【昭和40年代の茨城】危険すぎる道路に対する住民たちの神対応が感動的!

写真拡大

どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は茨城県がYouTubeに公開している『なつかし・いばらき』という懐かし映像集の中に、心打たれるドキュメンタリー映像があったので取り上げました。

1971年(昭和46年)に公開された茨城県映画で、タイトルは「新しい町づくり」。学校の教材に出てきそうな、お堅いイメージのタイトルですが、そこはご愛嬌。早速見ていきましょう。

この記事の完全版(映像と全画像付き)を見る

茨城県の江戸崎町(現・稲敷市江戸崎)という町が舞台となります。日本で2番目に大きい湖、「霞ヶ浦」の南に位置し、周辺の大都市、「土浦市」の南東にあります。

ナレーションによると、10年ほど前、つまり1961年(昭和36年)ごろから、急速な交通機関の発達により、江戸崎町の住人たちは、買い物に20km離れた土浦などに行くようになり、地元で購入しなくなってきたそうで。地元商店街は寂れる一方に。この状況は危険と、商店街の立て直しが始まったそうです。

1965年(昭和40年)から、国鉄バスの「江戸崎駅」周辺の商店街から改造が始まり、同年の暮れには、歩道にアーケードが付いた17の共同店舗が完成。活気を取り戻したそうです。左上に見える「ファンタ」の看板が懐かしい。

ツバメ印の丸善石油(現・コスモ石油)の看板も見えます。丸善石油といえば、小川ローザさん出演の「Oh!モーレツ」のCMがあまりにも有名ですが、1969年(昭和44年)にCM放送開始なので時代的にもこのころですね。

話が逸れましたが、ここからがこの映像の本題となります。町を縦断する「県道江戸崎成田線(成田江戸崎線とも)、現・茨城県道49号江戸崎新利根線」を走るトラックの姿が映されます。

もともと、国道の迂回路として混雑していたそうですが、1966年(昭和41年)7月4日に「新東京国際空港(現・成田国際空港)」の建設が決まると、昭和44年ごろから成田への近道として資材運搬のトラックが頻繁に行き交うようになり、道路を横断するのも一苦労。学生の姿も多くあり、危険極まりないです(※冒頭の画像)。

交通量が少ないときの状態を見ると、人が歩くスペースはほとんどなし。電信柱を避ければ、車道にはみ出てしまいます。

そこで、小学校の通学道路近くにあるという「本宿商店会」の人たちはどうしたのかというと……冒頭で紹介したケースのように経営改善のためというよりは、歩行者の安全のため、同じように歩道アーケードを作ることにしたのです。

映像に収録されている、同商店会の川尻さんのコメントを要約すると、
・3年前に店舗を改造したばかり。歩道分である約1.8メートル分、店舗を切ると店舗面積が少なくなりすぎる。
・店舗の後ろは3年前に建てたばかりの住居となっている。店舗面積を減らさないためには、住居を取り壊すしかなく、建て直した。
・住居は2階部分だけにし、1階は店舗とした。歩道アーケード分を差し引いても、以前より店舗部分は広くなった。

なんと、ほぼ新築といっていいほどの住居を、歩道アーケードのために建て直したのだそうです。しかも、無償でです。なんという神対応。

アーケード作りの工事は着々と進んで行きます。県も住民たちの熱意に報いるために、町づくりを援助することに。さらに、昭和48年度完成を目指し、町の中心の交通量を緩和させるための迂回路を建設します。

そして、いよいよ歩道アーケードが完成。こちらはリニューアルしたお魚屋さんのよう。食品スーパーマーケットのようなこのお店も、大変にぎわっているよう。

インタビューを受けた女性によると、雨のしずくも、行き交うトラックにも気にせずに安心して買い物ができるようになったし、品物の数も豊富になったそう。町が綺麗になったと近隣の村に住む人たちから羨ましがられるようにもなったのだとか。

以前を知らないので比較はできませんが、現代の感覚からしても充実している商品棚に映ります。いろいろと目移りしてしまいそうですね。こちらは衣料品を選んでいる女性たち。

お子さんも安心して自転車に乗れるように。バス通園をする園児を持つ親御さんたちも、安心できますね。めでたし、めでたし。

映像の撮影よりすでに45年以上が経ち、登場する建造物は建て直されるなどで変化してしまっているでしょうが、この人々の善意については、いつまでも後世に語り継がれて欲しいものですね。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)