「人生の大勝負」シンクロ井村雅代のコーチ冥利とは
■日本復帰のカリスマコーチ
今夏のリオデジャネイロ五輪の出場選手が続々と決まっている。代表チームのコーチもしかり、である。シンクロナイズドスイミングの井村雅代ヘッドコーチ(HC)にとって、リオ五輪は9度目の五輪挑戦となる。
GWの日本選手権兼ジャパンオープンの会場だった。9度目?と確認すれば、65歳の井村HCはふっと、笑った。
「そうそう、9度目です。なかなか、やりがいがありますよ。人生の大勝負の時です。残りの時間、メダル(獲得)へ、まい進していきます」
9度目の五輪ということは、かれこれ32年間、鉄火のごとき、勝負の世界に生きてきたことになる。1984年ロサンゼルス五輪ではデュエットで銅メダルを日本にもたらし、その後の五輪でもメダリストをつくり、2004年アテネ五輪ではデュエット、チーム種目でそれぞれ銀メダルに導いた。一転、中国代表のHCとなり、08年北京五輪、12年ロンドン五輪では中国にメダルを獲得させた。そして2014年、窮地に陥った日本代表のHCに復帰した。
長い時には1日12時間以上ともいわれる厳しい練習を積み重ね、選手たちはたくましくなってきた。理論に裏打ちされた情熱の人である。“人には必ず、才能がある”と言い、指導者があきらめなければ、どんな選手もうまくなると信じている。
その熱血指導で成長の喜びを選手に味わわせることを生きがいとする。かつて「駄馬を名馬に変えるのがコーチの仕事です」と言い切ったことがある。
■一生忘れない思い出を
今回の日本選手権には、日本代表として、デュエット、チーム種目に出場した。試合前の公式練習では、プールサイドの井村HCから厳しい声が飛んだ。
「バラバラや! 脚、合わせなさい」
「何してんの、おぼれているじゃないの」
「もう、ぐちゃぐちゃ!」
もちろん、叱咤のあとは、技術的に的確な指示も加えるのだが。ホントに60代?と疑いたくなる。このド迫力、このパワフル指導。見ているだけで元気をいただける。
競技終了後、井村HCに、そのエネルギーはどこからくるのかそっと聞いた。
「選手が変わっていくのが、面白いんです。選手って若者じゃないですか。その若者に人生の思い出をつくらせてあげたいと思うんです。一生、忘れない思い出を」
そうなのだ。選手たちにオリンピックの醍醐味を味あわせてあげたいという熱意はずっと、変わらないのである。
「オリンピックの醍醐味って、それは、メダルをかけた、のるかそるかの大勝負ということです。もう、自分が自分でないような、こっから心臓が出るような感覚なんです」
そう言って、右こぶしを左胸から前に突き出した。言葉に熱がこもる。
「ましてオリンピックでしょ。世界の人、みんなが注目している中で、その体験ができるって、選手冥利じゃないですか。オリンピックの醍醐味を味わうって、選手冥利に尽きるんです」
■「人間性が出る」シンクロの怖さ
ロンドン五輪では、日本選手は出場することが目標だった。正直、メダル争いは厳しい状況だった。でも、今回は違う。メダルを獲得しにいく。
「私は、選手たちに、本当のオリンピックの醍醐味を味あわせてあげたいんです。最後はハッピーエンドじゃなかったら、失敗したら、ストーリーが完結しないじゃないですか。だから、成功したいんです。そのお手伝いができることが、コーチ冥利なんです」
井村HCの指導の特徴をいえば、「心のトレーニング」も大切にするということである。「人間力」を磨くといってもいい。熊本地震に関連し、井村HCは「私たちに何ができるか考えよう」と選手たちに声をかけている。
「あの子たち、日々の練習が苦しくて、幸せとか感じていないでしょ。でも、よく考えれば、シンクロができる私たちってすごく幸せなことなんです。こういうこと(地震)を目にしたら、私たちは、これ(シンクロ)だけやってていいのって考えなくちゃ」
大会中、井村HCも選手たちも義援金の募金活動を手伝った。
「(被災地のことを)考える、そういうあたたかさがあることが、大事なんだなと思います。シンクロ選手として、何かを表現しているとき、人間性が出るんです。人間性が見えるのが、シンクロのこわさなんです。だから、(被災地の)そういうことも考える人間であってほしいと思っているんです」
メダルゼロに終わったロンドン五輪の雪辱となるか。リオ五輪でのメダル獲得に向け、井村HCと選手たちにとっての、のるかそるかの大勝負がはじまる。
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(松瀬 学=文)