すこぶる元気である。動きは"ベリー・ヤング"のチーム最年長。スーパーラグビーで史上5人目の38歳プレーヤーとなったサンウルブズの"キンちゃん"こと大野均は年齢の話になると、ほろ苦い微笑をうかべた。試合前日の5月6日が誕生日だった。

「照れくさいですね。この年で現役やっていて、ひと回りも若い選手から、『誕生日おめでとう』と言われて......。ハハハ、できればそっとしといてほしかった。スーパーラグビーに参戦している以上、年齢に関係なく、試合に出た以上はチームの勝利に貢献していかないといけないと思っています」

 7日の秩父宮ラグビー場。サンウルブズはリーグ下位に沈むフォースに22−40で敗れ、2連勝とはならなかった。やはりスーパーラグビーは甘くはない。個々のフィジカル、スピードで劣っているうえ、組織プレーの精度が悪く、インターセプトから2つのトライを許した。ラインアウトの出来も悪く、特にディフェンスの際の姿勢が高かった。タックルで体を当てても、倒し切れてないから、ゲインを許してしまった。

 その中でも復帰したウイング山田章仁は2トライと気を吐いた。大野も体を張った。「もちろん、勝つ自信があったし、勝つ準備もしてきたんですけど」と顔をゆがめた。あごから汗が滴り落ちる。

「それ(準備してきたこと)をさせないのが、スーパーラグビーの難しさだなと思いました。自分たちのミスでボールを渡してしまって、相手にやりたいラグビーをやらせてしまいました。ラインアウトは前半、(ラインの)後ろで捕ることにこだわりすぎて、うまくいきませんでした」

 そうはいっても、大野はよく走った。前に出た。ディフェンスの際、ただひとり、出足鋭く、ラインスピードを上げていた。

 後半18分。トゥシ・ピシのトライのときは、大野がラインアウトを好捕してモールの芯となり、その後の6つのラックのうち、4つのそれに絡んだ。倒れてもすぐ、立ち上がる。相手をはじき飛ばし、壁をつくった。この運動量、この忠実な走り。

 後半28分。交代で途中退場する際、1万6885人の観衆から、健闘をねぎらう温かい拍手が送られた。この日、一番大きな拍手だった。「できれば1分でも長く、グラウンドにいたかったですね」と大野が述懐する。

「でも、チームの判断なので、しょうがないです。(ノーサイドのときは)もっとできたなという感じでした。向こうにやらなくてもいいトライがあったし、こちらがとるべきところでトライがとれなかった。そういう意味では、すごく悔しかったですね」

 大野の最大の長所は、「初心」と「向上心」を失わないことだろう。福島県立清陵情報高校では野球部に所属していた。楕円球に親しむようになったのは、日本大学工学部の弱小ラグビー部に入ってからだった。ひょんなことから東芝に入社することになり、猛練習に耐え抜いて、2004年に日本代表入りした。

 昨年のワールドカップ(W杯)では南アフリカを倒し、人前で大泣きした。キャップ(国別対抗戦出場数)が日本人フォワード最多の「96」。もうレジェンドだ。大野のいいところを聞くと、臨時コーチの元日本代表主将の箕内拓郎さんは「キンちゃんは変わっていないんです」と言った。

「僕に言わせると、代表に入ってきたときのキンちゃんと、いまのキンちゃん、一緒なんです。グラウンド内外で黙々とやっています。今回一緒になっても、やっぱり謙虚なキンちゃんなんです」

 そうなのだ。大野は謙虚で誠実、いつもひたむきにラグビーに立ち向かっているのである。モットーが『灰になっても、まだ走る』。若さを保つ秘訣は?と聞かれると、大野はまた、照れ笑いを浮かべた。

「若さを保っているつもりもないですけど......。ありがたいことに、東芝でもジャパンでもサンウルブズでも、コンスタントに高いレベルでラグビーができているのが大きいのかなと思います。休まなくて大丈夫か?と聞かれるけど、自分としては、休まないほうが体調はいいのかなと思っています」

 いつだって自然体。雑草のラガーマンは、いつも全力投球でラグビーに向かい、とうとう「レジェンド」の境地に達した。

 実家は郡山市の農家。牛小屋のワラ運びや牛乳配達を手伝い、牛乳をたらふく飲んで育った。なぜタフなのか、と聞かれると、大野は笑って、こう答えた。

「やっていることが単純だからじゃないですか。パスもキックも下手なんで......」

 なぜ、ここまで長くやれているのか? としつこく聞かれると、ちょっと思案した。

「子どものころからの農作業で培ったものでしょうか。ナチュラルに強くなったところがあるのかもしれません」

 では、疲れたときや不調のときの気分転換は?

「変わらず、ですね。お酒飲んで、リラックスして、寝るぐらいですかね」

 心にはいつも、東日本大震災の被災者、そして熊本地震の被災地への思いがある。

「もちろん、頑張ってほしいという気持ちがありますけど、復興に向けて頑張っている人たちの姿をテレビで見て、逆にこちらが力をもらっているところもあります」

 いろんな思いを込めて、試練の戦いがつづく。この勢いで2019年W杯の41歳、あるいは「50歳まで」との声もかかった。

「50歳なんて......。とても、とても。そこは考えてないです。もう1年1年、1試合1試合です」

 若芽のごとき若手の成長もいいが、こういった"いぶし銀"のキンちゃんの奮戦を見るのも悪くないではないか。

松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu