セックスを拒絶する若者たち──アロマンティック・アセクシャル

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「男」と「女」だけが性じゃない。するか、しないかも。誰に、どう、惹かれるのかも。「Aセク」「アセク」とも呼ばれる「アセクシャル」をはじめとする新たな性的アイデンティティを生きるアメリカの若者たちとの対話から見えてきた、自由と多様性に満ちた「セックス革命」。

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VOL.21特集「Sex in The Digital Age」

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期末テストの週の金曜日の午後、ノックスヴィルにあるテネシー大学の学生2人は、学生会館のくたびれた長椅子に一緒に腰掛け、テレビアニメを観ながらくつろいでいた。

彼らはこれまで2度しか会ったことがないが、互いに惹かれ合っていた。キャスケット帽をかぶった小さな妖精のような2年生のレイは、ハンサムな1年生のショーンに鼻をすりつけている。ショーンはレイの肩に腕を回している。笑い合ったり、わざと意地悪を言い合ったりしている間も、彼女の手は彼の膝の上に置かれている。長椅子の手すりに座っていた共通の友人ジュヌヴィエーヴは微笑んで、あきれたように目玉をぐるりと回してみせた。

これは学生にありがちな、夜を一緒に過ごすための序章のように思えるが、彼らはキスもしなければ体をまさぐり合うわけでもなく、まして土曜の朝に後悔にさいなまれながらとぼとぼと歩いて帰るようなこともない。ショーンとレイはお互いに、いや誰とも、そういう関係をもちたいとは思っていないのだ。

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実のところ、彼らがキャンパス内のこの支援センターに出入りしているのは、ここがセクシャリティとジェンダーのアイデンティティに悩む、すべての人々にとっての避難所だからである。彼らは伝統的ではない考え方、すなわち「セックスのない生活」を探求している。あるいは「ほとんどセックスしない生活」と呼ぶべきか。

彼らは新たな性的アイデンティティの先駆者たちだ。セックスにほとんど興味をもたないことを正当な性的指向としている点は共通しているが、それぞれのアイデンティティは恋愛対象と性欲の強さによってカテゴライズされ、名前が付けられている。レイがわたしに教えてくれたところによると、彼女自身は「アロマンティック・アセクシャル」、ショーンは「ヘテロロマンティック・デミセクシャル」、ジュヌヴィエーヴは「パンロマンティック・グレーアセクシャル」なのだという。

これらの用語になじみがないのも無理はない。さらに、こうした定義はいまだ流動的だ。自らを「デミセクシャル」(半性愛)と称する人々の多くは、ごくまれにしか、そして親密な関係にある相手にしか性的欲望を感じないという。「グレーアセクシャル」は、完全なアセクシャル(無性愛)と一般的な性愛レヴェルの中間に位置する人々だ。それから、他人に対して抱く恋愛感情の度合いに応じた種別がある。ジュヌヴィエーヴは、あらゆるタイプの人に対して性的欲求を伴わない恋愛感情を抱くので、理論的には「パンロマンティック」(全恋愛)なのだという。ショーンは男性として女性に心を引かれるので「ヘテロロマンティック」だ。

この分類が大雑把で紛らわしいものに感じられるのは、これらの言葉のほぼすべてがオンライン上(掲示板や、Tumblr、ブログなどのコメント欄)でつくられたものだからだろう。

そこでは必ずしも特定の性的アイデンティティについて語られるわけではなく、これらの分類名はむしろ、人々を互いにオンライン上で位置づける標識として機能しているのだ。多くの人々がウェブで新たな性的倒錯のスリルを見出して喜んでいるのに対し、彼らは冷酷なセクシャルカルチャーから抜け出すためにウェブを使っている。そこは、インターネット上でたったひとつの「ポルノのない場所」といえるかもしれない。

分類名が多くを説明しているとはいえ、デミセクシャルやグレーアセクシャルの人々はその定義に縛られているわけではない。彼らの多くは、自分の性的指向が変化しうることをごく当たり前に受け入れている。

支援センターでの金曜日から数カ月後、ジュヌヴィエーヴは自分がグレーアセクシャルというよりはアセクシャルにより近いと気づいた。ショーンはデミセクシャルなのかアセクシャルなのかよくわからなくなったという。

