「不動心」の真の意味[田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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かつて、人間の「不動心」について、興味深い心理学実験が行われた。

一人は、最近、座禅の修行を始めたばかりの若者。もう一人は、永年、禅寺での修行を積んだ禅師。その二人に、座禅中の脳波の測定実験を行ったのである。

最初、二人同時に、座禅による瞑想状態に入ってもらい、その脳波をそれぞれ測定したところ、二人の脳波は、いずれも整然とした波形を示し始めた。

そこで、実験者は、二人を驚かせるために、突如、大きな音を立てたのである。すると、二人の脳波は、いずれも、大きく乱れた波形を示した。

すなわち、永年の厳しい修行を積んだ禅師も、修行の入り口の若者と同様、その音によって心が乱れ、決して「不動心」ではなかったのである。

しかし、実は、この実験、その後の二人の脳波が、大きく違った。若者の脳波は、音が静まった後も、いつまでも乱れ続けたが、禅師の脳波は、すみやかに、もとの整然とした状態に戻ったのである。

この興味深い実験結果は、「不動心」の真の意味を、教えてくれる。

「不動心」とは、「決して乱れぬ心」のことではない。「不動心」とは、「乱れ続けぬ心」のこと。

すなわち、我々経営者やリーダーに求められる「不動心」とは、どのような危機が起こり、いかなる問題が生じても、「心が微動だにせぬ」という意味での「不動心」ではない。

生身の人間であるかぎり、一瞬、心が大きく揺らぐことがあってもよい。しばし、心が穏やかならぬ状況に陥ってもよい。その直後、心が戻っていくべき場所を知っていること。それが、経営者やリーダーには、問われる。

あたかも、優れたテニスプレイヤーが、大きく体勢を崩しながら球を打ち返した後、すぐに、体勢を正位置に戻すように、優れた経営者やリーダーは、何があっても、すぐに、「心の正位置」、すなわち「平常心」や「静寂心」に戻ることができる。

では、永年の経営やマネジメントの体験を通じて、その心の修行を続けていくと、我々の心は、いかなる世界に向かっていくのか? そのことを教えてくれる寓話がある。

仏道の修行をする師と弟子が、旅をしていた。その旅の途上で、川に差し掛かったところ、若い女性が、川の前で立ち往生をしていた。着物の裾をあげ、川を渡ろうとしたのだが、流れが急で、渡れなかったのである。

それを見た弟子は、若い女性に心を惑わされてはならぬと、一人で川を渡ろうとした。しかし、師は、黙って歩み寄ると、その肌も露な女性を肩に担ぎ、川を渡した。

女性の礼の言葉を背に、二人の修行僧は、その先にある山道を登り始めた。山道を登り終え、坂道を下り、その山を越えたところで、思い余った弟子が、耐え切れず、師に聞いた。

あれは、許されぬことではないでしょうか? 若い女性を肩に担ぐなど、修行の身で、してはならぬことではないでしょうか?

それを聞いて、師は、微笑みながら答えた。おや、お前は、あの山を越えても、まだ、あの女性を担いでいたか。

「担ぎ続けぬ心」

何物にもこだわらぬ天衣無縫、融通無碍の心の世界。それは、「乱れ続けぬ心」という「不動心」の修行の彼方にやってくるものであろう。