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●救出劇に立ち会うも「なんとも言えない…」
4月14日に初めての震度7を観測した今回の熊本地震。その後の本震だけで収まらず、依然として余震は続き、震度1以上が1,000回を超えるという大きな災害となっている。テレビ各局では、何度も通常放送を取りやめて緊急報道特番に切り替え、多くのニュースキャスターが現地入りして、レポートを行ってきた。

その中でも、計2週間という長期にわたって被災地からレポートを行ってきたのが、フジテレビ系『みんなのニュース』(毎週月〜金曜15:50〜19:00)メインキャスターの伊藤利尋アナウンサーだ。倒壊した家屋からの救出劇など、緊迫の様子を伝え続けてきたが、一方で今回のマスコミ取材について謝罪する場面も。災害報道では異例のメッセージを発するに至ったその思いとは――。

――今回の熊本地震で、伊藤アナは全部で2週間という、メインキャスターとしては異例の長さで現地を取材されていました。4月14日夜に前震が発生して、その翌日から現地に入ったんですね。

はい、15日の午前中に熊本に入って、被害が大きかった益城町を取材して、その日の『みんなのニュース』は、ほぼ全編をそこからの中継という形で放送しました。そして、17日の午前中に特番を放送することになり、それに向けてどういう取材が必要になるかを打ち合わせして、夜遅く解散したんです。その後、ホテルで休んでいたところに本震が来ました。震災が発生して、なるべく早く現地に入るというのが、これまでの取材の形だと思うんですけど、本震の揺れの中に取材クルーがいたというのが、今回は特異なケースだと思います。

――前震の直後は、飛行機で熊本空港に入れたんですね。

前震は局所的と言われて、震度7を観測した益城の被害はひどかったんですけど、熊本市内はほぼ通常通りでお店も全部開いているように見えました。しかし、本震を受けて広い範囲で景色が変わってしまったという印象ですね。

――伊藤さんの取材を拝見して印象的だったのは、やはり西原村で消防隊に同行されて、倒壊した家屋からの救出劇に立ち会った場面でした。

あれは夜中ですね。本震(16日午前1時25分)から1時間半から2時間後くらいです。発災を受けて、どこを誰が取材するかという振り分けで、僕らのチームは当初津波注意報が出ていたので、沿岸部を高台から望める場所を探しに動いたんですけど、すぐに注意報が解除されました。

すると、俵山トンネル(西原村〜南阿蘇村)が崩落したという情報が入り、そこを目指しました。その時は停電して周囲が見えなかったんですけど、後でその道を通ると倒壊した家がいっぱいあるんです。そうして県道を東に向かっていたんですが、途中で道路が割れていて、それ以上進めなくなってしまいました。実はその先に橋があるんですが、橋脚と橋の上の土台がずれていたんです。

――暗くて橋脚なんて見えなかったでしょうから、危ないところでしたね。

で、道が割れて進めないというレポートを撮ろうと車を降り、周りの状況を見ていたタイミングで、後ろから消防車が来たんです。そのまま来ると割れ目に入ってしまうので「危ないですよ!」って言って止めると、その消防隊は、西原村の大切畑という集落で家屋に人が閉じ込められているという通報を受けて助けに来たチームだと聞いて、ついて行くことにしたんです。

――そこからどれくらいの距離で現場に着いたのですか?

1kmも歩いていないと思いますが、水が出ていたり、倒木があったり、集落のがれきがあったりするところを通って行ったので、長く感じました。それに、僕らはついて行ってるだけなんで、消防の方は当然どんどん先に行きますからね。

――結果として全員救出されて、伊藤さんも手放しで喜んでいました。

僕としても初めてのことですし、やはりああいうことには、なんとも言えないですね。人手が足りないので、僕らが助ける部分もありましたし、一方で伝えなければいけないという仕事もある。もしあそこで犠牲者が出ていたら、御覧いただいたような放送が果たしてできたのかということもありますし…。

――このような深夜の取材もあると、現地では寝る間もなかったのでは?

ないですね。特に本震以降は、次の日の24時までずっと仕事をし続けている感じでした。熊本の市内の空気が全て変わって、金曜日の夜にあれだけにぎやかだった場所に誰もいなくなっていて。系列のテレビ熊本に行って少し休んで、体制を立て直すという感じでしたね。

●避難所の校長が放送を見て号泣
――今回の現地取材で、伝えられて良かったと感じた部分は何ですか?

