勝利の女神とは、気まぐれに誰かに微笑むものではなく、微笑ませるもの――。「18歳と227日」という若さでF1の史上最年少ウィナーとなったマックス・フェルスタッペンは、スペインGPでそのことを証明してみせた。

「素晴らしい気分だよ、信じられない! もちろん、こんなことになるなんて思ってもみなかったよ! 今日は表彰台を目標にしていたんだけど、そのまま勝ててしまった。最高の気分だよ!」

 多くの幸運と偶然によって実現した勝利だったが、チャンスは誰にでも巡ってくるものではなく、それにふさわしい場所にいる者にしか巡ってこない。そして、それを掴み取る能力がなければ、手にすることはできない。史上最年少優勝は、幸運と努力と実力のすべてが揃ったからこそ成し得たものだった。

 欧州ラウンドの開幕となるスペインGPでも圧倒的な速さを維持したメルセデスAMG勢が、まさかの1周目で同士討ち。ニコ・ロズベルグがパワーユニットのスイッチ操作を忘れ、失速したところに仕掛けたルイス・ハミルトンが行き場を失ってスピンし、ロズベルグのリアに突っ込んでしまった。

 年に一度あるかないかというそんな場面で、メルセデスAMG勢のすぐ後ろにいたのは、"2強"の一角であったはずのフェラーリ勢ではなく、レッドブル勢だった。

 そして、前戦ロシアGP直後に電撃トレードによってレッドブルのシートを得たのが、18歳のマックス・フェルスタッペンだった。

「僕はこのチャンスが与えられたことを嬉しく思うし、これを最大限に生かすことだけに集中したい」

 同じレッドブル育成ドライバーの先輩であるダニール・クビアトがロシアGPでクラッシュを演じ、彼を蹴落とす形でトレードの決定が下された。しかし、その裏にはメルセデスAMGやフェラーリなどトップチームがフェルスタッペンに触手を伸ばしてきており、レッドブルが引き留めのために本家チームへと昇格させた、という事情もあった。

 つまり、メルセデスAMGの自滅によってトップに立てたのは幸運だったが、そのために必要だったレッドブル移籍は、彼のこれまでの努力があったからこそ与えられたものだったのだ。

 首位ダニエル・リカルド、2位マックス・フェルスタッペン。しかしその後方からは、スタートで出遅れたフェラーリ勢が忍び寄ってきた。純粋なペースでは、彼らのほうが0.5〜0.7秒は速かった。

 しかし、このこともまた、フェルスタッペンに味方した。

 66周のレースを走り切るための定石(じょうせき)は、2ストップ作戦。しかし、レッドブルを逆転するためにフェラーリ勢はセバスチャン・ベッテルを3ストップ作戦に切り替え、レッドブル勢に抑え込まれずに本来のペースでプッシュする戦略を選んでくるのは明らかだった。

 レースが30周目を迎えようかというころ、レッドブルの首脳陣たちが戦況を見詰めるピットウォールでは、対応策が議論されていた。

「もしセバスチャン(・ベッテル)がクリーンエア(※)で走れば、彼がコース上で最速だと思われたから、我々はそこで2台のうちどちらかが(3ストップに切り替えて)セバスチャンをカバーするという、戦術的な決断を下さなければならなかったんだ。あの時点でもっとも優勝の可能性が大きかったのは、前走車であるダニエルのほうだった。だから彼を3ストップ作戦にし、フェラーリも(前走車が3ストップ、後走車が2ストップという)同様の選択をした」(クリスチャン・ホーナー/レッドブル代表)

※クリーンエア=マシンに対する走行風が前走のクルマなどで乱されていない状態のこと。

 2位を走っていたフェルスタッペンは、これで首位に立った。そして34周目にピットに向かい、後ろにキミ・ライコネンを従えて、残り32周を1セットのタイヤで走り切る戦略に臨むことになった。

「問題は、2ストップを選んだ場合にデグラデーション(※)がどのくらいで、レースの終盤に(ライコネンと3ストップのベッテルとリカルドから)どのくらいの脅威にさらされるか、ということだった」

