13日、中国メディアの網易は、日本とブラジルの関係は中国人が思っている以上に緊密なものだと伝えた。写真はサンパウロの街頭に残る日本的要素。

写真拡大

2016年5月13日、中国メディアの網易は、日本とブラジルの関係は中国人が思っている以上に緊密なものだと伝えた。

【その他の写真】

リオデジャネイロ五輪が間もなく開催され、2020年東京五輪のロゴもこのほど決定された。

中国でも人気が高いボサノバ歌手の小野リサさんは、ブラジル・サンパウロの生まれだ。統計によると、ブラジルは世界で日系人が最も多い国で、2000年時点で人口1億7000万人のうち日系人が約1%を占めている。日本国籍を持つ移民は約9万人。ブラジル国籍になった日本人移民とその子孫は140万人を超えるという。

太平洋を挟んで遠く離れているにもかかわらず、これほど多くの日系人がブラジルに居住しているのはなぜか。19世紀末〜20世紀初頭、ブラジルではアマゾン川流域の開発が進められたが、高温多湿の環境から労働力の確保が難しかった。中国から100万人の労働力を獲得する計画を当時の清政府に打診したが拒絶されてしまった。

そこで目を向けられたのが、当時、明治維新の直後だった日本だ。工業化が進む日本では、離農した農村出身者が都市部に集中し、急増した人口への対応に苦慮していた。1895年に両国政府の間で通商友好条約が締結され、移民計画が実施された。当初は14年間で3万人余り、その後、第2次大戦前までに14万人が移り住んだ。特に関東大震災がきっかけとなった失業問題で、移民が加速した。

戦後も移民は続き、欧米でコーヒーの需要が増加したことを受け、コーヒー農場での労働力として多くの人がブラジルに移り住んだ。現在もサンパウロ周辺に日系人が多いのは、コーヒー栽培に適していたためだという。日本とは大きく異なる環境で、苦労や努力を重ね、現地の生活に溶け込んでいった。

ブラジルでは柔道場が多数存在し、衣類や食生活、習慣など多くの面で日本文化の影響が見られる。(翻訳・編集/岡田)