『ハーレーじじいの背中』坂井 希久子 双葉社

写真拡大

 我らが本の雑誌社が毎年末にお届けする『おすすめ文庫王国』、2016年版のエンターテインメントベスト10にて堂々の第1位に輝いたのが『ヒーローインタビュー』(ハルキ文庫)! その著者である坂井希久子の最新刊が本書だ。

「ハーレーじじい」とは、主人公・阿部真理奈の母方の祖父・晴じいを指す。晴じいの愛車がハーレー・ダヴィッドソンなのだ。真理奈は受験を控えた高校3年生。「脳のつくりが理系寄りにできていて、それほど努力をしなくても学校の成績は常によかったから」、深い考えもなく中1の夏以来医学部受験を目指してきた。しかし、医学部はお金がかかる。将来かかるであろう学費を捻出するために、真理奈の家は家業であった銭湯・不動湯を売って分譲マンションを建てた。代わりに手に入ったものは、売却費と21階建てマンションの最上階の一室。そして、ほんとうにこれでよかったのだろうかという真理奈の後悔。

 不動湯は、真理奈の祖母であり晴じいの妻である清ばあの生きがいだった。その清ばあに認知症の症状が出始めたのは、不動湯が取り壊された頃。不動湯を畳んだことによって、清ばあと婿養子である真理奈の父・則夫は職を失い、現在阿部家で働いているのは真理奈の母・桃子だけだ。さらに則夫の父母である茂じいと房ばあまでもが一緒に住むことになって、総勢7人(晴じいはあまり家に寄りつかないが)が同居中。真理奈はひとりっ子なので、自分が医者になって将来的に父母と双方の祖父母を養わなければならないと思い詰めている。少子高齢化時代を生きる若者が、閉塞感で窒息寸前だったとしても誰が責められるだろう。

 そんな真理奈をちょっとした冒険に連れ出したのが晴じいだ。補講中の夏休みの校庭にハーレーで乗り付け、先生たちを振り切り、真理奈を後ろに乗せて走り去った。急遽実現した初めての祖父と孫娘のふたり旅。行く先々で遭遇した人々(身内も含めて)とふれあう中で、真理奈は自分がこれからどうやって生きて行くべきかということを少しずつ実感し始める。昨今の若い人たちを取り巻く状況は決して楽観的ななものとはいえない。しかしそれでも、桃子が真理奈に伝えたように「まだまだ、なんにだってなれる。どこにだって行けるんだよ」と思ってもらいたい。就活のたいへんさや将来の年金問題の厳しさなどは確かにあるとしても、自分の気の持ちようで変えて行けることもあるのだと。

 そしてそれって、ほんとはあらゆる年齢層に当てはまる気がする。だって晴じいはすごく自由だ。もちろん晴じいにもさまざまな気がかりはあるだろう。だけど、自分の信じるところに従って生きていれば、たとえうまくいかないことがあったとしても納得のいく人生を送れるんじゃないだろうか。

 著者の坂井氏は異色の経歴の持ち主。森村誠一氏名誉塾長主宰の山村教室(山村正夫記念小説講座)出身作家というのも少数派だと思うが(とはいえ、他に篠田節子氏や新津きよみ氏、鈴木輝一郎氏なども名を連ねておられるので、数は少なくても大物は多いのかも)、なんといっても驚いたのが2008年「男と女の腹の蟲」にて第88回オール讀物新人賞受賞時に現役SM嬢としての素顔が話題になったこと。Wikipediaには官能小説家とも書かれているが、きっと経験に裏打ちされた厚みのある作品に違いない。

(松井ゆかり)