左・自由民主党HPより/右・日本会議公式ウェブサイトより

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 憲法記念日の今日5月3日、全国各地で日本会議による改憲大集会が行われている。

 前回の記事では、それらの集会で上映される"憲法改正ドキュメンタリー映画"について、製作総指揮の百田尚樹がばら撒いた"憲法デマ"ついて解説した。日本国憲法制定に携わった人たちの発言を"捏造"してまで、憲法への憎悪をむき出しにする百田センセイ。まさに"ウソ八百田""捏造作家"と呼ばれるのも頷けるわけだが、もちろん、これは彼だけの問題ではない。

 そもそも、改憲タカ派の最大の虚偽は、"日本国憲法はGHQが無理やり日本人に押しつけた"という、いわゆる「押しつけ憲法論」に集約される。後編では、日本会議の"改憲映画"のなかでもさんざん展開されているこの押しつけ憲法史観について検証してみたい。

前編であらかじめ言っておいたが、だいたい、連中が喧伝する"日本国憲法=GHQ憲法"という認識自体、先人を冒涜している。まず、GHQ案が出てくる前に日本政府が作成した憲法草案(幣原喜重郎内閣の国務省・松本烝治らによる「松本案」)は、当時の日本国民にも支持されていなかった。これは歴史的事実だ。

 日本会議の"改憲映画"ではほとんどネグられているが、そもそも、日本政府が敗戦にあたり受諾したポツダム宣言には「民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和的傾向」などが記載されていて、これを日本政府が受け入れた以上、明治憲法の改正は不可避だった。

 しかし、マッカーサーが日本政府に作成を示唆して出来上がった松本案は、《第二条 天皇は君主にしてこの憲法の条規に依り統治権を行う》という天皇主権がそのまま残り、国民の人権もほとんど考慮されていないなど、実際には明治憲法と大差ないものだった。当然、ポツダム宣言の内容に沿うものではない。

 そして、当時の国民から見ても、松本案は新憲法としてふさわしくなかった。この松本案をスクープした毎日新聞1946年2月1日の社説では、このように評されている。

〈かかる天皇の地位を明文化しておく必要がある。そうでなければ将来天皇が独裁政治を企図するものによって利用されるを保し難いのである。〉
〈英国はその不文憲法において、即ち国民的常識において、国王の「君臨すれども統治せざる」立場が確立している。我が国の成文憲法において英国の式を採ろうとするならば、この実質的不統治の原則を何等かの形で憲法に明らかにして置く必要があるだろう。もし英国式形態を採らずして、天皇の自由意志を認めるということであれば、それは明らかに民主主義に逆行することになる。〉

 また、毎日新聞同年2月4日付には、民間研究者による世論調査の結果が掲載されている。これは現在と比べて回答の母数(2400通)こそ少ないものの、当時の世論を推測する上では貴重な調査だ。たとえば天皇制については、〈政治の圏外に去り民族の総家長、道義的中心として支持〉(45%)、〈君民一体の見地より政権を議会と共に共有する体制において支持〉(28%)に対して、〈現状のままを維持〉はわずか16%という結果だった。

 ようするに、少なくとも、天皇制をほぼ明治憲法のまま維持する松本案は国民にとって受け入れられるものではなかったのだ。

 しかし、改憲タカ派は、あたかも、GHQが民意を顧みずに草案をつくり、それがそのまま日本国憲法になったというふうにミスリードする。これも経緯をきちんと検証すれば、事実でないことは自明だ。

 毎日新聞による松本案のスクープの2日後、マッカーサーは、ポツダム宣言の内容に一致する別の草案の作成をGHQ民政局に命じ、そして、2月13日に日本政府に提示した。その上で日本政府が修正した草案が3月6日に閣議決定を経て翌日発表、続いて4月10日に衆院の総選挙が行われたのちに国会議員らによる審議・修正がなされて、10月7日に確定した。

 つまり、GHQ案はそっくりそのまま日本国憲法になったわけではなく、戦後初の男女普通選挙で選ばれた議会での議論を経由して制定されているのだ。そして、その事実こそ、日本国憲法が、当時の日本国民の意識に大きく影響されていることを意味している。

 たとえばここで、昭和史研究の第一人者・半藤一利の弁をひいてみよう。1930年生まれの半藤は、作家・北康利との対談のなかで、その"実感"からこう述べている。

〈でも、国民全体が望む憲法というのは、日本ではあり得ないわけですよ。GHQ案を見た日本側が抵抗しようとすると、アメリカは「では、日米両案のどちらをとるか、国民に投票させよう」といいましたね。それに対して、日本側が尻込みしてやめちゃう。ぼくは当時まだ子どもでしたけれど、あのころの国民の心情からすると、GHQ案のほうが勝ったと思います。残念ながら、日本国民は日本案を選ばなかったと思います。〉【脚註1】

 半藤が言及している「国民投票」には歴史資料が存在する。先に述べた通り、日本政府側にGHQ案が手渡された2月13日には、すでに幣原内閣には総選挙の構想があった。アメリカ側の公式記録にも、GHQ民政局局長だったコートニー・ホイットニーが、GHQ案を踏まえた草案を内閣が国民に提示しない限り〈最高司令官は、この憲法〔草案〕を成立させる機会が国民に与えられるよう、直接国民にこの憲法〔草案〕を示して、間もなく行われる選挙戦でこの件を主要論点の1つとするでしょう〉という発言をしたと記されている【脚註2】。

 また、幣原喜重郎内閣の厚相だった芦田均が残した記録、通称「芦田メモ」には同年2月19日の閣議での一幕が記されているが、これもまた半藤が語る「国民の心情」を裏づけている。

〈自分はこの時発言して、もしアメリカ案が発表せられたならば我国の新聞は必ずやこれに追随して賛成するであろう、その際に現内閣が責任はとれぬと称して辞職すれば、米国案を承諾する連中が出てくるに違いない、そして来るべき総選挙の結果にも大影響を与えることはすこぶる懸念すべきであると。〉【脚註3】(引用者の判断で一部を新仮名遣いに改めた。以下同)

「芦田メモ」によれば、松本烝治国務相と副島千八農相もこの芦田の発言に賛同したという。ようするに当時の内閣は、GHQ案が公になれば国民はそちらを支持し、自分たちがこれを拒否すれば予定されている総選挙で落選するのではないか、と危惧しているのである。

 この日本政府側の認識こそ、当時、間接的に「民意」が憲法の制定過程に反映された証拠だと言える。事実、毎日新聞による世論調査では、象徴天皇制の「支持」が85%、戦争放棄条項の「必要」も70%という結果が出ている(1946年5月27日付)。

 それでも、連中は「憲法は密室でつくられた」として「押しつけ論」に執着する。では訊くが、仮に国民が日本国憲法制定にあたって"直接的に"条文に介入していないことをもってして「押しつけ」とするならば、松本案だって「押しつけ」に違いなく、ましてや欽定憲法である明治憲法も「押しつけ」になる。

 もはや連中の論理は破綻しているわけだが、ようするに、百田や日本会議が主張する「GHQが押しつけた憲法」は、せいぜい、当時の日本政府の"保守的な姿勢"に対する「押しつけ」でしかないのだ。

 では、ここで日本会議の"改憲映画"の内容に戻ってみよう。映画のなかでは、GHQとの交渉にあたった白洲次郎が〈「今に見ていろ」ト云フ気持抑ヘ切レズヒソカニ涙ス〉(外交資料館所蔵「白州手記」)と書き残していることを強調する場面がある。

 しかし、これは白州の全体像を無視し、ひとつの記録を改憲に援用する典型的なフレームアップの手法だ。実のところ、当の白州は日本国憲法について「諸君」(文藝春秋)1969年9月号でこう書いている。

〈始めから、新憲法を押しつける決心であったかどうかは別として無理のない事情もあった。それは松本烝治博士による日本政府最後の憲法修正案も天皇主権であったからだ。終戦直後においても事態の認識はあまかったようだ。この認識のあまさが、戦争自体を誘発したともいえるが。〉【脚註4】

