ロシアGPのスターティンググリッドにつく2台のマシンを、ホンダ陣営は特別な気持ちで見守っていた。フェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンのパワーユニットを制御するCE(コントロール・エレクトロニクス)のセッティングが、エンジンに高い負荷が掛かる"予選モード"のままになっていたからだ。

「このソチ・アウトドロームでいえば、予選モードにすると、0.2秒ほど速く走ることができます。しかし、ICE(内燃機関エンジン)には、通常のレースモードよりも高い負荷が掛かってしまいます。ですからこれまでは、『何周なら使っていいよ』というかたちでドライバーに使わせていました」

 長谷川祐介F1総責任者はそう説明する。

『MP4-31』のステアリングホイールには、"レッドボタン"と呼ばれるボタンがある。

 順位を上げるためにプッシュしたいというときや、バトルのなかで競っているときにドライバーがそれを押すと、ICEの点火時期を早めてパワーを絞り出す予選モードに切り替わる仕組みだ。

 しかし、ロシアGPでは最初から予選モードがオンになっていた。いつもとは逆に、レッドボタンは予選モードを解除するボタンになったのだ。

「(約4000kmという)エンジンライフのなかで、『このくらいなら予選モードを使ってもいいよ』という割合がもともとあるわけですけど、それは限界値で設定されているわけではなくて、『予選はこのくらい使うから』という割合で耐久確認をしたものに過ぎないんです。それより少しでも多く使ったらダメというわけではなくて、『このくらいなら使っても大丈夫?』というのを少しずつ確認しながら広げていっているところなんです」(長谷川総責任者)

 点火時期を早めれば、パワーは出るが、ICEの燃焼室に掛かる負荷が大きくなる。つまり、それだけ寿命は縮まることになる。

「今は年間5基で21戦を戦いますが、このパワーユニットだって性能を抑えて走れば、21戦すべてを走り切ることだって可能なんですよ」

 長谷川総責任者はそう語るが、その逆もまたしかりで、強引に性能を上げればたちまち壊れてしまうことだってある。それでも、この1基を捨ててでも目の前で得られるものを取りにいこう――という"攻めの姿勢"だ。

「ここが勝負だと思えば、壊れるリスクを負ってでも予選モードをどんどん使って、ここでダメージを負って次のレースで交換することになっても構わないというくらいの気持ちで臨んでいる。それはドライバーたちにも説明しているよ」

 マクラーレン・ホンダの別のエンジニアもそう語る。

 長谷川総責任者も、「今までにやったことがないトライです。こういうところに勝負をかけよう、注力しよう、という決断をしたということです」と明言した。

 開幕前のテストから点火時期を攻めたセッティングをトライし、前戦の中国GPでは年間10回しか許されていないCEのソフトウェアもアップデートし、ハードウェアの開発が制限されているなかでも制御系の改良によってパフォーマンスを伸ばしてきた。

 まずは「信頼性の確保」を目標に掲げて臨んだ2016年シーズンだったが、そうやって性能面でも少しずつ学び進歩してきた。ある意味では、それは2015年の参戦開始当初からずっと続いてきたアプローチだった。

 しかし、シーズン序盤のフライアウェイ戦最後のロシアGPで、いよいよホンダは攻めに転じたのだ。

 14番グリッドからスタートしたアロンソは、1周目の混乱をうまくすり抜けて7位まで浮上し、ルノーやハース、トロロッソ、フォースインディアを寄せつけることなく走り切って、6位でチェッカードフラッグを受けた。レースの大半はひとり旅で淡々としたものだったが、予選モードの恩恵を生かし、レースの終盤には貯め込んだ燃費セーブ分を1周に全力投入して全体で5番手のファステストラップを叩き出し、チームを驚かせる茶目っ気も見せた。

「レースの大半で燃料セーブをしなければならなかったけど、ある時点でちょっと目を覚まそうとクイックラップをやったんだ(笑)。それで全体で5位のタイムを記録できたんだから、ポテンシャルがあるのは証明できたね」(アロンソ)

 スタート直後の混乱を避けるために後退してしまったバトンも、最後にトロロッソをコース上で抜き去り、10位でフィニッシュ。そこにも予選モードの威力が遺憾なく発揮されたと、長谷川総責任者は指摘する。

「1周で0.2秒なら、50周のレース全体で10秒早くフィニッシュできることになります。その10秒で何も変わらない場合もありますが、ポジションがひとつ上がるという場合もあります。ジェンソンは最後にカルロス・サインツ(トロロッソ)を抜きましたが、もし予選モードを使っていなければ、あそこまで追い詰めることができなかったかもしれない。クルマのパフォーマンスとしては、ジェンソンも7位でフィニッシュできてもおかしくない速さがありました」

 全開率が高く、スロットルを開けている時間でいえば71%にも達するソチ・アウトドロームでは、規定の100kgの燃料でレース距離309.745kmを走り切るのは至難の業だった。そのためドライバーたちには、ストレートエンドでスロットルを戻す"リフト&コースト(※)"を強いることになってしまったが、マシンパッケージそのものの仕上がりは「トップから1周遅れ」という結果以上のものだった。

※リフト&コースト=アクセルをオフにして、惰性でクルマを走らせること。

「ふたりともベテランドライバーなので、レース展開に影響が出ないように上手にやってくれたと思います。ただ、燃費セーブが必要なければ、上位からあそこまで離されることもなかったと思いますから、そこは課題ですね。逆に言えば、クルマ自体のパフォーマンスとして、あそこまでの差があったとは思っていません」(長谷川総責任者)

 攻めの姿勢に転じたこと、そして、それを見事に成功させたこと――。レース後の長谷川総責任者を始めとしたホンダの面々は、いつもとは比べものにならないほど晴れやかな表情をしていた。

「我々としてはやり切ったという感がありますし、非常にいいレースでした」

 今季初のダブル入賞を果たしたロシアGPは、マクラーレン・ホンダにとってその結果以上に大きな「意味のあるレース」となったのだ。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki