秋元康、坂本龍一、篠山紀信… 彼らが頭角をあらわした年齢に、あなたは何をしていただろうか

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坂本龍一は1978年に「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)に参加し、翌年の1979年に27歳で全米デビュー。すぐに世界的な評価を得る。1983年までの5年半での活動でYMOが残した影響は計り知れない。

秋元康が作詞した『川の流れのように』がリリースされたのは秋元が30歳のときのこと。ニューヨークの「カフェ・ランターナ」で「川の流れのように」というフレーズが浮かんだそうだ。

沢木耕太郎が『若き実力者たち』を出版したのは25歳のときだ。小沢征爾や山田洋次、尾崎将司などの1970年前後に華々しく登場した人物たちを追いかけたノンフィクションである。



『世界から猫が消えたなら』の作者で映画プロデューサーの川村元気氏が、今もなお各業界のトップを走るベテランたち12人に“仕事”をテーマにインタビューを行った『仕事。』(集英社刊、2014年発行)。

その中で問われているのは、これである。

「僕と同じ年の頃、何を想い、何を考え、どう働いてきたのか。
何に苦しんだり、何を楽しんだりして、ここまでやってきたのか。
その果てに、何を見つけたのか。」
(5ページより引用)

1979年生まれの川村氏が繰り出す質問に対して、12人のベテランたちは若い頃から今に至るまで、どのような気持ちで仕事をしていたのかを振り返る。



谷川俊太郎は処女詩集『20億光年の孤独』を20歳の頃に出版した。谷川は17、18歳の頃からすでに詩人として活動をしており、三好達治の紹介によって『文学界』にもその詩が掲載されていた。

倉本聰が『北の国から』の脚本を担当したのは46歳のときだったが、39歳で北海道に移住し、札幌市で2年半を過ごす。それから富良野市に移っている。

篠山紀信の代表作の一つである『Death Valley』が生まれたのは1969年、篠山が29歳のときである。その後、ブラジルのリオでカーニバルを撮影し、『オレレ・オララ』を出版する。

■結果を出している人たちに対して悔しさを覚える。

大人になれば年齢を重ねるスピードが速くなるとはよく言うものだが、確かにそうだった。20代はアッという間に過ぎ去っていった。

トップを走る人たちの姿を見ていると、彼らのほとんどは20代ですでに頭角をあらわし、それぞれの代名詞となるものをなんらかの形で出している。

「今の自分の年齢のときに、この人はこんなことをしていたのか」。それを知り、自分との差を見つめて呆然とする人もいれば、「この人たちは特別な才能があるわけだから」「特殊な業界だから」と気にとめない人もいるだろう。

筆者は前者である。彼らが別世界の人間だとは思わないし、なぜ自分は辿りつけていないのかという悔しさの方が強い。

■「仕事で悩んだとき、辛いとき、どうやって乗り越えましたか?」

川村氏は本書を通して、人生を楽しくするための「仕事。」のヒントを得る旅に出る。「仕事。」とは川村氏が「人生を楽しくするために働く」ものとして「仕事」と区別をして使っている言葉だ。

若いうちに結果を出した彼らは「仕事。」を通して世界を面白くし続けてきた。

でも、実は私たちと同じように、仕事に対して悩んだり、上手くいかずに壁にぶち当ったりしたときもあるはずだ。川村氏が12人に一貫して訊ね続けた設問がある。それは「仕事で悩んだとき、辛いとき、どうやって乗り越えましたか?」だ。

■自分が変わる勇気をいかに持つか。

仕事は大変だ。上手くいかないことだらけ、不安も不満も混在していて、評価や競争はストレスを増幅させる。人間関係も面倒くさい。変わる必要があるのに、どうしていいのかわからない。変わるには勇気が必要だ。

「仕事。」を楽しんでいるトップランナーたちのやり方や考え方には、真似できるもの、できないものがある。しかしそこから学べるものはたくさんあるはずだ。悔しいが学ぶしかない。それが成果を出すための近道なのだ。

「今の若いフリーランスのライターがある時期ぐっと我慢して、大きな仕事を一つするってことをどうしてできないんだろうって思ったりもするんですよ」(沢木耕太郎/p46より)

彼らの言葉はどこを切り取っても、示唆に溢れている。

(新刊JP編集部)