「わたしが会ったアセクシャルの人たちは、柔軟であることを大事にしていました。わたしはグレーかもしれないし、アセクシャルかもしれないし、デミセクシャルかもしれません」。そう語るのは、ラスヴェガスから来た24歳の学生クローディアだ。「わたしたちアセクシャルは、言ってみれば『何にもなれる』のです」

だが友人や家族は、そんなアイデンティティをまったく受け入れられず、思春期のあとにはそういう混乱の時期があるものだとか、何かが深刻なほど間違っていると言う。ホモセクシャルになる途中の段階なのか、何かの心的外傷の結果そうなったか、あるいはホルモンバランスがおかしいのだろうか、とあれこれ考えているのかもしれない。

だが、無性愛・半性愛の人々にとって、それはただただ自然なありようなのだ。セックスは「臨床的見地からみれば魅力的なことかもしれませんが、個人的にはそうではありません」とレイは言う。「もっと有意義な時間の使い方があるんです」

今日では、欲望を抱きそれを満足させることはごく自然で健康な行為で、人間としてどうしようもないことだ、というところまでは常識として認められている。すなわち、「性欲の自由」は基本的人権だと考えられている。しかし「性欲からの解放」という考えはいささか急進的といえるだろう。それこそが、“セックス革命”の新たな最前線なのである。

多様性のあるセックス

アセクシャルは10年以上の時間をかけて、ゆっくりとカミングアウトされてきた。2001年、ウェズリアン大学のデイヴィッド・ジェイという学生が、「Asexual Visibility and Education Network」(AVEN:無性愛の認知と教育ネットワーク)という名のウェブサイトを作成した。アセクシャルに関するあらゆる情報を収録するのが目的だった。開設から1年後に掲示板が設立されると、ぽつりぽつりと人が集まり始めた。04年には1,000人に達し、今日では登録ユーザーは80,000人に上る。

しかしなかには、「完全なる無性愛」という概念にあてはまらない人々もいた。「デミセクシャル」という言葉は、2006年2月8日にAVENの掲示板で登場したものと思われる。「完全ではないがおおむね無性愛である」といった状態を説明するために発明されたこの言葉が注目されるようになったのは、ここ数年のことだ。

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いまではデミセクシャルの人々の多くが、自身の性欲が高まることはまれで、感情的に深い結びつきが生じた場合にのみそうなると伝えている。たまたま部屋に居合わせた人を見て、衝動的に欲望に駆られるようなことはない。デミセクシャルを自認するオリヴィアという女性は「これまでの人生で、性的に魅了されたといえるのは3人だけ」と数年前に書いている。「わたしのパートナーは、バスに乗っている間だって何度も欲情しているようだけどね」

ほかにも、多くの変化型がある。デミセクシャルとグレーアセクシャルのなかにはときどきは燃えるような欲望を感じる人もいるし、セックスにまったく無関心だという人もいれば、セックスに嫌悪感を抱く人もいる。自慰をする人もいる。クローディアのように官能小説を書ける人もいる。彼女によれば「書いているのは、現実の生活で誰かとセックスしたいという普通の人の欲望とはまるっきり違うもの」だという。

また、強い性欲をもってはいるものの、それが特定の誰かには結びつかないというデミセクシャル者もいる。

「とにかくクレイジーで変わったセックスをしたいんだけど、誰かと、というわけじゃないんだ」と工場に勤める27歳のカナダ人、マイクは語る。「じゃあ始めましょう、なんて誰かが言ってこようものなら、もうお手上げ。絶叫しながら部屋から逃げ出すね」

アセクシャルとその変化型に関する研究はまだ少なく、自分をアセクシャルだと思っている人がどれくらいいるのか、そしてそれはどんな人々なのか、といったことを示すための信頼できるデータは乏しい。

2004年にイギリスで行われたある調査では、人口の約1パーセントがアセクシャルという大きな分類に属すると推定されている。ほかの調査では、その数値には0.6〜5.5パーセントまでの幅があった。しかし、アセクシャルを研究してきた心理学者で、セックスをしたくないからといってその人がなんらかの障害を負っているわけではない、ということに言及している者は多くはない。

「何事も病理的説明ができるはずだと信じている人々にとっては、馴染みのない考え方なのです」と語るのは、ブリティッシュ・コロンビア大学の心理学者で、婦人科学准教授でもあるロリ・ブロットだ。ホルモンは無関係であるという決定的な証拠はないものの、たいていの無性愛者はよくある思春期を過ごしており、ホルモンや生理的問題を抱えているようには見えない。ブロットの研究によると、無性愛者の女性の肉体的反応は、ほかの女性となんら変わりはないという。