そんな偉そうに言えないと思いますが、最初のうちは、被害の全容が見えないところを、僕らの取材で伝えることができたりとか、物資が足りないところに届けるための体制が構築されたりとかいうことが、仮にあったとすれば良かったと思います。そう信じて報じていた部分もあるかもしれないですね。

――逆に課題はありましたか?

僕の担当する全国ネットのニュースを考えると、発災1週間のタイミングのときに、熊本が発する教訓というのを全国に放送する意味もあるとは思うんですけど、一方でそれは被災地の人にとって今必要な情報ではないというジレンマは終始ありましたね。例えば、防災拠点である市庁舎が損傷してしまったという事実を教訓として、他の地域でも財政の問題はありますけど、施設の耐震を考えるということはテーマの1つとしてあると思うんです。だけど、今まさに市庁舎の代わりとなった体育館で市の職員の方が一生懸命頑張ってるじゃないですか。だからそこの部分のバランスや、メッセージを発するタイミングは、難しいなと思いました。

また、この後のステップというのが本当に難しいですよね。取材している間に「負けんばい熊本」と書いてあるシールがどんどん貼られていくんですよ。水しか出ない美容室でもそれを貼って商売を始めるんです。そういうお店がポツポツ出てくるので、そういう気持ちは応援したいじゃないですか。一方で、熊本全部が前向きなんですよ、元気なんですよというのも誤ったメッセージになってしまう。そういう多様化が起きていくので、その"まだら感"を併せて伝えていく必要があると思いました。今回の現地からのレポートでも、後半は「まだら模様です」と何回も言ってるんですけど、言ってるだけになっているなと思って、最終日は西原村から中継したんです。震度7の揺れを観測したんですが、なんとなく忘れられているという感じがあったので。

――取材は膨大な量になったと思いますが、放送枠は限られます。そこで感じるジレンマもあったのではないでしょうか。

この手法にはいろんな意見がありましたけど、避難所の方々へのインタビュー取材は、実際には10人に話を聞いても、放送ではどうしても2〜3人の一部分を切り取った一言二言を使うことになりますよね。渋谷で「好きな芸能人は誰ですか?」と聞くインタビューと形的には同じですけど、内容の重さはやっぱり全然違う。本当につらい思いをされている中で、その思いをあえて聞きに行くというのは、ある種残酷なことをしいている面は多分にあると感じましたし、それでも熊本の今を伝えるべきだという方が取材に応じてくださってるんですけど、その声をテレビの制約の中で全部を紹介できないという部分が、たくさんありました…。その辺りのジレンマはすごくありましたね。

でも、東日本大震災のときもそうだったんですけど、たくさんお話してくれる被災者の方が多くなりました。もちろんマスコミが来ること自体を嫌がられる方もいらっしゃるんですけど、誰かに話しかけられて、自分が今どういう気持ちでどういう状況だというのを口に出してお話しになることで、ストレス発散になって、少し楽になれる方もいるそうなんです。だからインタビューをして、ものすごくお話されても、こちらから軽く切り上げるようなことはしないように心がけました。テレビ屋なので「ここは放送で使われないだろうな…」と思うこともありますよ。でも、そういうことを抜きにして最後まで聞くんです。それならカメラを回さずに話を聞くべきという声もあるかもしれないですけど、カメラがあることで被災者の方に近づいていけるという面もありますからね。

――番組ホームページには、熊本の方からも伊藤アナに「震災直後から長く熊本を取材していただいてありがとうございました」など、感謝のメッセージがたくさん届いています。

うれしいですよね。避難所となる学校の体育館で、耐震工事をしたにもかかわらず壊れて使えなくなってしまったところが、熊本市内で24校もあって、各校を取材したんです。すると、必ずその学校の先生がいて、避難所の運営と、いつか来る学校再開のために、細かい仕事をされているんですよね。そこで、ある学校から中継したその日の放送の最後に、「耐震工事を終えた学校でも被害を受けてしまう地震でした」という全国への教訓をお伝えした後に、「避難所は全部学校で、先生方も被災されているにもかかわらず、歯を食いしばってお仕事している様子を見ました」と言ったんです。

すると、放送終了後にディレクターが「伊藤さん! 校長先生が呼んでるんです!」と飛んできたんですよ。「あぁ、生中継で避難されている方にご迷惑をお掛けしたかな…」とかいろいろ考えながら駆けつけると、校長先生が号泣しているんです。「どうしたんですか!?」って聞いたら、「伊藤さんが最後にあんなこと言ってくれて、うれしくて…」って。発災から2週間弱で、いっぱいいっぱいの状況だったんですよね。「先生、泣かないで」って言いながら、「ああ、みんな限界に来ているんだな」と思いましたね。そして、そういう先生がいるということを見て、やっぱり一言一言を大事にしなきゃいけないなって、あらためて思いました。

