「これが最後」 ハーフナーがFIFAに決意を伝える

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『FIFA.com』は、ADOデンハーグに所属している日本代表FWハーフナー・マイクのインタビューを掲載した。

今季エールディビジで16点を決め、欧州主要リーグにおける日本人の最多記録を更新したハーフナー・マイク。

所属しているADOは父親であるディド・ハーフナーがプロデビューしたクラブでもあり、同じハーグの街で選手としてのインパクトを残した。

彼は取材に対して以下のように話し、日本代表への復帰にも「最後のチャンス」と意欲を見せた。

ハーフナー・マイク

「(2014年ワールドカップでメンバー入りを逃し、その後スペインのコルドバで構想外になった。1月に退団し、それから数ヶ月無所属になった)

自分のコンディションを維持することは難しかった。自分の心の中にも、多くの物事が渦巻いていた。

僕のモチベーションはかなり落ちていた。復帰するのは難しかった。しかし、重要だったのは、僕がそこに留まることなく、再びサッカーをし始めたということだ」

「(3月にHJKヘルシンキに加入したね。故郷の広島と比べれば格段に寒い)

最初の数ヶ月はとても難しかったよ。しかし、どこでプレーするかは重要ではない。僕は再びサッカーを楽しむために歩き始めたんだ。

父(ディド)はいつも言っていた。僕が若い頃からね。サッカー選手は世界最高の仕事だと。そして、それは僕もそう思う。

出来るだけ早くチームに馴染めるように、僕はまた努力し始めた。そして、それは成果をあげたね」

ハーフナー・マイク

「(その後、オランダのADOデンハーグからオファーを受けた)

良いオファーをADOから受けた。父の古巣からね。ディドは、そこは熱烈なファンを持っている良いクラブだと言っていた。彼も興奮していたよ。素晴らしいものだった。

多くのファンが父のことを知っていたよ。スタジアムの周りやミュージアムで古い写真を見るのもいいね。もしそこに行けば、とても奇妙な髪型の父を見られるよ(笑)」
「(ユース時代は横浜F・マリノスに所属した。クラブのGKコーチは父親だったね?)

それはちょっと難しいものだったね。選手たちは父親がコーチであることを知っているから、彼らはロッカールームで悪いことを言えないと理解していたんだよ。

ただ、僕は本当に何も気にしていなかったよ。それは1〜2年のことだった」

「(父はGKだった。身長は受け継いだが、ポジションは違うね?)

子供の時、僕はいつも足でボールを持ってプレーすることを楽しんでいたんだ。セービングすることよりもね。

休みの時は、父のトレーニングをよく見に行ったよ。そして、それが終わった後、父がゴールマウスに立って、僕が彼に向けてボールを蹴っていた。

僕は、自分はストライカーになりたいとずっと思っていたよ。ゴールキーパーよりも。

もしプロとして成功しなかったら、『ゴールキーパーだったらどうだったか・・・』と考えたかもしれないね!」

ハーフナー・マイク

「(オランダにルーツを持っているが、初めてフィテッセに行ったときは?)

皆の話していることが本当に理解できなかったね。オランダ語は、両親が話しているのを聞くくらいだったから!

それから、皆が僕に話すんだけど、そこに訛りがあってね。何にも理解できなかった。最初の数週間は、まるでオランダじゃない国にいるみたいに思っていたよ!

同じくオランダ語で話そうと試みたけど、彼らが理解してくれなければ英語で話していたよ」

「(日本代表については? ハリルホジッチ監督についてはどう? オランダで点を取っているが、戦術的には違う?)

彼は、よりカウンターアタックをしたい監督だね。それは少し相違がある。

そして、彼はプレーしている選手を評価する。僕がピッチに入るとき、彼はより多くのクロスを求めている。監督は我々の全てを引き出したいと考えているんだ。

僕は日本代表チームで肉体派になりたい。デュエルに勝利し、ターゲットマンになる。しかし、もう少し自分を見せる必要があるし、チームに留まるためには更なるゴールをあげなければならない」

ハーフナー・マイク

「(ワールドカップのアジア三次予選については?)
UAEは本当に躍進しているチームだ。多くの素晴らしい若手選手がいる。イラクも長い間上手くやっているチームだし、オーストラリアはもちろんアジア最大の国の一つだ」

「(2002年には日本でワールドカップがあったね? 君は15歳だった)

僕はイングランド対アルゼンチンを見に行ったんだ。デイヴィッド・ベッカムのペナルティキックもね。また、ドイツがサウジアラビアを8-0で破ったのも見たよ。ミロスラフ・クローゼがそこで3得点を決めた。
このような選手たちが目の前でプレーするのを見るのは、素晴らしい経験だったよ。

僕の年齢を考えれば、2018年は可能性がある最後のワールドカップだと思う。そこに出場するというのは、どんな子供にとっても夢だ。僕はこのチャンスを生かしたい。これが最後だ。そう思う」