2014年4月9日、会見を行う小保方晴子氏(撮影=吉田尚弘)

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 STAP細胞をめぐる問題で、理化学研究所の研究室から何者かがES細胞を盗んだ疑いがあるとして2015年5月14日、元理研研究者である石川智久氏が刑事告発していた。しかし、1年あまりの捜査の結果、今月18日、神戸地方検察庁は「窃盗事件の発生自体が疑わしく、犯罪の嫌疑が不十分だ」として不起訴にした。

 地方検察庁が「窃盗事件の発生自体が疑わしい」という声明を出すのは異例だが、この騒動は一体なんだったのだろうか。

 告発者の石川氏は、当時メディアに対して次のように発言していた。

「私の調査から、小保方晴子氏が若山照彦教授の研究室(以下、若山研)からES細胞を盗み出したと確信した。(告発しなければ)さもないと日本の科学の信頼は地に落ちたままである」

 さらに石川氏は、独自に入手したという小保方氏の研究室(以下、小保方研)のフリーザーに残されていたサンプルボックス(細胞サンプルが入った容器)の写真をマスコミに提供し、そこにあるES細胞が動かぬ証拠だと主張していた。しかし、その後ジャーナリスト上田眞実氏の調査により、このサンプルボックスは若山研が理研から引っ越す際にそのまま残していった、いわゆるジャンク細胞(使い道のない細胞)であったことがわかった。

 理研では細胞などの試料を外部へ移動させる際には、MTA(試料提供契約)を必ず提出しなければならないことになっている。だが、上田氏の取材で、証拠として示したサンプルボックスに関しては、若山研からMTAが出されていなかったことが明らかになった。さらに、理研に対し若山研から盗難届も出されていなかったことも判明した。

 理研関係者に取材したところ、若山研に限らず、研究室が引っ越しする際に使わない試料をそのまま置いていくことが多かったという。残されたジャンク細胞の処分問題に理研も苦慮していた。小保方研にあったサンプルボックスも、そのひとつだったのだ。

 このサンプルボックスは若山研が13年に理研から山梨大学へ引っ越す際に残したものだが、その時点ではSTAP細胞の主要な実験は終わっており、英科学誌「ネイチャー」向けの論文作成が佳境に入っている時期だった。

 石川氏の主張が正しいなら、小保方氏は実験終了後にES細胞を盗み、過去にタイムトラベルをしてES細胞を混入させたSTAP細胞を若山氏に渡したことになる。このような非現実的な主張を、当時のマスコミは裏も取らずに大々的に取り上げ、小保方氏をES細胞窃盗犯のように報道していた。

●つくられた小保方氏犯人説

 さらにこの告発には伏線があった。14年7月27日に放送されたテレビ番組、『NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層』である。同番組内では、若山研にいた留学生と名乗る人物(後に、Chong Li博士と判明)が登場し、小保方氏の研究室にあったサンプルボックスについて次のように証言していた。

「びっくりしました。保存しているのは全部ES細胞ですので、なぜかSTAP細胞に関係があるところに見つかったのは本当にびっくりしましたね。(小保方氏に)それを直接私が渡したことはないです」(Li博士)

 この発言を受けて、番組では次のようなナレーションを流していた。

「なぜこのES細胞が小保方氏の研究室が使う冷凍庫から見つかったのか、私たちは小保方氏にこうした疑問に答えてほしいと考えている」

 Li博士に対しては石川氏も取材したといい、Li博士は「(若山研では、続きの実験が計画されていたので、実験を)山梨大で続けるつもりだったが、ES細胞を紛失したことで、それを断念した」と語ったと証言している(「フライデー」<講談社/15年2月6日号>より)。

 そもそもLi博士のES細胞は、STAP研究とはまったく関係のない種類のES細胞であることは、石川氏の告発状が出される時点で判明していた。それにもかかわらず、『NHKスペシャル』と同様に石川氏は、あたかもLi博士のES細胞がSTAP研究に混入されたとされるES細胞と同一であるかのような告発状を作成し、マスコミに配布していた。石川氏の告発内容がのちに虚偽であったことが判明したが、マスコミはその告発状の論旨をベースに国民をミスリードさせていった。

 また、若山研ではES細胞を紛失したため実験が続けられなくなったと報道されたにもかかわらず、若山研から理研に対し紛失届が出されていない。本当に必要なサンプルだったのならば、実験を断念せず、理研に紛失届を出すのが自然だろう。それを出さずにマスコミに「盗まれたかもしれない」とリークする目的はなんだったのだろうか。NHKや毎日新聞がそうであったように、石川氏も若山研を情報源とするものが多いが、何か理由があるのだろうか。

 同番組放送後、世間は一気に「小保方氏犯人説」に傾いていく。その影響は今なお色濃く残っている。NHKは十分な取材をしたと主張しているが、なぜMTAを確認するという基本的な裏取りをせずに、このようないい加減な放送をしたのか疑問である。

 同番組は、昨年8月からBPO(放送倫理・番組向上機構)の審理に入っている。今年4月26日、BPO臨時委員会が行われ小保方氏からヒアリングを行っている。同日出席するはずだったNHK番組関係者は、熊本地震の取材を理由に全員欠席した。

 NHKスペシャル、そして石川氏による刑事告発によって、小保方氏の名誉は著しく毀損した。一人の研究者であり、ひとりの人間である小保方氏の人生を破壊しかねないこの事案に対して、今後どのような責任を取るのだろうか。そして野次馬のように小保方犯人説に便乗し、個人攻撃を徹底的に続けてきた無数の人物に問いたい。「あなたは、あなたの無神経な批判の刃の先に倒れたひとりの人間の人生を想像することができるのか」と。
(文=大宅健一郎/ジャーナリスト)