●謝罪は「怒られてもいいと思った」
――これは報じ手としてはうれしいエピソードですね。

ほかにも、放送終了後に近所の人が家から出てきて「ありがとうございました」って言葉をかけてくださったりして、僕も支えになりましたね。なかなか取材の手法がどうなのかなとか、テレビ屋的なアプローチが被災された方を不快にさせているのではないかとも感じながら、放送を構築する上で必要なものは当然あるというジレンマがありましたから。

――4月29日の放送のエンディングで、そうしたマスコミ取材について、謝罪の言葉を話していましたよね。災害報道のニュース番組の中で、大変異例な発言だったと思います。

金曜日の放送で、次の日に1回東京に帰ると決まっていたので、そこは言おうと思っていました。決して被災者の人たちを怒らせたり、不快にさせたりするためにわれわれが現地に入っているつもりわけではありませんから、そんなつもりは無いんですよ、と。でも、そこはいるだけで不快に思う方もいらっしゃるので、ちゃんとお詫びするべきではないかという強い思いがあったんです。

――今回の地震では、さまざまな局面でマスコミの取材のあり方がクローズアップされ、フジテレビ系列でも中継車のガソリンスタンドでの割り込みが問題となりました。そうしたことも含めてお詫びの思いが積もっていたんですね。

一連の被災地からの報告については、僕に任されていた面もありますが、ああいう発言を誰にも相談せず言ってもいいというところに、フジテレビの良さを感じましたね。ただ、別に怒られてもいいと思ったんですよ。「それはそう思ったんで言いました。すみません」って言うつもりでした。

――今回の現地取材を通して、テレビの可能性や、反対に限界を感じた部分はありますか?

今回は、物資のミスマッチを解消する上で、TwitterやFacebookなどのSNSが果たした役割がすごく大きいと言われているんですけど、そういうものとテレビがうまく補完し合う形が必要なんだと思います。仮にテレビが少しでも信頼をしてもらっているんだとすれば、われわれのカメラが捉えたものとか、僕らが発する言葉が、そういうSNSのようなきめ細かい装置とうまく連動する形で、被災地のためになればいいなと思いますよね。

――SNSが使えない高齢者の多い避難所に、物資が届かないという話もありました。

そうですね。みんながみんなインターネットで情報を知ることができる状況ではないですし、被災されていない地域のネットを見ない方々に、熊本の現状を伝えるという役割もあると思います。われわれの責任のもとに取材してVTRなり生放送なりで伝えるわけですから、僕らが日々努力して信頼を勝ち得ていかなきゃいけない面は多分にありますけど、現場で伝えることに対して、何か感じてもらえたら、すごいエゴですけど、うれしいというか、ありがたいなと思いますよね。

――『みんなのニュース』が始まって1年1カ月がたちました。初めての報道番組メインキャスターですが、あらためていかがですか?

他の番組をやらずに『みんなのニュース』に専念しているので、だいぶ生活が変わりました。今回の取材でもそうだったんですけど、取材のノウハウとか、現場のキャリアとかという部分においては、まだ乏しいところもあるので、果たして僕がそれを担うべき人間なのかというところは、相変わらず自問自答の日々ですね。

――バラエティや情報番組の世界から報道というのは、だいぶ環境が違いますか?

作り方が違うので、戸惑っているのは事実ですね。良くも悪くもバラエティは、タレントや企画にほれ込んだプロデューサーとディレクターがいて、こんな番組にしたいんだという方向感と現場の空気を大切にして作っていくじゃないですか。でも報道は、情報の扱い方とか危機管理とかが必要な部署なので、空気感や作り方の手法も違います。それを僕自身がまだ本当の意味で理解してないというところもあるんでしょうけど、ただ、僕が報道に来たというのは、そういったものを壊すというか、これまでになかった報道番組を作って行くという面が期待されている部分もあると思うので、頑張っていきたいと思います。

■プロフィール
伊藤利尋(いとう・としひろ)
1972年7月22日生。兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学法学部卒。
1995年にアナウンサーとしてフジテレビ入社。『めざましテレビ』キャスター、『めざましどようび』MC、『知りたがり!』MCなどの情報番組や、『とんねるずのみなさんのおかげでした』、『ネプリーグ』(天の声)、『VS嵐』(天の声)などのバラエティ番組で活躍。
2015年4月からは『みんなのニュース』メインキャスターを務めている。

(中島優)