 つまり、白洲でさえ、松本案が明治憲法と大差なかったと認識しており、これではGHQから別の案を出されてもいたしかたがなかった、と言っているのである。さらに、昨今の「押しつけ論者」が最大の標的にする憲法9条については、白洲は極めて高い評価を下しているのだ。

〈しかし、その(引用者駐:新憲法の)プリンシプルは実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。〉【脚註4】

 また、1968年、同じく70年安保の時代では、法学者・鵜飼信成によるインタビューのなかで、憲法9条が日米関係において日本を有利にする武器になると述べている。

〈こういう状況になってみると、「戦争放棄なんてこと、自分で書いたんじゃないか」と言われると、向こう(引用者駐:アメリカ)が困りますわね。だから僕は憲法調査会にでも、「憲法というのはアメリカ側が日本側に紙に書いて押しつけたものであるということを主張しなさい」と言っているのですが、これは国の将来の利害関係を考えた時にはあまり大きな声で言えないことですけれども、実際は、自分で「やってはいけない」ということを言っておいて、今度は、「兵隊を作ってどうかしろ」と言うのは、話がおかしいではないかということが一番大きなことだとぼくは思いますね。日本人が勝手に書いたのなら、「今度は軍備出来るように直せ」ということは言えるかもわからないけれども。〉【脚註5】

 白州は吉田茂の片腕として働いたが、吉田内閣をはじめとする戦後の親米保守内閣は、対米追従を利用しながら日本の国益を守ってきた。そして、白州も語っているように、吉田茂は憲法を盾にして朝鮮戦争への出兵を拒み、それが日本の経済復興を導いた。

 対して、2016年現在の日本国首相・安倍晋三はどうか。安倍は、しきりに憲法は「アメリカに押しつけられた」という。

「制定過程(が問題だ)。大東亜戦争に負けて、日本が占領下にあるときにですね、これは進駐軍がつくった憲法ですね」(2011年、BS番組で)
「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人がつくったんじゃないですからね」(2012年、ネット番組で)

 安倍は、吉田のように対米外交上のしたたかな戦略から「押しつけ論」を語っているのではない。逆だ。祖父・岸信介の悲願であった改憲を、自分の手で成し遂げるために、戦争すら認める。それが安倍晋三なのだ。事実、安倍はアメリカに軍隊を出せと言われ、安保法制を強行し、集団的自衛権を解釈改憲によって可能にしてしまった。

 この"なにがなんでも改憲したい"という安倍の欲望が、日本会議の思惑と混ざり合う。その究極の理念は「国家神道」や「国体」思想と変わらない。改憲を許せばなだれ込む。いま、この国は確実に"戦前回帰"へと向かっている。

 日本会議の"改憲映画"のチラシにはこう書かれていた。〈日本国憲法の衝撃の事実と現実を描いたこの作品で、これからの日本国憲法を考えてみましょう〉〈全国1,741の市町村、20,000の小学校区で啓発映画の上映会を開催しましょう。皆様も上映運動にご協力ください〉。「上映協力金」として1口1000円でDVD1本を贈呈するとある。どうやら、日本会議は極右界隈だけでなく、全国の小学校でも上映会を目論んでいるらしい。

 憲法の改正自体は、現行憲法に改憲の条件が記載されているように、タブーではない。だが、歴史を捏造し、デマを振りまいて、子どもたちまで洗脳しようとする日本会議のやり口は、下劣としか言いようがない。そして、国民の要望などまったく顧みずに、自らの欲望のまま憲法を変えようと暴走する安倍首相。こんな連中が仕掛ける戦前回帰のキャンペーンに、決して騙されてはいけない。
(梶田陽介)


■脚註・出典
【1】半藤一利・編『日本史はこんなに面白い』文春文庫、2010年
【2】高柳賢三、大友一郎、田中英夫『日本国憲法制定の過程I』/有斐社、1972年
【3】芦田均『芦田均日記』(第1巻)岩波書店、1986
【4】白洲次郎『プリンシプルのない日本』所収、ワイアンドエフ、2001年
【5】東京大学法学部図書館所蔵文書/『白洲次郎』増補版所収、文藝春秋、2016年