リビドーが失われてしまう性欲減退障害のある人々にとって、それは困った状態だ。女性の性欲減退障害の判定基準づくりにも貢献したブロットによれば、患者たちはセックスの感覚を覚えているし、それを失ったことをはなはだ残念に思っているからだ。それとは対照的に、多くの無性愛者はそもそも強い性欲を感じたことがなく、それになんの不満もないという。

一方、無性愛者の友人や家族は、それに納得していないことが多い。13年に専門誌『Psychology & Sexuality』に発表された806人の男女を対象としたブロットの研究では、無性愛者は侮辱されたり孤立したりすることで、精神衛生に問題が起こりやすいという。

「どうしてデートしないのか、セックスしなきゃダメだ、なぜ女の子たちに興味をもたないのか、とプレッシャーをかけられてばかりです」とマイクは言う。一般的に無性愛者は、避けられたり嘲笑されたりといった虐げられ方をすることは少ない。「悪魔のような扱いは受けません」とジュヌヴィエーヴは言う。

カナダのブロック大学の2人の心理学者による小規模な調査によれば、無性愛者はネガティヴなものとして受け止められることが多いという。無性愛者は人間未満の存在に思えると、人々は回答しているのだ。

デミセクシャルの家族

ジュヌヴィエーヴは潔癖なわけでも内気すぎるわけでもない。正しい相手に出会えていないわけでもない。彼女はオタクっぽいところも魅力的で、なかなか素敵な女性である。昆虫と科学を愛する一方で、卑猥な冗談も言うし、レザージャケットもよく似合う。26歳で、背の高いブロンド美人だ(彼女は仕事と音楽活動のために学校を一時休学していた)。そして驚くべきことに、彼女は結婚している。最愛の夫は、ここテネシー出身のいかついカントリーガイで、名前はジェイムズという。

ジュヌヴィエーヴは小さいころから、男の子たちにも女の子たちにも心を惹かれたことがあるが、それはあくまで恋愛であって、そこに性欲はなかった。彼女は、手を握ったり長電話したりすることに憧れたのだ。

「手を握る以上のことは、わたしにはとても奇妙に思えました」。高校に入ると、人生は厳しさを増した。周囲にアンドロイドだとか血の通わないやつだと呼ばれ、いつも自分が変人であるかのように感じていたという。彼女は、自分に異常があるのではないかと考えるようになった。医師にも診てもらったが、君はかわいくて若いんだから心配しなくてよろしい、と笑われた。「情報が何もなかったんです」と彼女は言う。「真っ暗闇のなかにいるようでした」

そこで彼女は、自分が唯一愛せるものである音楽に身を捧げることにした。17歳のころまでに、彼女のバンドは少数ながら熱狂的なファンを獲得し、本物のロックスターたちが出演する大きなイヴェントの前座を務めたり、そのバックステージに出入りできるようになったりもした。

スターとグルーピーたちのふしだらで乱れた世界に10代で投げ込まれたにもかかわらず、彼女はそんなことにはまったく興味が湧かなかった。反セックスを誓っていたわけでも、眼前の光景に道徳的に反発したわけでもない。ただ単に心惹かれるものがなかったのだ。

しかし、いずれ自分もそれに調子を合わせることを期待されると彼女は知っていた。よりセクシーなイメージをつくるために、スカートを短くし、トップスをタイトにするといったようなことだ。幻滅した彼女はロックの世界から距離を置いた。「アートの話がしたいのに、楽屋に行ってヤるだけなんて」

そんなとき、彼女はネットでジェイムズと知り合った。数カ月の間親しく友達付き合いをしたあと、1年間の遠距離恋愛を経て、彼女は彼のいるテネシー州へと引っ越してきた。

「性衝動という点では、わたしたちは一致していませんでした。でも彼は、わたしには欲情しないようにしてくれたのです」。ジュヌヴィエーヴは言う。彼は我慢していた。ずっと我慢していたのだ。彼らが出会ってから3年後、彼女はようやく初めて自分のなかで欲望がうずくのを感じ、彼と性的な関係をもつようになった。

