京都の寺院やその庭園には中国の唐時代の芸術様式が受け継がれているが、中国メディアの中国網はこのほど、とっくに廃墟と化した唐の洛陽と違い、京都において唐の芸術様式を体現する寺院や庭園が現在に至るまで受け継がれてきたのはなぜかと疑問を投げかける記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 京都の寺院やその庭園には中国の唐時代の芸術様式が受け継がれているが、中国メディアの中国網はこのほど、とっくに廃墟と化した唐の洛陽と違い、京都において唐の芸術様式を体現する寺院や庭園が現在に至るまで受け継がれてきたのはなぜかと疑問を投げかける記事を掲載した。

 記事は、平安京は中国の唐から学んだ建築芸術を総括した産物であると指摘、平安京の東部は洛陽を、また西部は長安を完全に見倣ったものだと説明する。平安京の東部が現在の京都の前身となったが、記事は「唐の洛陽はとっくに廃墟と化したが、その芸術様式は京都に奇跡的に残されている」と説明した。

 記事はこうした対比を用いて、古代日本には唐時代の文化を継承させる点で中国にはない何らかの強力な誘因が働いたという見方を示している。この答えを得る助けとして記事は遣唐使団の一員だった空海と最澄に言及、「とても優れた才能を持つ高僧」と表現したうえで、空海と最澄は唐の密教の精髄を日本に持ち帰り、かつ継承させたと指摘。空海は真言宗をまた最澄は天台宗を創始したが、当時の朝廷は仏教勢力に対抗すべく空海と最澄の活動を全力で支持。結果として京都には唐密教を信仰するための新しい寺院が大規模かつ非常に速いスピードで建てられたと論じた。

 つまり記事によればこの時に建てられた寺院が唐時代の建築芸術様式を京都に継承させる大きな役割を果たしたということになる。さらに記事は「日本の唐密教は唐文化継承に対して計り知れないほどの貢献をした」と説明、空海が持ち帰った唐文化やその芸術が唐密教の寺院に保存されている点にも言及している。

 つまり京都における唐文化継承の力になったのは「とても優れた才能を持つ高僧」である空海と最澄、唐密教という媒体、当時の政治情勢といった要素のようだ。さらに記事は「古代日本人は唐から伝わった芸術に対して一種の本能的な崇敬の念を有していた」と指摘する。

 この本能的な崇敬の念という要素は、京都を洛陽と異ならせ、唐時代の文化を継承させた強力なモチベーションだといえる。崇敬の念は芸術以外のものにも向けられ、またその対象のために生きるようと人を強力に動かす。京都の寺院を訪ねる機会があれば、古代の人々の心に働いた唐芸術に対する崇敬の念について思いを馳せるのも一興だろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)