をする役目。「旦那」の異名をとる彼に黒澤は一目置き、司令塔の役割を割り振る。こうした共同作業が活きた結果、『七人の侍』や『生きる』は、単に物語を語るだけでなく、複合的な視点がこめられた傑作になっているのは作品を見て分かる通り。ところがこのやり方を途中から黒澤は崩してしまう。脚本家チームから抜けた橋本、司令塔から執筆者へと役割を変えた小國"旦那"。だがこの変更は黒澤の支配力が強くなり、結果的に作品の面白さに貢献することが少なくなってしまう。黒澤が1980年に監督した『影武者』について、東宝が橋本プロとの共同製作を想定するものの、シナリオを一読した橋本は「出来が悪く、つまらなく、ただただしんどい」と一蹴。85年の『乱』に関しても、共同執筆によるシナリオがうまく機能していないことを『複眼の映像』で指摘している。

 結局黒澤作品の面白さを支えたのは、複数の脚本家による共同作業であり、書き手に加えて「司令塔」と呼ばれる客観的な視点を持つ者を配置することで、シナリオが独りよがりになることを回避し、複数の視点から面白さを追求することが出来た。本書のタイトルにある『複眼の映像』という言葉も、その重要性を重視した橋本が命名したものだろう。

 ところが『幻の湖』を見ると、これが橋本の単独執筆で監督も兼任しているとあって、彼が持つイメージが断片的に散りばめられていることで、それぞれのシチュエーションの意味するところが、てんでバラバラ。ただ単に複数のドラマを強引に繋げただけとあっては、観客を困惑させるばかりである。

 この作品について橋本は『複眼の映像』の中で、「結果としては脚本の無理が祟り、作品の出来はもう一つ、興行的にも惨敗し手痛い目に遭った」と述懐しているが、当時の彼にこそ必要だったのが、「複数の客観的な視点で作品を構成する力」、つまり「複眼の映像」ではなかっただろうか。小國の旦那に「お前は腕力でシナリオを書く男だ」と評された、その豪腕が逆に橋本の首を絞めた、独りよがりで意味不明な作品を創り上げてしまったと言えるだろう。

 結局橋本忍が、なぜ『幻の湖』を原作・脚本・監督として実現させようとしたのかは、「複眼の映像」を読んでも、はっきり分からなかった。その後脚本家として手がけた『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』についても本書では語られていないが、『幻の湖』に関する評価やエピソードを念頭に置いて、この『複眼の映像』を読むと、改めて色々な発見があるから面白い。

(文/斉藤守彦)