「彼のことを十分に知って、わたしの心が『彼こそがソウルメイトだ』と判断したときに、体のほうもそう判断したんだと思う」。彼女はTumblrにそう綴っている。

生来の性欲レヴェルに差があったため、一緒に幸せになる方法を見つけるために十分な話し合いをする必要があった。だがほかのカップル同様に、2人は譲歩し合うことも覚えたのだ。14年の春に結婚した彼らは、いまだ新婚気分に浸っているようだ。

ジュヌヴィエーヴはその年の秋、ある大学院生と支援センターで語り合い、彼女がそれまで性について感じていたことを表す言葉があることを知った。その大学院生は「君はデミセクシャルかもしれないね」と言ったのだ。何時間もその言葉をウェブで検索して結果をTumblrに蓄積していった結果、ある瞬間に暗闇が開かれ、彼女は自分の居場所を見つけたのだと悟った。

「その言葉を使っている人たちを見つけたんです。そこには文化があり、ようやく家族に出会えたように思えました」と彼女は言う。「本当の自分になることができたと気づいたのは、そこに言葉があったからです。わたしと同じような人々がいて、このままでいいのだとわかりました。ようやく、抱えていた重い荷物を下ろすことができたのです」

性欲のスペクトラム

大学の近くのタイレストランでカレーを食べながら、ジュヌヴィエーヴとショーンとレイは、アセクシャルやその変化型がメインストリームのカルチャーではほぼ完全に埋没していることを嘆き合っていた。

2014年夏、ジュリー・ソンドラ・デッカーという無性愛者の女性がこの問題について、『The Invisible Orientation: An Introduction to Asexuality』(見えない性的指向:無性愛序説)という入門書を出版した。

ポップカルチャーからの反応もなくはなかった。例えば、テレビドラマ「ウォーキング・デッド」の登場人物ダリル・ディクソンをめぐる騒動がそうだ。ファンのお気に入りであるダリルは、ミステリアスで陰のあるヒーローだが、恋愛やセックスには一切かかわりをもたない。ダリルはゲイなのではないかという推測に対して、原作者のひとりであるロバート・カークマンが、ディクソンは「無性愛者のようなものだ」とエピソードの要約のなかで語った。「Tumblrへの反応がすごかったわ」とジュヌヴィエーヴは言う。「たかがテレビドラマだと思われるかもしれないけれど…でもこんなことは滅多にありません」

「ウォーキング・デッド」のダリルを演じるノーマン・リーダスは「Enterrainment Tonight」に出演し、そのキャラクターのセクシャリティについて語っている。

何はともあれ、デミセクシャルとそれに関連するサブグループの存在は、そのほかの人々(性的指向がどうであれ)に対して、従来の恋愛や肉体関係はいまだ初期段階の限定的なものにすぎないということを如実に物語っている。

ノーマルな性的指向の最も進歩的な定義(およびそれに伴って社会が個人に期待する役割)でさえ、まだまだ狭すぎるのかもしれない。仮にデミセクシャルやグレーアセクシャルの人々が結びついて、性欲、親密さ、家庭生活、恋愛対象、感情の強さなどの要素の組み合わせによって新しいタイプの人間関係を形成できるのだとしたら、ほかの大多数の人でも同じことができるだろう。

性欲のスペクトラムにおける新しいポジションを発見するような、もっと多くの驚きがあるかもしれない。いまはまだ名前がないそれらのポジションは、仲間を探しつつ、認知されるのを待っているのだ。

ある日のタイレストランに話を戻せば、ちょうどそこでは学生街の金曜の夜が始まろうとしている。外は雨がぱらついているが、まばゆいばかりのスカートをまとい、これでもかというほどヒールの高い靴を履いた若い女性たちが通り過ぎていく。パーティと限りない欲望の夜に向かうための装いは万全だ。隣のテーブルに座っている人たちは明らかにこちらの話に聞き耳を立てていて、アセクシャルについてのトークに半ば驚愕し、半ば戸惑っている。ジュヌヴィエーヴ、ショーン、レイの3人はそれに気づいてもいないようだ。彼らにとって、解放されたという感覚はいまだに新鮮で刺激的なのだ。

「15年間、わたしは何もかもに困惑しっぱなしでした。いまはもう、そんなことはありません」とレイは言う。無性愛者の誇り、とまでは言わないにしても、それに近いものを彼女は感じているのだ。

キャット・マクゴーワン|KAT MACGOWAN
サイエンス、ヘルス、生物医学系ライター。『WIRED』へはこの記事が初の寄稿。@mcgowankat

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