日本の車いす陸上界を牽引してきた男が、9月のリオパラリンピックに向け、好調を維持している。

 リオの代表選手選考会を兼ねた「IPC公認 第27回日本パラ陸上競技選手権」が鳥取市で行なわれ、53歳の永尾嘉章(ながお よしふみ/ANAORI A.C)が男子T54クラスの100mと400mに出場した。得意とする100mは期待の若手・生馬知季(いこま ともき/WORLD-AC)に敗れ2位だったが、400mでは予選を1位で通過すると、決勝でも圧巻の走りで優勝。「20代、30代の後輩たちの、少しでも高い壁で居続けたい」と力を込める。

 5歳でポリオを発症し、10代で陸上を始めた。同時に車椅子バスケットボールにも取り組み、1990年には世界大会ゴールドカップの日本代表に選ばれている。その後は陸上競技に専念。短距離選手として1988年ソウル大会から2008年の北京大会まで6大会連続でパラリンピックに出場している。

 日本選手団主将を務めた2004年アテネ大会では、4×400mリレーで銅メダルを獲得し、個人種目では1996年アトランタ大会の200mで4位に入賞した。それから20年が経った今でも、毎年のように自己ベストを更新している"超人"だ。

 そんな永尾も、49歳で迎えた前回のロンドン大会では代表から漏れた。悔しさとともに頭をよぎったのは『引退』の2文字。だが、永尾がトラックを去ることはなかった。競技続行を決心させたもの、それは「まだ限界にチャレンジしていない」という、先駆者としてのプライドだった。それからは「一年一年が勝負」と腹を据え、再び厳しい練習をスタートさせた。

 現在は、リオに向けた長いスパンで目標を設定し、練習に集中する。11年から取り組む肩関節の柔軟性と、肩甲骨の可動域を向上させる加圧トレーニングの効果が出始め、14年のアジアパラ競技大会では100mで銀メダルを獲得。

「ぼろ負けだったらやめようと思っていたけどね、つながった。常に崖っぷちなんだよ」と永尾は笑う。

 さらに、努力が形となって表れたのが、スイスで行なわれたふたつの大会だった。昨年6月のダニエルユーツェラメモリアルでは、100mで自身が持つ日本記録を15年ぶりに塗り替える14秒07をマーク。そして、この大会直後にエントリーしたスイスオープンナショナルでは、400mで47秒59の日本記録を11年ぶりに更新した。特筆すべきは100mである。

 これは世界ランキング5位の記録で、リオパラリンピック代表選手の推薦基準のひとつをクリアしており、出場がぐっと近づいたことになる。

 車いすのトラック種目のなかでも永尾のクラスT54は選手層が厚く、世界的にも激戦区とされる。そこにあえて身を置き、そして50歳を超えてなおもタイムを更新し続けることに多くの人が関心を寄せるだろう。だが、当の本人は「それだけのことをやってきたから、驚きはない」と言い切る。

 新しいことに取り組めば、何かを失う可能性もある。しかし変化を恐れては、成長はない。その信条に従い、昨年はレーサーのハンドリム(※)の直径を1センチ小さくし、漕ぎ出しのスピードを落とさずにトップギアにつなげる走りを追求。結果、その年の日本選手権で3冠を達成した。さらに、現在はスタート時にこれまでよりも上半身を少し持ち上げ、蓄えたパワーを車椅子にダイレクトに伝える独自のスタートダッシュを模索しており、手ごたえを感じているところだ。
※陸上競技用車いすのタイヤに付いている漕ぎ手の部分

 今のところ、一番の敵は疲労とケガだ。「リオまでの4カ月は、ケガをしないギリギリのところでトレーニングするつもり」と話せるのは、約30年間にわたって自ら道を切り開いてきた永尾だからこそだ。

 とはいえ、世界のトップクラスで勝負するには、まだ力の差があると実感している。昨年10月の世界選手権では200mで8位に入賞したものの、100mと400mでは準決勝敗退に終わり、苦杯をなめた。その一方で、成長と課題が明確になり、100mでは後半の伸びで負けなかった。前半をさらに鍛えることで、日本人初となる13秒台を出せば、リオでのメダルも視界に入る。400mでは第3コーナーで出た最高速度をいかに最後まで持続できるかが、決勝進出のカギになる。

「それを目指して、やるだけだよ」と永尾。常に"限界"に挑戦し続ける、その原動力は何なのか? 永尾は静かにこう語る。

「プライドもあるし、応援してくれる人たちがいるから」と。そして、こうも付け加えた。「みなさんが呼吸をするのと同じように、私は走る。私にとって"生きること=走ること"なんです」

 リオの出場が叶えば、自身7度目のパラリンピックとなる。8年ぶりの大舞台で、いつものように颯爽と駆け抜けるその姿を楽しみに待ちたい。

荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu