左・ニコニコ動画「百田尚樹チャンネル」より/右・美しい日本の憲法をつくる国民の会HPより

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 5月3日、憲法記念日。しかし、安倍政権は、1946年の公布から70年を迎える日本国憲法の改正へ、目下、本腰を入れている。すでに衆議院では改憲勢力による3分の2の議席数を確保しており、7月の参院選の結果次第で、勢いそのままに改憲発議に持っていくだろう。

 これを千載一遇の機会と見るのが、政権の背後にうごめく日本最大の極右組織「日本会議」だ。その大規模改憲キャンペーンは、今年に入ってさらに活発化してきている。

 周知のとおり、日本会議はダミー団体である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を中心にして全国で改憲のための署名活動を展開中。今年の憲法記念日も全国各地で改憲を求める行事を開催する。そこでは、日本会議とつながる評論家や、その議連に名を連ねる政治家たちが講演し、また、"憲法改正啓発ドキュメンタリー映画"の上映などを行うという。

 その"改憲映画"のタイトルは、「世界は変わった 日本の憲法は?」。いったい、どんな内容なのか。確認のため、先月、都内某所にて開催された日本会議の集会での上映会に参加してみると、想像以上にトンデモな代物だった。

 まず、冒頭から、ナレーションを務める津川雅彦が「日本国憲法は日本を守るどころか、逆に日本を滅ぼしかねない危険さえ持っています」「日本国憲法は日本を狙う国に実に都合のよいものになっています」と脅しにかかる。大げさな音楽とともに中国、北朝鮮の脅威を煽り、国会前の安保反対デモの映像にかぶせて護憲派を攻撃。そのうえで、憲法9条の改正や緊急事態条項、家族条項の新設の必要性を説いていく。完全にプロパガンダ映画の手法だ。

 なかでも最も強烈だったのが、憲法が誕生した背景と、その成立過程を描いた"再現ドラマ"のシーン。46年2月のGHQ関係者と日本政府側のやりとりを俳優が大げさに演じるというものだが、その内容は、まさに"歴史の曲解"と"押し付け憲法論"の見本市。陰謀論じみたデマゴギーの連続だったのだ。

 だが、この"改憲映画"がデマまみれに仕上がったのも、ある意味必然だったのかもしれない。というのも、この映画の「制作総指揮」が、あの"ウソつき作家"こと百田尚樹センセイ。ご存知の通り、「ノンフィクション」と銘打った『殉愛』(幻冬舎)の内容に次から次へとウソや事実の隠蔽が発覚、その後の出版差し止め裁判でも自爆発言を連発している百田だが、憲法制定の歴史に関しても身も蓋もないデマを連発しているからだ。

 たとえば今年2月27日、京都「正論」懇話会での講演で、百田はこんな"日本国憲法陰謀史"を意気揚々と開陳した。

〈日本国憲法は成り立ちからして、あれはアメリカのGHQが無理矢理つくった憲法なんですね。(略)
 当時の内閣は幣原喜重郎内閣ですが、「こんなものをつくるのか」と驚いたが、アメリカは文句を言えばもう1回原爆を落とすとほのめかすなど狡猾で、日本人は涙ながらにこれを飲んだ。当時の内閣は全員泣いたといわれている。
 幣原首相は「こんな憲法を受け入れて子々孫々、なんと言い訳をすればいいのか」と書き残しています。それから70年。その子々孫々にあたる僕らははっきりノーといえる。〉(産経ウエスト3月1日付より)

 日本会議の"改憲映画"もこの百田発言をほぼそのまま踏襲している。よくもまあ、こんなトンデモデマをいけしゃあしゃあと......本気で恥ずかしくないのか?と呆れるばかりだ。これがいかに史実を無視・曲解したものであるかを、ひとつずつ解説していこう。

 まず、百田が言及しているのは、46年の2月13日、GHQ総司令部が日本政府側にGHQ案を手渡した時のことだろう。断っておくが、このGHQ案がでてきたのは、日本政府が作成した憲法草案(松本案)が明治憲法と大差ないものだったからだ(これについては後述する)。まあ、たしかに、その時のアメリカ側の公式記録【脚註1】などを見ると、松本案についての回答をもらえると思っていた幣原内閣の外相・吉田茂ら日本側は愕然としたようだが、しかし、百田の言う「日本人は涙ながらにこれを飲んだ。当時の内閣は全員泣いた」というのは、完全なデマである。

 なぜならば、そもそも、百田が言っている「幣原首相は『こんな憲法を受け入れて子々孫々、なんと言い訳をすればいいのか』と書き残しています」というもの自体、そんな記録はないからだ。

 おそらく、このデマの元ネタは、政治評論家の故・三宅久之の著書『「日本の問題点」をずばり読み解く』(青春出版社、2005)あたりだろう。同書にはこんな記述がある。

〈現行憲法は、一部の人たちはいまでも平和憲法などと言ってありがたがっていますが、昭和二十一年の三月五日に幣原内閣がGHQの提示した憲法草案を受諾した時に、幣原喜重郎首相は閣議の席上、こう言っています。
「我々がこの憲法を受諾したことについては、子々孫々に至るまで非常に大きな責任がある。今、国民は黙っているけれども、心の中では憤慨しているに違いない。しかし我々はこれを受諾する以外に方法はなかったのである」。これを聞いて閣僚がみな泣いたということが伝えられています〉

 同書は歴史研究書でもなんでもないが、便宜上これを「三宅版」としておく。「三宅版」の記述は引用元どころか、参考文献すら挙げられていない。しかし、さらにこの元ネタを推察していくと、ある一次資料が思い当たる。それは、幣原内閣の厚相・芦田均による記録、通称「芦田メモ」だ。そこには、問題の閣議についてこう記されている。

〈米国案のPreambleは今一応安倍(能成)文相の手で修辞を改めることとし、第三章は法制局の再検討を期待して午後九時十五分閣議を終った。閣議終了の直前に総理は次の意味を述べられた。
「かかる憲法草案を受諾することは極めて重大の責任であり、恐らく子々孫々に至るまでの責任である。この案を発表すれば一部の者は喝采するであろうが、また一部の者は沈黙を守るであろうけれども心中深くわれわれの態度に対して憤激するに違いない。しかし今日の場合、大局の上からこの他に行くべき途はない」。
 此言葉を聞いて私(引用者註:芦田)は涙ぐんだ。胸いっぱいの気持で急いで外套を引被って官邸を出た。春雨とも言いたい曇りの空の下に黙って広尾に帰った。〉【脚註2】(引用者の判断で一部を新仮名遣いに改めた。以下同)

 ようするに、「芦田メモ」によれば、幣原はこのとき、"GHQ案を一部は喜び、一部は沈黙して憤慨する"とした上で"大局からこれを受け入れるべき"と述べていたのだ。ところがこれを元にしていると思われる「三宅版」は、「芦田メモ」にあった「一部の者は喝采するであろう」という記述を完全にネグり、すべての「国民」が「憤慨している」と書き換えているわけである。百田の言う「幣原首相は『こんな憲法を受け入れて子々孫々、なんと言い訳をすればいいのか』と書き残しています」に至ってはもはや原型すら留めておらず、"でっちあげ"と呼ぶに価する。

 しかも、幣原がGHQ案をもとにした政府草案をつくる旨を伝えた閣議のあとに「涙ぐんだ」(「芦田メモ」)のは芦田その人であり、「これを聞いて閣僚がみな泣いた」(三宅版)、「当時の内閣は全員泣いた」(百田)などという記述は意味不明としか言いようがない。

 なお、幣原は回顧録のなかで、総理就任直後に「憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならん」「国民の意思を実現すべく努める」と堅く決心したと述べている【脚註3】。繰り返すが、そんな幣原が「子孫になんと言い訳をすればいいのか」などと書き残したという記録は、どこを探しても見当たらないのだ。

 憲法制定過程での当事者の声をでっち上げる暴挙。これは明らかに"捏造"だろう。

 百田が得意げに振りまいているデマはまだある。たとえば、「アメリカは文句を言えばもう1回原爆を落とすとほのめかす」という部分だ。元ネタは、前述の46年2月13日の会合で、民政局局長のコートニー・ホイットニーが日本側にGHQ案を手渡した際、終戦連絡中央事務局参与として同席した白洲次郎に語った内容だろう。

 アメリカ側の公式記録によれば、ホイットニーは"We are out here enjoying the warmth of atomic energy"と言ったという【脚註1】。保守派はこの"atomic energy"という言葉に着目し「原爆を想起させて脅迫した」などと主張してきたが、これは被害妄想だろう。なお、ホイットニー自身は自著でこのとき語ったのは"We have been enjoying your atomic sunshine."だとしている【脚註4】。意味的にはより"日向ぼっこ"に近い。

 また、GHQ民政局課長・次長を歴任したチャールズ・ケーディスは、この"atomic energy(sunshine)"発言の「心理的圧迫」説を否定している。占領史研究で知られる竹前栄治氏(2015年没)のインタビューに対して、ケーディスはこう語ったという。

〈ホイットニー将軍が「私たちは原子力の日光浴をしてきました」と白洲次郎さんに言ったのは、真面目に発言したものではなくて、単に冗談に言ったということです。〉
〈(江藤淳はこれを脅迫手段に使ったと述べていると振られて、)それは考えすぎでしょう。ホイットニー将軍はしゃれの意味で、あのような発言をされたのです。ホイットニー発言を、あなたがいま言われたように解釈するのは良くないと思います〉【脚註5】

 ひっきょう、仮に、この"atomic energy(sunshine)"が原爆を想像させる単語だったとしても、せいぜい、"原爆を製造できるほどのアメリカの国力と敗戦国日本の差"を表す程度だろう。前述のとおり、当時の国際情勢では「もう一度原爆を落とす」(百田)のは現実的選択肢としてあり得ず、したがって、これを"武力による脅迫"として語るのは飛躍。「押しつけ」のために都合よく解釈したトンデモ陰謀論でしかないのだ。

 そもそも百田が「日本国憲法は成り立ちからして、あれはアメリカのGHQが無理矢理つくった憲法」と断言していること自体、まともに歴史資料のひとつも読んだことがないのではないかと疑わざるをえない。"改憲映画"のなかでも、こうした「押しつけ憲法論」はさんざん展開されているが、だいたい、"日本国憲法=GHQ憲法"という認識自体、先人を冒涜している。

 後編では、さらに"改憲映画"のデマに踏み込んで、百田や日本会議、そして安部首相が喧伝する「押しつけ憲法論」のウソを暴いていくことにしよう。
(梶田陽介)


■脚註・出典
【1】高柳賢三、大友一郎、田中英夫『日本国憲法制定の過程I』/有斐社、1972年
【2】筆マメだった芦田が残した膨大な記録は、死後に『芦田均日記』(岩波書店、1986年〜)として編纂されている
【3】幣原喜重郎『外交五十年』読売新聞社のち中央公論新社、初版1951年
【4】C.Whitney『MacArthur His Rendezvous with History』1956年/抄訳版、毎日新聞社外信部『日本におけるマッカーサー 彼はわれわれに何を残したか』1957年
【5】竹前栄治『日本占領 GHQ高官の証言』中央公論社、1988年