日本には老舗と呼ばれる企業や店が数多く存在するのに対し、中国にはほとんど存在しない。中国では企業とは多産多死の存在だ。経済の新陳代謝が活発という見方もできるが、なぜ中国では企業の生き残りが難しいのだろうか。(イメージ写真提供:123RF)

写真拡大

 日本には老舗と呼ばれる企業や店が数多く存在するのに対し、中国にはほとんど存在しない。中国では企業とは多産多死の存在だ。経済の新陳代謝が活発という見方もできるが、なぜ中国では企業の生き残りが難しいのだろうか。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、焼いた餅を約1000年にわたって販売し続けている京都の老舗を紹介。同老舗は西暦1000年に創業した老舗であり、25代にわたって受け継がれていると紹介、販売しているものは焼いた餅という「単純なメニューだ」とする一方、商品を作る各工程に「真剣さ、精神の集中、熟練」を感じ取ることができると称賛した。

 記事は「餅を焼いて1000年」という言葉を用いているが、ここには同老舗に対する深い敬意と感動が込められている。この感動について「単純に見える仕事に対して、極めるほど純粋に打ち込む精神を抱けることに敬服させられる」と表現、匠の精神の継承が長寿企業を支える重要な柱になっているという見方を示した。

 同記事が「敬服する」と表現したのは、中国企業には営利のみを追求するあまり、本業をおろそかにして事業を多角化する、いわば「地に足のつかない」傾向があるからだろう。そして、こうした傾向があるからこそ本業を極めることができず、淘汰されてしまう。

 また記事は、同老舗ひいては日本人が「匠の精神を身に付けることができた」ことにも敬服しているようだが、日本人が匠の精神を「身に付けるができる」のはなぜだろうか。なぜ単純に見える仕事でも「極めんばかりに純粋に打ち込むことができる」のだろうか。記事がその理由の1つとして注目しているのは日本人の価値観だ。日本の職人の信念を表す言葉として「職人がもし自分の作品を素晴らしい出来だと感じるなら、それはすでに下り坂にいることを意味している」という言葉を紹介。

 さらに、別の職人が「ずっと精進を続けるのは、頂点がどこにあるかを誰も知らないからだ」と述べていることを紹介した。こうした職人たちの信念は、仕事そのものへの深い敬意を抱く日本人の価値観を代表しているといえる。そしてこうした価値観が豊かな土壌となって、日本に数多くの長寿企業を誕生させてきたと言えそうだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)