※デグラデーション=タイヤの磨耗など使用し続けることによって生じる性能低下・劣化。

 この段階ではまだ、フェルスタッペンは優勝を意識してはいなかった。同じ戦略のライコネンは抑え切るとしても、後方からフレッシュなタイヤで追いかけてくるベッテルを抑え切ることは容易ではないはずだったからだ。

 しかし、フェルスタッペンは冷静だった。レース全体を見据え、理解し、自分がなすべきことをしっかりと把握していた。

「あのまま最後まで走り切らなければならないことはわかっていたんだ。だから最初の数周は、(タイヤをいたわるために)それほどプッシュはしなかった。フェラーリのほうが僕らよりも少し速いのもわかっていたから、キミが僕に追いつくのは構わないで、ギャップをコントロールすることだけを考えていたんだ。特に最初の10周が重要なんだ。プッシュするのではなく、コントロールしなければならない」

 非力なルノー製パワーユニットでは、長いストレートでフェラーリの速さに対抗できないのではないか? そんな不安は、チームにはなかった。

「我々はストレートの最高速を稼ぐために、リアのモンキーシートと呼ばれるウイングレットを外したり、ウイングの仰角を浅くしたりといった工夫はした。加えて、我々は最終コーナーのトラクションが優れていたので、コントロールラインまでに後ろのキミを引き離して、彼がDRS(※)を使っても、ターン1までにオーバーテイクするのには十分でないところまでもっていくことができたんだ」(ホーナー代表)

※DRS=Drag Reduction Systemの略。ドラッグ削減システム/ダウンフォース抑制システム。

 フェルスタッペンが冷静になれた理由のひとつが、それだった。しかし、終盤はタイヤのグリップが低下し、マシンはあちこちで滑り回っていたというのに、フェルスタッペンは18歳とは思えない老成ぶりで落ち着き払ったドライビングを続けた。

「正直、とても厳しいだろうとは思っていたよ。でも、そうと決まったら気持ちを切り替えてそこに集中し、可能なかぎりタイヤをコントロールするしかない。それでも最後の10周なんて、ものすごくスライドするし、氷の上を走っているような感じだったからね。でも、最終セクターをいかにマネージメントし、スライドさせすぎず、シケインから最終コーナーをうまく立ち上がるか――。それがすべてだったんだ。バルセロナの勝利の多くは、そうやって手に入れられたものなんだと思うよ」

 ライコネンを秒差で抑え続け、タイヤを最後まで保たせたことで、3ストップ作戦のベッテルとリカルドは追いつけなかった。巧みなドライビングで2ストップ作戦を成功させたことで、最速だったはずのフェラーリ&ベッテルを寄せつけず、気づけば首位のままで66周を走り切ってしまったのだ。

 こうして、「18歳の史上最年少ウィナー」は誕生した。

「最大のポイントは、彼の冷静さだと思う。最後の5〜6周はタイヤライフがギリギリで、首もとまでキミが追いかけて来ていて、非常に緊迫した状況だった。それでもマックスは無線で、『(周回遅れに)ブルーフラッグを出してくれ』と頼むのも冷静だったし、興奮したり、パニックになるようなことも一切なかった。若いのにすべてをきちんとコントロールしていたんだ。週末を通してひとつもミスを犯さなかった。本当に素晴らしい仕事をしたよ」(ホーナー代表)

 努力でレッドブル移籍を勝ち獲り、メルセデスAMGの同士討ちという幸運に恵まれ、彼はチャンスが目の前に転がり込んでくる場所にいた。そして、そのチャンスをしっかりと掴み獲る実力があった。

「残り10周になっても、コース脇の電光掲示板の一番上に自分の名前があった。それが気になってしまって、自分自身に、『そんなの見てないで、タイヤマネージメントにもっと集中しろ!』って言い聞かせていたんだ」

 勝利の女神は、気まぐれに彼に微笑みかけたのではなく、彼自身が自らの力で微笑ませてみせたのだ――。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki